《雑草・コラム》

根本的解決策を願いたい

苦難を生き抜いた力強い民族

 ユダヤ人の歴史は、苦難を生き抜いた力強い民族の生き様である。ローマ軍がユダヤ人王国の神殿崩壊をして、2世紀前半には「ディスポラ」は本格化したのである。

 ローマ帝国から約2,000年前に滅ぼされ、パレスチナの地を追はれ世界中に散らばり祖国を失う。このディスポラ事象は本格化して行きユダヤ人は、各国で迫害を受けながら苦難の道のりを生き続ける。

 ユダヤ人の迫害の事例は一つ一つ列記すれば限がないので割愛するが、第二次世界大戦のドイツのユダヤ民族を抹殺するホロコーストは、余りにも無残である。
 1897年シオニスト会議が始まるが、かってユダヤ王国があったパレスチナの地に戻り、国を創ろうとする運動が起こるのである。

 イギリスがユダヤ人国家を建設する事を支持するとして約束。ユダヤの財団ロス・チャイルドから資金援助を出す狙いがあった。イギリスは当時パレスチナを含むアラブ地域を支配していた、オスマン帝国を切り崩す為であった。

パレスチナの地に移り住む

 アラブ人にもオスマン帝国と戦えば独立国家を創ると約束する、この事が成就した場合盟友のフランスとは、1915年「フセイン・マクマホン協定」この地域を山分けする密約を結んでいた、歴史上悪名高い「三枚舌外交」と呼ばれていたのである。

 1916年フランスと中東を分割支配(サイクス・ピコ協定)し、1917年ユダヤ人の国家建設を(バルフオア宣言)オスマン帝国の領土は、イギリスとフランスで山分けにした。ユダヤ人は騙されたと思いつつ、パレスチナの地に移り住む動きを強めていく。

 ユダヤ人の最期の決め手はナチスドイツによる600万人を殺害された事であった。もう二度とこんな目にはならないと悲願の国を創る思いを強めていった。
 ユダヤ人の犠牲の同情に1947年にはパレスナの地に、国を創らせようと国連決議が採択されたのであった。

 イスラエル建国の悲願は成し遂げたが、パレスチナ地域にユダヤ民が追放された地に住んでいたアラブ人が住んで居た。「これが遠因未解決」?
 双方に不満があるが「オスロ合意」を守り、パレスチナの暫定自治を認めヨルダン川西岸とガザ地区から、イスラエルの段階的に撤退させるであった。

 処が2000年当時政治家で後の首相になるシャロン氏が、エルサレムの旧市街地には「嘆きの壁」という言うユダヤ教の聖地がある。その上に「岩のドーム」と云うイスラム教の聖地がある。

 同じ構造物の壁と天井がユダヤ教とイスラムの聖地としてくっついている、シャロン氏は大勢の警察官に守られ、私は平和の使者だと言って帰ってきた。
 礼拝中だったイスラム教徒たちは暴徒化して、イスラエルの警察が鎮圧して死傷者が出る。

激しい衝突始まる

 これがきっかけになり各地で激しい衝突が始まる。
 三つの聖地が同じ場所にありお互い気を使い長い年月を何事もなかったのに、僅か数日で崩れて爆弾テロが起こしたパレスチナ過激派に、イスラエルは空爆をエスカレートさせ衝突は長期化していく。

 世論は右傾化して行き選挙でシャロン氏が首相になる。ヨルダン西岸の境界に食い込むように分離壁を造り、テロリストがイスラエル側に入ってこない様に高い処で8m以上、全長700㎞以上にもなる壁が出来てテロが減った事をきっかけに、危害が無いから交渉はもう良いじゃないかという考え方が、イスラエル側に広まっていきます。

  持続的な国を創るためには和平手段しか無いとする考え方が次第に失われていった。
 パレスチナの分裂とハマスの台頭はパレスチナ側ではオスロ合意後暫定自治政府のトップとしてパレスチナを纏めていたアッラハト議長が2004年に亡くなり、後を継いだのがアラハト議長と同じ穏健派の政治勢力「ハァタハ」に属していたアッパス議長です。

 和平派の指導者として期待されたが過激派を、抑えるだけの力が無かったのが大方の評価である。其れでイスラム組織の「ハマス」2006年の議会選挙に負けてしまう、「ハマス」とはイスラム教の教えを厳格に守ろうとする人達で、ガザ地区を中心にパレスチナ開放を訴えている。

 過激派と呼ぶ人も多いが、軍事部門でイスラエルと武装闘争を続ける一方、慈善活動や教育支援で貧しい人の生活を支えたりしている。ハマスの選挙で勝った後2007年からガザ地区を独自に支配するようになりなる。

 また、ヨルダン川西岸はイスラエルと和平交渉を続ける、立場をとっている「ファタハ」が統治を続けている。パレスチナが一体では無く成っているので、和平交渉そのものが殆ど行われなくなった。
 和平交渉を望んでも武力抗争しか眼中にない連中で、結局今の儘の現状維持で行こうと言う力の方が強く動いてきたのである。

 その後は今に至るまで事ある毎に衝突が起きハマスがガザ地区から、イスラエルにロケット弾を撃ち込まれその報復の繰り返しである。

 複雑な構図が交錯し、雑草記事の範疇を超えている。今回の病院襲撃は余りにも悲惨すぎる、バイデン大統領も巨額の資金援助は有難いが、根本的解決策を是非願いたいものです。(岩重20231021)

 

《雑草・コラム》

国策に翻弄される地方…

中間貯蔵施設で揺れる上関町

 原発から出る高レベル放射性廃棄物「核のごみ」のことをここ数回書いてきたが、今度は、山口県上関町の西哲夫町長が、使用済み核燃料「中間貯蔵施設」受け入れを表明したことで、議会や町民を絡めて、まち全体が揺れている。

 再稼働が進む全国の原発だが、そこで課題となっているのが、たまり続ける使用済み核燃料であり、再処理事業が進まなければ原発の運転継続が危ぶまれる事態になっているとも言われている。

 日本において、使用済み核燃料自体は再処理を行うため廃棄はしないが、再処理事業自体が破綻していると指摘されているので、再稼働すればするほど、使用済み核燃料が溜まり続ける。

 そのために今度は別途、中間貯蔵施設を造り、そこに保管するという。
 前回、青森県六ケ所村での再処理事業の破綻のみならず、南大隅町や長崎県対馬市で取り沙汰されている高レベル放射性廃棄物(核のごみ)最終処分場建設自体も、いろんな数字を挙げていくと、あまり表で議論はされていないが、破綻しているのでは…ということも書いた。

その根っこは同じ

 今回、上関町の西町長が、「中間貯蔵施設」受け入れ表明で、まちが大きく揺れているが、国の施策として原子力発電を進めてきて、その後始末という意味では、『中間貯蔵施設』も『核のごみ処分場』も根っこは一緒なのだろう。
 国の後手後手のエネルギー政策が、地域の分断をも生んでいる現実を、私たちはもっと直視しなければならないのだろう。

 ここ先月末から対馬市、そして上関町による原発に関わる問題が起こっているということは、一つは過疎の町への交付金という餌をぶら下げて、そこに食いつく自治体を待っている。言い換えれば、エネルギー問題としての国の不作為が、過疎の町の分断を誘導している…とも言えるのではないか。

 そこで南大隅町長選。
これまで、高レベル放射性廃棄物(核のごみ)最終処分場建設が、町長選の争点となって争われてきた。

 2007年当時の町長だった税所篤郎氏が、人口減対策として誘致を検討する姿勢を示し、その後の森田町長も2009年の初当選直後、誘致を勧める町外者に交渉を一任する「委任状」の存在が問題になるなど、町は長年処分場建設問題で揺れてきた。

 ただ、町を2分するような状態が続いたこともあり、町議会も、南大隅町放射性物質等受入拒否及び原子力関連施設の立地拒否に関する条例を可決するなど、一時は沈静化となった問題を、前回の選挙では、元衆院議員秘書の田中慧氏が、町内の処分場建設推進派から後押しを受ける形で立候補し再燃。ここでまた、町長選によるさらなる分断が始まろうとしているのか。

分断される地方、今後ますます

 聞くところによると、山口県上関町は人口2300の町。1982年に原発計画が持ち上がり、その後41年間、その問題がくすぶり続け、町の執行部や議員たちが、「中間貯蔵施設」の受け入れの可能性について4年前から水面下で議論を行ってきた。西町長によると、「上関町は41年間も国策に翻弄されてきた」という。

 上関町の2023度の当初予算は30億円規模。このうち自主財源はわずか18%、残りの大部分を地方交付税でまかなっており、人口もこの40年でおよそ3分の1に減少。高齢化率は50%を超え、周辺自治体で最も高くなっている。
 全国多くの地方が抱える大きな問題であって、ここに場当たり的とも言える国のエネルギー政策が絡んできて、地域が分断。そうした自治体が今後、どんどん増えていくのか。

 この大隅半島でも、南大隅町だけでなく、一時期肝付町でも高レベル放射性廃棄物(核のごみ)最終処分場建設の話が持ち上がり、取材に行った覚えがある。

 地方に住む私たちは、日本のエネルギー政策の現実、その根っこにあるものをもっと知り、地域の中でもっと議論を進めていかなければ、翻弄されていくことに繋がっていくのだろう、そう感じている。(米永20231019)

 

《雑草・コラム》

核燃料サイクル政策も
核のごみ処分政策も破綻か

10万本に届きそうな固化体

 前回、原発から出る高レベル放射性廃棄物「核のごみ」は、ガラス固化体として地中深く埋設されるが、肝属山地の花崗岩は、1200-1400万年前のもので、もろいということを書いた。

 「核のごみ」としてのガラス固化体は、製造直後の表面温度は200度以上、放射線量は、人間が近づくと20秒で死亡するという毎時約1500シーベルトで、放射線量が十分に減るまでに10万年程度かかるとされている。

 ガラス固化体1本あたりの放射能経時変化は、製造直後は平均4x1015(4000兆)ベクレル、最大45x1015(4京5000兆)ベクレルで、100年かけて1/10の4x1014ベクレルになる、とされている。
 また、ガラス固化体製造直後の発熱量は約2,300 Wで、高温のために新しい固化体は地層処分には不適格であり、30-50年間冷却して発熱量が560-350Wに減ったところで地層処分される。

理論上も場所的にも破綻

 日本には、これまでに2,530本のガラス固化体が存在。これまで原子力発電で使われた燃料を全て再処理し、ガラス固化体にしたと仮定すると、その量は、既存のものとの合計で、2023年3月末時点では約27,000本になる。原子力委員会によると、2030年には7万本となると推定している。

 原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)最終処分場選定に関しては、文献調査、ボーリングなどの概要調査、地下施設での調査・試験の精密調査で合わせて20年はかかるとされている。

 今、その文献調査候補地を全国で探しているところだが、20年後というと2043年、候補地が決まるまでまだ時間はかかると思わるので、毎年1,300-1,600本分相当の使用済み核燃料が増えていくと推定されていて、さらに15年後としても、年1,500本で換算して7万本+2万2500本で10万本に届きそうな勢いだ。

 千本でも東京ドーム2個分になりそうなので、その100倍というとどれだけの地下面積が必要なのか。たとえ千個を埋めるとしても、それだけでも地下は安定しない空間となろうことを考えると、その数はそら恐ろしい。

日本の核燃料システムの現状は

 また、原子力発電環境整備機構では、2021年頃に貯まると見込まれた約4万本のガラス固化体の処分費用を、約3兆円と見積もっている。これは固化体1本当たり7,500万円に相当すると言われる。

 これらに処分場調査費用等も含めると、どれだけの額になるのだろう。

 さらには、青森県六ケ所村核燃料再処理工場は昨年9月に、完成目標を26回目の延期を発表。核燃料サイクル政策は破綻していると言われており、消費者からの電気代をもとにした総額14兆円を超える再処理事業費は、無駄な負担となって将来世代に重くのしかかるという現状があって、それに加えての処分場建設問題。
 これらからして、日本の核燃料システムも理論も破綻している、と言えるのではないか。それに私たちは気づいて、今後を考えていくべきだと思う。

 話を地元に戻して、もし大隅半島に高レベル放射性廃棄物「核のごみ」処分場ができたとして、もろい花崗岩の地下に埋設するリスクはどれだけのものだろう。

 私が高隈山を登山、散策したなかで、気づいていることがある。
 登山道でも岩場でチェーンやロープが張ってある箇所は固い岩に手をかけて登るときがあるが、それでも風化している箇所は、ボロッともげたりする。
 また林道を歩くとき、車を通すために削られた場所は、花崗岩が露出、しかも長年の風化で荒い砂状になっていてボロボロと崩れ落ちる。これは大隅半島全体にも言えることなのか。

 花崗岩については、前回に続いて次の説明がある。
 花崗岩は、結晶粒子が大きく、かつ、鉱物の種類によって結晶の熱膨張率が異なるため、温度差の大きい所では鉱物の境界線の部分で結合が弱まり、次第にひび割れていき易い。
 例えば、直射日光などで直接加熱される花崗岩の表面などは、ボロボロになって崩れてゆき、いわゆる風化した状態へと変化し易い。

 さらに、花崗岩中の斜長石や黒雲母も、比較的風化を受け易い鉱物である。これに対して、花崗岩中の主成分である石英の結晶は、非常に風化し難いため、花崗岩の風化が進むと、構成鉱物の粗い粒子を残したまま、バラバラの状態になり、非常に脆く崩れ易くなる。
 このようにして生成した白から黄土色の粗い砂を、真砂土、あるいは単に真砂と呼ぶ。

町民は一つのツールか…

 大隅半島のあちこちには、火山噴火による溶結凝灰岩もあるが、半島全体としては地下深くまで花崗岩で覆われている。ここに、固化体を入れ込むために地中深く穴を掘っていく時点で、その空間はかなり不安定になる。

 その岩盤は、成分によっては部分的にとても脆いというし、これだけの深さと広さで地下を人工的に手を入れるということは、何らかの影響がある…と考えたほうがいいのだろう。

 日本の核燃料システムも理論も破綻している…と書いたが、この処分場建設自体も、これだけの数字を見てみると破綻しているのではないか。

 そうしたことを無視して、南大隅町の首長選挙に県外からきて出馬、もらった調査費を町民に分配するという。

 お金だけを考えると、もらった人たちはいいのかもしれないが、果たしてその時に全部使っていいのか。

 しかも、処分場建設の賛否を選挙の争点として訴えていくのはいいが、選挙の道具としてこの調査に基づく財源を使い投票を誘導していく。それは町民の選択であるのだろうが、ここに住んでいる人たちを何か一つのツールとしてしか見ていないような気がして嫌な気分になる。

 町民の選択…と書いたが、町民だけの問題でなく、広く大隅半島民がこうした事実を知り、声を出していくことも必要だと思う。

  前回の町長選挙のことも含め、まだ書いていきたい。(米永20131011)

 

《雑草・コラム》

何時の時代も犠牲に

 辺野古移設の国、県の訴訟は13件

 沖縄県宜野湾市辺野古の軟弱地盤改良工事を巡り、軟弱地盤工事の設計変更を承認しなかった沖縄県に対して、是正指示は違法だとして取り消しを求めた訴訟で県側の上告は棄却された。

 辺野古移設の国、県の訴訟は13件あり7件は県側が敗訴、4件は和解と取り下げで終結した。
 論点の相違は現在係争中の2件も県の勝訴は厳しくなり、国が埋め立て工事再開に向かうが、法的対立は新たな節目を迎えた。

 軟弱改良工事は承認が必要で移設反対を掲げる沖縄県知事は、今回の判決確定により設計変更を承認する義務を負う形となり、松野官房長官は判決に沿った対応が速やかになされると思うと述べている。

 今後は、玉城デニー知事が国からの承認指示の期限内に実行するが、期限内に出来なければ国は「代執行」を高裁那覇支部へ提訴し県の敗訴は濃厚である。

 沖縄防衛局は年内にも海底地盤がある大浦湾側での工事に着手したいが、代執行は高裁に提訴から15日以内に第1回の弁論を開かねばならない。
 国訴訟では迅速な審理が求められ1回で結審する可能性がある。県が敗訴すれば裁判所は県に承認を命じ応じなければ国は「代執行」をする。

 県は最高裁に上告出来るが、制度上逆転勝訴迄は工事を止られない。
 大浦湾側の工事は難しく約9年間掛かり事業完了まで約12年間係ると試算している。複数の変更申請が必要となれば県は反対の姿勢であれば今後紆余曲折があるだろう。
 市民投票で反対の意志で21年経つので、普天間基地の移設は、その分遅れる。宜野湾市の4分の1が基地を占めている。
 沖縄の人達は日本の南西部の先端に位置し、何時の時代も犠牲を強いており本当に申し訳ないと思う。基地問題は玉城デ二―知事を先頭に最良の方法を選択して悔いの残らぬ様にして欲しい。

台湾と沖縄の基地と…

 話は飛ぶが、台湾と中国は緊張を増しているのは、台湾政権が揺れており住民が欧米化を望むなら習近平氏と袂を分け、共存共栄の道を歩まなければならない。何故習近平氏が台湾を離したくないかに、少しだけ触れてみたいと思う。

習近平氏と台湾の関りは1985年の36年前に始まっています。福建省のアモイ市の副市長を3年間務め、アモイ市は、台湾交流の表の窓口でありアモイ市の2kmの処には、台湾側が領土化している金門島があって過去には激しい砲撃戦があった。
 アモイは経済特区の一つに指定されていた時に台湾資本家を呼び込んでおり、アモイ市は台湾の対岸に位置し地元の方言も台湾によく似ており交流がしやすいメリットがあった。

 当時アモイの沖合の金門島に向けて大陸の魅力を、大音量で宣伝する巨大なスピーカが設置されていた。
 習近平氏が先頭になり台湾企業を呼び込んで、台湾統一に向けた最初のステップと考えられていた。その後も福建省の海沿いの地域の指導者を務め、1,990年から省の中心都市福州のトップになった。

 福州にはもう一つの台湾との交流の窓口、福州市の沖に浮か平譚島があり、安い労働力を提供でき取引が成立していた。
 島の中には台湾の船長をもてなす豪華な御殿の様な、接待所も造られ下にも置かぬ歓待をしていた。やはり台湾統一に欠かせない裏工作であったと考えられ、当時台湾側は中国との直接往来は禁じられていた。

 台湾交流の裏と表の窓口の場で重要な仕事をした習近平氏は、その後福建省のトップ省長になり、更に2002年から5年間務め、今度は浙江省のトップ党書記に。
 台湾は対岸にあり、中国から嫁いだ女性が30万人になると言われる。その内の3分の2以上が習近平氏の仕事をしていた頃、台湾に渡った人達だと言われている。その人達の中には台湾での地位向上を訴える政党まで、組織を創る人達も現われた。

 此処で周近平氏が福建省や浙江省で仕事をしていた時期に、其々の地域で軍の仕事に付いていた事です。
 両省の党書記を務めた時期には、南京軍区副国防委員会の副主任を務めている点が注目される。民兵の指導と育成を主な任務をする組織であり、その経歴から漁民を海上民兵に育てる指導をしていた公算が強いと言える。

 南シナ海や日本の小笠原周辺に大量の漁船が出没して、組織的政治的集団行動は福建省や浙江省等から多く中国が、力による台湾統一をするとなれば、一番先に出動するのが漁船に乗った海上民兵である。

 習近平氏の最高指導者になってからの軍の組織は台湾海峡や周辺海域や東シナ海を、守備範囲とする南京軍区と呼ばれる地域の出身者が多い。
 台湾海域を知り尽くした者達が台湾統一を常に意識した顔ぶれが多いのは、習近平氏の台湾統一は建国以来の目標で、尖閣列島は台湾の領域であると公言してこのシナリオは続くであろう。

 沖縄も島津と徳川が力ずくで領土とし戦争で敗戦し米国に取られたが、中国の領土にならず日本に返されている。中国は何れはと思っているが沖縄に米軍基地がある限り、中国はどうにもならない点もある。

 台湾政権が親中国に成ればどう変化するかであり、我が国は確り沖縄や南西諸島を守って欲しいものである。(20231007岩重)

 

《雑草・コラム》

本当にこんなところへ
持ってきていいのか…否

 核のごみ、そのものの問題

 前回、南大隅町を処分場候補地として、また町長選が戦われようとしているのか。その兆しがあるということを書いた。
 原発から出る高レベル放射性廃棄物「核のごみ」最終処分場については、いくつもの問題を孕んでいて、指摘され続けている。

 大きく一つには、高レベル放射性廃棄物「核のごみ」そのものの問題。
 別な視点からは、処分場受け入れが取りざたされる地域の対応が、その地域に与える影響である。

 後者でいうと、長崎県対馬市の場合、急速に進む人口減少への危機感もあり建設4団体が調査受け入れ促進を求め、市商工会は議論検討を要望。
 これに対し、市民団体や一部漁協、水産団体などは風評被害や処分場の安全性などを懸念し、反対を訴える請願書を提出。

 市議会は提出された受け入れ促進請願を審査し、賛成多数で採択したが、比田勝尚喜市長は、定例市議会最終本会議上で受け入れない考えを表明している。
 何が起こっているかというと、地域の中での分断だ。

 それは、あとで少し詳しく伝えることにして、「高レベル放射性廃棄物」そのもの、その処分の仕方について、もっと私たちは理解を深めていかなければならないと感じている。

 高レベル放射性廃棄物は、全国の原発の使用済み燃料を再処理し、「準国産エネルギー」として再利用する「核燃料サイクル」の過程で高レベル放射性廃液として発生。

 経済産業省資源エネルギー庁のホームページによると、再処理の際に生じる放射能レベルの高い廃液を高温のガラスと溶かし合わせて固体化したものが、高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)で、将来の人間の管理に委ねずに済むように、地下深く300メートル以深の安定した岩盤に閉じ込め、人間の生活環境から隔離して処分。
 ガラス固化体は、高さ約1・3メートル、直径約40センチの1本あたりの重さは約500キロという。

大隅半島の花崗岩はもろい

 また、NUMOによると、全国の使用済み核燃料は約1万9千トン。 再処理すると、既存分とあわせて約2万6千本のガラス固化体ができるとされている。

 高レベル放射性廃棄物は、放射能レベルが高い期間は地下水と接触しないように、厚い金属容器(オーバーパック)に格納し、水を通しにくい粘土(緩衝材)で覆った上で、一定の間隔を空けて、安定した岩盤に1本ずつ埋設をしていくという。

 直径約40センチをオーバーパックし緩衝材で覆うとなると、示された図で見ると直径約2メートルほどになるのか。これを一定の間隔を空けて1本ずつ埋設。

 どれくらいの間隔かは分からないが、これを例えば1メートル間隔で1000本埋設するとなると、約300m×300mの広さが必要になるのか。東京ドームが4万6755平方mなので、ほぼ2個入る面積ということなのか。

 1カ所にどれくらいのガラス固化体を埋設するか分からないが、約2万6千本のガラス固化体となると、どれだけの面積が必要なのだろう。

 なぜこういうことを書くかというと、南大隅町にある肝属山地は、花崗岩によるものだ。
 これらについて次の説明がある。
 かつて、九州山地の延長線上にあった山脈が、地殻変動によって分断され独立した山地となったものが肝属山地である。
 山地の大部分は「大隅花崗閃緑岩」と呼ばれる花崗岩、または閃緑岩から成っており、九州南部においては屋久島、大崩山と並ぶ大規模花崗岩地帯( バソリス )である。
 これら花崗岩は1200-1400万年前に形成されたものであり、風化が進んでいるために崩れやすい。

 花崗岩は造山帯か否かを問わず、大陸地殻の全域にわたって広く分布している。  深成岩ゆえに、地表に露出している部分より、地下深くに多く分布していると考えられ、大陸の表面を覆う比較的薄い堆積岩の下に横たわる基盤岩の大半を占めていると考えられている。

 花崗岩は固いというイメージを持っていたが、九州南部では1200-1400万年前に形成されたものであり、風化が進んでいるために崩れやすい。しかも地下深くにも多く分布しているという。
 さらには錦江湾周辺には、年代を重ね多くのカルデラのある場所。
 本当に、こんなところへ、「核のごみ」最終処分場を持ってきていいのか?それは否だと思う。(20231005米永)

 

《雑草・コラム》

クリミア半島奪還
と停戦協定と

 軍需産業大手企業の動きは

 日本の戦国時代の歴史は過去から現代に通用する事例が多く、抜粋して記述する事が多く私自身も参考にすることがあった。
 ウクライナとロシアの侵略戦争は現在進行形で進んでおりつい気にすることになる。2015年にクリミア半島を侵略し現在実効支配している現状を奪還するまでは、停戦協定は無いとするウクライナに何故か共感を覚えるのである。

 ロシアのウクライナへの侵略開戦当初はインフラを重点的に攻撃し、一刻も早くロシア側の要求を受け入れてさせて、終結する目論見が見当違いで長期戦になっている。
然しロシア側はNATO加入諸国へウクライナを簡単に受け入れない為の、デモストレーションであると思うのである。欧米側が支援する事で簡単に終結出来なくなって、ウクライナは傷だらけになっても支えて行くだろう。
 だからと言って最新兵器を無制限に供与してロシアを追い込めば、核戦略兵器に手を出すかも知れない懸念を抱えている。

 ドイツはレオパルド2の戦車供与に二の足を踏んだが、西側諸国は特にアメリカの意見によって最新兵器類の供与に応じる様になった。ドイツ軍需産業大手企業がウクライナ国内に、戦闘車両工場を新設する事を明かにした。

 軍事企業ラインメタルのトップを務めるパッペルガーCEO (最高経営責任者)が、ウクライナ国内に戦闘車両の工場をアメリカCNNテレビが、2023年7月10日のインタビューに明言したものでウクライナ西部に、現地企業との合弁で生産工場を12週間以内に開設するとしたが既に始まっているかも知れない。

 ラインメタル社が昨年開催された武器見本市に披露した「フクス」装輪装甲車の最新モデル車は、すでにラインメタル社は今年初めにドイツ・メデアに対し、ウクライナ国内に年間約200両の戦車を量産可能な工場を218ユーロで設置したと語っており、実際5月中にはウクライナ国営クロボロボロンと戦略的協力協定を結んでいる。

 この協定では2023年中には設立したのちウクライナ国有防衛部門との橋渡しを図り、包括的な技術移転の他ドイツからの軍事装備品の短期提供など実施する言い将来スケジュールも描かれている。

領土奪還まで頑張って欲しい

 尚パペルガーCEOによると新工場で製造する、国内ドイツ連邦軍なども運用されている「フクス」装甲車の事である。これを合弁企業でライセンス生産するだけでなく修理も行うとする、
 これは別に自社(ラインメタル)における砲弾の増産について言及しており、2024年は生産量を10万発から60万発に増産すると明言し、これによりウクライナが必要とする砲弾の60%を提供出来るようになると言う。

 すでにドイツとウクライナ・ポーランドの3ヶ国でウクライナ国境に近いポーランド国内に、レオパルト2の修理拠点を設けている戦闘で破損した戦車や歩兵戦闘車は、修理あるいは改造して再び戦場に送る様にしているが、その場所は絶対秘密にしている。
先日の国連でのポーランドの首相がゼレンスキ大統領の発言に対して、穀物輸送等に二股かける行為に不信感を募らせる行為を発言した処、ポーランド首相は発言しウクライナには武器弾薬等は、供与しない旨の発言をして波紋を呼んだ。

 その後大統領が発言を撤回し解釈を間違えていた事を訂正して、武器弾薬等を今迄どうりに供与すると言う事で落着した。重要な会議での発言はトップ同士の意志の疎通が重要である。

 アゼルバイジャンとアルメニア紛争が(ナゴルノカラバフは飛び地)の問題を巻き込んで、再燃したがこの紛争は2016年4月にも戦争を起こしており、約25年の時を経て再発した紛争である。

 新型コロナ問題で国内に不安が起きていた事、アルメニアの最高権力者に就任したニコルバシニヤン首相に対する、鬱積を募らせていた事と兄弟国のトルコがアゼルバイジャンに対して、軍事面を含む全面支援を行った事にベラルーシに於ける抗議行動が無かった。

 欧米社会が新型コロナ問題や米国大統領選挙で様々な要素があり、戦闘に干渉する事が無いとの判断があった。ロシアも求心力が低下しているので、バニシアン首相に不信感を持っており、アゼルバイジャンの国際的地位向上によって、関係を悪化させたくない為にロシアの参戦が無いと判断した。

 本来なら仲介をする立場だがアルメニア本土での戦闘ない限り参戦しないとして、双方で解決を話し合えであった。以前はアルメニアを支援したのだが、ロシアの影響力が低下した印象は避けられない。

 戦術も兵器もアゼルバイジャンが勝っておりウクライナ戦争で、手いっぱいのロシアであるとの見方が多い。今後アルメニアは欧米諸国の影響下に入るだろうが、今回の戦争はアゼルバイジャンが勝利してアルメニアは敗者になり不利な終戦であった。

 予断は許さないが言える事はウクライナ戦争で、総てに余裕がなくなっている状況を知られた様子を垣間見た気がする。つい余談が長くなったがウクライナは出来るだけ消耗を少なくし、体制が順次整ってくるので領土奪還まで頑張って欲しい。(岩重20230930)

 

《雑草・コラム》

動き出したのか
南大隅町長選

 比田勝対馬市長の受け入れない判断

 長崎県対馬市の比田勝尚喜市長は27日、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)最終処分場選定に向けた文献調査について、定例市議会最終本会議上で受け入れない考えを表明した。

 長崎県のことだから…と思っておられる方も多いのだろうが、この大隅半島でも、南大隅町、肝付町で建設候補地が取りざたされ、特に南大隅町では、町長選を絡めて町を二分するほどの大きな争点となってその建設の賛否が問われた。

 しかも、先週には、前回2021年の南大隅町長選で、高レベル放射性廃棄物最終処分場建設を推進する立場から立候補した、東京在住の田中彗氏が、南大隅町で戸別に訪問したり、鹿屋市でネットトーク番組に出演するなど活動を続けているらしい…という情報を耳にしたからだ。

 田中氏は、「高レベル放射性廃棄物最終処分場選定に向けた適地調査受け入れで、6年間で90億円の新たな財源を確保して、コロナ禍で疲弊した地域経済立て直しのため、町内で使える商品券一人当たり30万円を給付します」と訴え、選挙を戦った。

 三つ巴の戦いで、結局落選となったが、町民に与えたインパクトは大きかったようだ。

 田中氏は、その4年前、2017年も一部報道で立候補が報じられたが、そのときは断念。そして前回の落選に続いて田中氏が動き出しているということを聞いて、少し震えた。

町民の持続可能な幸せは…

 その一番の思いは、なぜ選挙のある南大隅町に住んでいない人が、選挙のたびに東京からやってきて、「商品券一人当たり30万円を給付する」と住民に訴えて回るのだろうか。
 それは本当に南大隅町民のためなのか、一時的に、選挙の公約を達成するためも含め町民に30万円を配り、それが本当に町民の持続可能な幸せに繋がっていくのだろうか。
 もちろん立候補する本人の意思もあるのだろうが、その背後に何があるのだろう。ちょっと考えるだけで普通、そう感じると思う。

 そこには、この日本という国で原発が稼働し、エネルギーの供給を得ているが、どこかにその核のごみ処分場を造らないといけないのだろうが、逆の現実として、原発稼働の前提となる核燃料サイクル政策が破綻。
 肝心の青森県六ケ所村、日本原燃の再処理工場は、完成延期を26回繰り返し稼働の見通しが全く立たっていない。

 そういった中での高レベル放射性廃棄物(核のごみ)最終処分場建設。
 前回の南大隅長選でも、様々な動きがあり、町全体が分断されそうな形にまでなった様を見てきた。選挙前のほぼ毎週末、元経産省官僚が町を訪れ「今、南大隅町だからできること」と題して、核廃物処分場の安全性や交付金の詳細を説明、ある意味、町は動いた。

 これは、2009年の前森田町長が当選をしたときから、さらに、元税所町長、森田商工会長時代からの話に遡り、これまで、町民を巻き込んだ様々な動きがあった。

 そして、この問題のもっと大きなことは、一自治体、南大隅町のことだけでなく、広く大隅半島民にもかかわる問題でもあって、他人事ではない。
 早々と動き出そうとしている南大隅町長選、自分たちのこととして考えていくための情報をこの欄でも出していきたい。(米永20230928)

 

《雑草・コラム》

観光地としての
大隅半島を考える

 大野岳や開聞岳

 南九州市の穎娃町に、なだらかな稜線の大野岳は、標高466mの山容は仰ぎ見る人達を温かく迎えてくれる。

 時たま訪れる人も初めて見る人も、山頂に登ってみたい気にさせる人懐こい山である。枕崎空港が夢を描き空港を開設したが、夢半ば周辺の航空フアンに惜しまれつつ閉鎖された。
 いずれ交通網が煩雑化して空飛ぶ自動車〈ドローン〉の時代が来ると思う、周囲の環境は茶栽培で全国的に有名に成って来ている。必ず活用すれる時代が来る。

 枕崎空港には何回となく訪れ当時の川田航空のヘリにも乗って、市街地や海岸沿いの眺望は坊津や開聞岳の景観は圧巻である。スカイスポーツのメッカと思ったが、実機との共用使用は航空法上難しく、費用対効果で収益性が望めず断念した。
 空港跡地が他の事業形態になっても、周囲の景色は変わらない。大野岳頂上に行ける道路は前舗装されている。

 観光客は必ずと言って良いほど大野岳の展望台に上がって、眼下の見事な茶畑の景観を絨毯の様だと堪能する。左前方に開聞岳が聳える景観も美しい、錦江湾を挟んでうっすらと大隅半島が見える。
 360度の視界の中には枕崎市や池田湖に番所鼻自然公園も望め、伊能忠敬が日本一の絶景と評した山頂からの眺望に感嘆した筈だ。

 薩摩半島には都市機能が鹿児島市街地を含め、谷山の街は以前の楚々とした街並みは少なく成り、出来立ての豆腐に醤油をかけ食べた記憶が懐かしい。鹿児島中央駅界隈も益々は発展し北側も整備され、天文館周辺もアーケイド新築改良される。
 其れに比し大隅半島の鹿屋は第二の県都になる筈だったが、高速道も辛うじて鹿屋の郊外を掠め志布志に開通するように成った。迂回して財部経由で国分に行けるようになり通行量を確保する為、鹿屋~財部間は無料である。新幹線もやがて西回りは国分・宮崎と開通するだろう。

新たな浮揚の模索を

 藩政時代から大隅半島は東目送りと、疎んじられてきた場所である。大隅半島は一丸と成り、選り好みをせず猫の額の様な姑息な思考では、大隅半島は取り残される。
 大隅半島には鹿児島・川内・国分と幹線から外れているので、それを逆手にとって如何すれば新たな浮揚が生まれるかを模索しなければ成らない。

 国分と鹿屋以南は観光立地として栄える余地がある。鹿屋市の秡川にある眼鏡橋も文化財として保存が決まり、鹿屋の良識が故郷の文化遺産として後世に残す事になった。60数年前三輪車の2t積トラックに「かいも」(サツマイモ)を、2t以上積載して通行した思い出が蘇る。びくともしないし石積の眼鏡橋であった。

 福岡~長崎の幹線及び道路網は完成途上にあるが、唐津は独自に交通網を確保している。豊臣秀吉が朝鮮出兵の為に完成させた名護屋城は、秀吉の死去で朝鮮出兵は撤退し城は解体となるが、その偉材を利用して見事な唐津城を築城している。慶長7年(1602)7年の歳月をかけ秀麗な唐津城を完成させている。

 友人や知人が鹿屋を訪問して市街地の一望する展望所がないかと訪ね、霧島ヶ丘公園の展望台に連れて行った。高隈連山と志布志と錦江湾の遠景に、海上自衛隊鹿屋基地を一望するだけで、済まんと頭を下げるまだ在るのに友人は首を竦めた。佐世保の彼は唐津の街を例にとって、独自に街を盛り上げた話をした。

 初代藩主寺沢志摩守広高が築城と共に河口を大改造して新田開発の為、東に延びる砂洲に黒松を植林し現在は虹の松原として広大な見事な景観を誇っている。紀州から漁師を雇い捕鯨業を導入し、城の曲輪を外堀で守りその周囲に東寺町・西寺町の町割りを行っている。

大隅半島は宝の山

 現在では唐津くんち祭りも有名である。築城当時は天守閣が無く地区民の情熱は昭和41年に文化観光施設として建てられている。
 季節折々に桜や藤が咲き天守閣から玄界灘や壱岐に虹の松原が、雄大に白砂青松が弧を描き美しい景観を醸し出している。鏡山は標高283m余在り頂上は台形で何処から見ても姿は変わらない。万葉集に登場する松浦佐用姫の悲恋の踊台になっている。

 此処から見る眺望は唐津湾・高島・鳥島・神集島が望めこの周辺海域はかって沿岸捕鯨が盛んであったろう。唐津の人達は名護屋城が幻の名城になってしまったが、時の流れに逆らえず秀吉から徳川家康に変わり名護屋城址を撤収し、兵士だけでも15万人で商人や付き人等で賑やかな城下町が閑古鳥の鳴く地になった。
 唐津の人々は幻と消えた名護屋城跡を河口の利便性のある唐津を城下町として家康に懇願して栄えさせたのである。

 やがて明治時代になり舞鶴公園となり奇しくも大隈重信が唐津に育ち、早稲田中学校・高等学校を創設し校歌も早稲田大学と同じだと言う。元々が唐津(佐賀)の人は忍耐強く、苦労して僻地の唐津を今に蘇らせている。

 話を大隅半島に戻して今の儘では鹿屋は取り残される、何としでも閑古鳥が鳴く地にしない様にしなければ成らない。風光明媚な景観に古代史の故郷が眠っている、50年100年先も景観だけは不変である。
 観光客が来て自然の眺望を堪能をする客席を創る為に、栂平山に展望所を造りロープウエイを創設して昇降口を確保すれば、大浦でも文化会館付近でも良い。

 最終的に高隈御岳か、大野柄岳に行ける様にして大隅観光の発掘を行い、大隅観光事業を壮大に起こす事によって大隅半島は観光のメッカになる。先ず叩けば扉は開かれん。構想だけは忘れずに、大隅半島は宝の山である。(岩重20230916)

 

《雑草・コラム》

時代についていけない
大人たちの塊…

 18年前のタイガース優勝では…

 プロ野球セリーグの阪神タイガースの勢いが止まらない。ここ終盤で10連勝、マジック1で18年ぶりの優勝が14日にも決まる。

 身体を動かすことが好きで、今はもうしていないが、小中学校で野球をし、社会人でも、まるっきり阪神タイガースのユニフォームに鹿屋の鹿の文字を付けての鹿阪神タイガースチームで楽しんでいた。
  この欄で何度も書いていて、さらに申し訳ないが、鹿屋中野球部の同級生が、岐阜の中京商業に行き、1年と3年で甲子園に出て、ドラフトでタイガースに入ったので、そこから大の阪神ファンに。

 おおすみ猛虎会をファンの皆で作り、虎キチとまではいかないが、全身を阪神グッズで固め吞み歩いていた。
  前回の優勝時には、阪神ファンの集まる居酒屋を貸し切りどんちゃん騒ぎ、地元テレビも取材に来た。
 数日して大阪のテレビ番組もきて、志布志湾でトラガニが獲れると聞いたので、船を出すからタイガースファンのみんなで「トラガニ、トラガニ」と声を上げ網を引いてほしい…と言われ皆で向かった。
 なかなか網にかからず、朝方までかかってやっと獲れ、ほぼ寝ないで仕事をした記憶がある。
 今はいろいろあって、ユニフォームもグッズもほぼ手放した。その時のメンバーも歳を重ねている…。

 今は、そのときのように騒いで…ということも出来なくなってきていて、タイガース優勝をこじんまりと祝いたい。
 体力が落ちた分、頭でっかちになってきて、純粋に何かで燃えることが少なくなってきているのか。それは別に悲しいことでもなく、どちらかというといろいろ考え、いろんな思いを巡らせることが楽しくなってきた。

 この欄でいつも書いていることだが、都会のまねでないコトやモノをいろいろ考えている。
 例えが変だが、タイガースが優勝して道頓堀で5000人が川に飛び込んで…という騒ぎ方でなく、それこそ鹿屋川は浅いので飛び込んだら死んでしまいそうだし、大阪から来たテレビ局に乗せられてバカ騒ぎするのでなく、僕らは僕らのやり方で楽しむ。

当たり前のことが本当は当たり前でない

 この仕事をしている中で、何か、この世の中の流れに、しっくりこないものを感じている。それは、今のこの時代で全国一律に多くが決められ、同じようにコトを進めていく、それは社会の仕組みだからしょうがないという。

 国が決定する政策は政策として、地方の中でも粛々として進めていくことが大事だが、それと並行して自分たちの地域に合ったやり方を模索。そこで情報を共有しながら、もっとしっくりくるものをチョイスし、それを自分たちのものとして進めていく。

 そこには民のパワーが必要だが、いまそれが弱いような気がする。世の中が大きく変わるとき、それを動かしていくがそうした力だと思うが、どうなのか。

 話が飛ぶが、先月自主映画「夢見る小学校」を観た。
宿題がない、テストがない、チャイムや通信簿、前ならえ、起立、礼、着席などなく、子どもたちが、プロジェクトとよばれる体験学習の授業を通じて、自分たちでプロジェクトを運営し自らの頭で考えていくという。
 私たちが当たり前と思い、繰り返しなされていることは、実は、前年と同じことを何十年もやり続けているだけのことで、本当はしなくてもいいという。大人の怠慢…?

 その「子どもの村学園」は、ちゃんと国や自治体が認めた学校でもあり、それでも、私たちが受けてきた「授業」を、子供たちが自分たちで話し合い決めた「体験学習」に替え、授業として行っている。

自主性、自立性を削ぐ教育

 そうした内容も驚きだったが、一番心に響いたのが、そこの子どもたちが中学、高校、大学と進む中で、おのずとリーダーシップをとるようになり、いい意味で抜きんでているという。
 なので、子どもの村学園の卒業生は、企業でも引っ張りだこという。映画を見て、そしてトークショーがあり、そうしたことを聞いてなるほどと感じた。

 子どもたちが、自分たちで自立してやっていく、もちろんそこにいる大人が見守っているからなのだが、子どもたちがその「学園」でやっているようなこと、大部分の大人はちゃんとできているのか。
 「ノー」。悔しいが、そこの子どもたちが卒業して、どんどん大人になっていって社会に出てくるのだろう。そして今の大人たち、自分たちで考えないで上から降りてきたもの、既存のことを粛々と繰り返し行っているだけでは、時代についていけない大人たちの塊ができていく。というより、今現在がその状態だと思う。

教育だけでない社会全体にはびこるもの

  トークショーでは「教育」という根本的なことまで言及し、学校、社会、ルールにこどもをはめない、今生きる子どもに学校、社会、おとなが合わせていく。公立でも私立でもできる。学校は楽しいだけでいい…。
 学校を変えませんか?学校をつくりませんか?子供の居場所作りませんか?…と問いかけていた。

 それは、今の大人たちに対する対する痛烈なメッセージであり、私たち大人が決めていることで、子供たちを追い詰め、不登校や引きこもり等に繋がっているという現実を、見て見ぬふりをしている。
 これは教育だけでない、私たち大人が広く政治や行政で行っていることに対しても強いインパクトのあることなのだろう。
  まだまだ書きたいことがあるが、だいぶ長くなったので次の機会で…。(米永20230913)

 

《雑草・コラム》

外交戦で和平を築いて

 ダンボール製ドローンで

 クリミヤ半島を巡って連絡橋の爆発が相次ぎ,ウクライン軍が水上ドローンで攻撃した事ことを明らかにした。然しウクライナ軍が関わっていない爆発もあったが、恐らくロシア義勇軍(パルチザン)の仕業で無かったかと言われている。

 20023年8月16日BSテレビの某番組でクリミヤ半島や、べラルーシで相次ぎ謎の爆発が起きている。ウクライナ軍が関与してないと言うならパルチザンの仕業であろうか、元々べラルーシはパルチザンの活動が盛んな処である。

 歴史を遡ればクリミヤ半島はロシアが関与した紛争は、西暦1,000年前後から度々紛争の舞台になるが、特にクリミヤ戦争(1853年~1853年)は、クリミヤ半島などを踊台にした戦争である。
 フランス・オスマン帝国・イギリスを中心にした同盟軍及びサルデーニヤとロシアが戦い、戦闘はドナウ川周辺やクリミヤ半島、更にカムチャッカ半島まで及んだ、近代史上稀にみる大規模な戦争であった。

 オスマン帝国とは14~20世紀初頭まで存在したが、現在のトルコ共和国地方に建国された大国である。
 黒海とアゾフ海を自由航行する為にはクリミヤ半島は重要であり、ウクラナが奪還しようとしているが、ロシアは何としても実効支配化している為に攻防は続く、パルチザンも出没すると言うのでロシアも手を焼いている。

 補足するとクリミア半島は1945年ソ連邦の構成共和国でありながら、国連に現加盟国として参加してフルシチョフ時代(1954年)に、ロシア・ウクライナ併合300年を記念して、クリミヤ半島がロシアからウクライナに帰属替えされている。

 さて話題を変え私も驚いたが防空システムを回避して無人機を目標に命中させる為に、ダンボール製ドローンをオーストラリアの軍需企業が製造し実戦配備させている。
 先月8月27日ロシアの西部クルスク州への攻撃に使用された。ダンボールが主体の為ロシアのレーダー網に発見されにくいし、駐機中のスホーイ戦闘機やミグ戦闘機に命中した。

 クルスク州はウカライナ国境から105㎞の処に位置していており、この戦闘機はウクライナ軍攻撃に使用されている機体である。ロシア軍基地にある「スホーイSy30戦闘機4機とミグ戦闘機1機にも命中し、パーンツイリSI 対空ミサイルシステムとS300地対空システムに損傷をさせている。
 この件についてロシア国防省にメールでコメントを求めたが返答はなく、ウウライナの英字紙キーウポストに対してもノーコメントであった。

国際的な政局も目まぐるしく

 恐らくダンボール製のドローンに攻撃された真偽の詳細を把握してないのか、16機の無人機が攻撃に使用され3機は撃墜され、この攻撃はSVU防諜部門の第13局が実施したと発表している。
 機体に表面ワックス加工して飛行性能を向上させており、積載量は3キロの高性能火薬を装備し、120㎞の飛行距離を有し自爆用攻撃機にウクライナで改造して実戦配備している。

 小型軽量で制作費も安価で済み、地上塹壕戦や戦闘用車両に自爆にも攻撃用としても使用できる。ロシアにワグネルの復讐部隊が創られる噂があるし、パルチザンも参加するだろう、愈々長期戦の様相を見せて来ている。
 高性能戦車も随時配備されて来ており、F16 戦闘機の搭乗員訓練も済み次第機体も配備される。

 高性能装備と共にダンボール製兵器も多面的戦闘が展開され、ゲリラ戦も活躍するだろう。北朝鮮と相互支援が話題になっているが、経路は鉄道と空路で確保は容易である。
 中国は国内の大企業不動産企業の不況が表面化し大規模な支援を必要とし、国際的信用に関わる問題でロシアには全面的に支援は求められない。現在は北朝鮮との相互支援が具体化しようといるし、ロシアは武器・弾薬不足を北朝鮮に求めている。

 何れにしても国際的な政局も目まぐるしく今年から来年に掛け変化する、ウクライナ紛争は節目を捉えて和平交渉も行い、特にロシアにとっては武器弾薬不足と物価上昇で財政環境が厳しなって来ている。

 トランプ前大統領が言うには再選されれば紛争国の大統領と、忌憚のない意見を交わし何としてもウクライナ戦争を停戦協定させねば成らないと言う。
 此処はトランプ氏の再登場を期待して領土紛争は一朝一夕に解決は難しいが、解決の糸口を見出して欲しいものである。
 尖閣諸島、南西諸島、我が国周辺にも「やけぼっくい」に火が付かぬ様確り土台を築き、外交戦で和平を築いて欲しいものである。(岩重20230909)

 

《雑草・コラム》

日進月歩

 職業病か…いや

 個人的な内容で申し訳ないが、親父からの遺伝もあるのだろう、特に若い時は深酒し、夜中まで吞んでいた。今、体力は落ちても、気分だけは、あまり変わらない。
 最近、困るのは、少し呑み過ぎたら、次の日がなかなか思った時間に起き上がることができないこと。  なので、なるべく飲み会の回数を減らそうとしている、すると、若い時のようにいろいろチャンポンで飲んだら、次の日頭が痛くなる。

 先日も、講演会後の懇親会で、今日は飲まないで食事だけを楽しもう…と思っていたが、座ったテーブルが悪かったのか、流れの中で乾杯の時、グラスにはビールが注がれ、そのまま飲み続け、挙句は二次会まで…。まあ、意志が弱いだけなのだが、そして翌朝…。

 ただ、この仕事をしていて、いろんな人とお会いする。それも30代、40代のころとはちょっと違ったジャンルの人たちも多く、新たな出会いがあったりする。
 そうなると、どうしても流れは酒席へと…。呑み始めると、年齢とかを忘れ、しゃべり呑み…、そしてまた、後悔が繰り返される。
この生活はいつまで続くのだろう、というか、体力的にいつまで持つか心配になってきている。
 落ちた体力だからこそ、余計身体に影響があり、心までが蝕まれていきそうだと感じながら…。

 と思いながらも今週末からまた、続けて市外の3か所からお呼ばれし情報交換、親睦(酒席)を持つ。そうした中でいろんな情報をいただく…職業病か、いややはり意志が弱いだけか…。

 先日は、鹿屋経済同友クラブ例会で宇宙に関しての講演があった。 それは今、内之浦にロケット発射場があることもあって、宇宙に関する情報に接することも増えてきていて、そういう話になると、時間を忘れて話し込んでしまう。
 先々週だったか、鹿児島市内で農に関する自主映画上映会があり参加。その後の親睦会で宇宙の話で盛り上がり、今、垂水フェリーの最終が9時ということもあって、結局泊まり込みでいろんな話が出た。

 7日は、日本初の月面着陸を目指す月探査機などを搭載した種子島からH2Aロケットが打ち上げられ大きな話題となっている。
 宇宙の話に関しては、月探査機というととても注目されるのに、内之浦は?と思われる人も多いのだろう。科学的にはそうかもしれないが、今回の講演も、地域経済に関すること。

 内之浦からは、小型の観測ロケットが打ち上げられ地味かもしれないが、例えば、イーロン・マスク氏のスペースX社が展開する「スターリンク」、衛星インターネットアクセスの1つで3500機を超える衛星が打ち上げられている。
 ウクライナへの支援も行われ話題になったように、民間での衛星打ち上げが私たちの実生活を大きく変えようとしていて、経済と大きく結びついてくる。
 衛星打ち上げは、ホリエモンの北海道大樹町や和歌山県串本町など国内ではまだまだだが、この内之浦は日本の宇宙シーンをけん引してきた60数年の歴史があって、ここで民間の衛星、そして民間のロケットが打ち上げられるとなると、そこに付随してくるものは大きい。

学術的でなく経済的に

 学術的な宇宙は、これまで旧内之浦町が大きく支えてきた。今、国内でも様々な企業が宇宙分野に進出してきており、これが経済に結びついていくとなると、肝付町だけでなく大隅半島にも大きく広がってくるのだろう。
そういうことが目の前にぶら下がってきている。

 スペースX社の月周回旅行にZOZO創業者、前澤友作氏が乗り込んだように、いろんな起業家が宇宙に関わってきて、イーロン・マスクとは言わないが、衛星やロケットに投資していく人、企業が内之浦に目を付け、もっと動き出すとしたら、この地域は大きく化けるのだろう、宇宙城下町として広域に。
ただ、クリアーしないといけない問題もあって、さらにそういった機運をその地域自身が作り上げていかないとならないのだろう。

 そして話が盛り上がれば盛り上がるほど、そこに関わった人たちはこうしたことが現実に起こると信じている…そう思う。
盛り上がる話には、お酒がつきもの…?

 そういう日が続いて体力的にいつまで持つか、月旅行とは言わずとも、民間ロケット、民間衛星がこの内之浦からどんどん打ちあがるさまは、見てみたいものだが、親父からの遺伝のせいにして、呑み続けていると……。
 でも日進月歩という、月を歩く時代、民間ロケットが内之浦から打ちあがる瞬間は、案外と早く実現する、そんなことを思わせるような講演だったと勝手に思い込んでいる。(米永20230906)

 

《雑草・コラム》

戦線に何ならかの変化…

 プリコジン氏死亡確定で

 プリコジン氏の自家用機の墜落事故によって死亡が確認されて、諸説紛々に終止符がなされ誰が墜落事故を実行させたかと疑問が残っている。
 プリコジン氏の死亡が確定して今度は誰が暗殺を指令したかと、ネット上や噂がテレビ番組等で囁かれている。

 プーチン大統領は今回の墜落事故に関しては、一切関わっていないと否定しているので断定できないが、殆どの人は立場上否定せざるを得ない事を理解している。
 私は記述する上で最終決定は最高権力者が下すとしているが今回は構文上仮説と思うしかない。墜落事故機の乗員名簿にプリコジン氏の氏名が載っているとして、墜落死したと発表し哀悼の意を早々にプーチン大統領は発表している。
 事故機に乗っていた全員の死亡が確認され誰がこの様な墜落死を、時系列に克明に追い撮影したかを組織で無ければ連携は無理である。

 プリコジン氏の専用機が離陸したのは、二機で一機は爆発事故を起こし墜落し1機は無事に飛行場に着陸している。離陸間際に機体に不都合部分が発生し修理の為に出発が遅れていると、同乗した女性秘書が家族に連絡している。
 この様な事も不可解な謎の部分であり機体は外部からは、ミサイル等で撃たれた形跡は人工衛星にも熱感知器にも記録は無く、2回程爆発し1回目は垂直尾翼付近で、2回目は主翼の付け根付で爆発したのが画像で確認できる。

 高度8,500mで飛行中に白煙が出て高度が9,000mに上がったが、操縦士が安定を確認したのだろう。二度目の白煙が出た後には機体のバランスが崩れ、木の葉落としの状態からスパイラルに陥りその後落下していった。悲しい事だが即死だったので墜落の瞬間まで、凄いG(重力)が掛かったと思う、追憶の余裕は無いのではなかったか。

 プーチン大統領は旧ソ連時代のKGB出身で、エリツイン政権時代はマヒィアやオルガルヒ(新興財団)や政商が、群雄割拠する汚職国家であった。
 国家権力は弱体化し、社会主義の実現など望むべきものでなかった。プーチン大統領が就任して行なったのはマヒィアやオルガルヒの力を削ぎ、FSB(連邦保安局)や軍の言う治安機関を強化し、国家の威信を高めロシア社会の統合を強める事であった。

 プリコジン氏の反乱はプーチン大統領とっては国家に対して裏切り行為で、見逃しては今日まで自ら果たしてきた国家建設は何であったかである。
 プーチン大統領は公けの裁きを与えなかったのは、プリコジン氏の裁きは国民では無く権力エリト達に向けたメッセージであり見 せしめであった筈だ。

 国民の中で英雄化されたワグネルというシンボルに気を使いつつ、裏切り者には断固とした措置を与えなければ成らず、プーチン大統領自身が始末するしか無く組織で処置したと言われるより、自らが下したとした方が問題なく当然の帰結である。

政治的にも裏切り行為

 勿論裏切り者はロシアという大きな組織では規律を保つ為に止むを得ないのである。プーチン大統領は根本的な発想は国家権力の維持と、社会統制を確立しなければ成らない。
 FSBロシア諜報機関がショイグ国防相とグラシモフ参謀総長の更迭を迫り、反乱を起こした行為を軍紀からしても政治的にしても反抗で裏切り行為である。1日で反乱劇は未遂に終わったが、軍の中枢部も大統領府も無罪放免で許される事では無かった。

 弾薬の不足問題と侵攻作戦の問題等は上層部で決まったことを、覆そうとした事が軍紀違反と裏切り行為であった。
 プリコジン氏はウクライナの長期戦には必要無くなっていたので、プーチン大統領は何度となく提案をしたがプリコジン氏は拒絶している。

 此処がビジネスマンと軍人との見解の相違である。約2か月の間様々な折衝が在ったのであろうが、プーチン大統領の思うようには行かなかったのだろう。
 ワグネル軍の参謀と金銭会計の責任者もこぞって亡くなっている。ワグネルの首脳陣が後を引き継ぐものが誰も居ない訳は無い、あれだけの組織には有能な人がいると思う。

 ビジネス部門は何らかの形で残るが軍事部門は未定で、どうなるか関係者は模索中で、そっくりプーチン大統領の下には戻るかは不明である。
 墜落事故の原因は謎として残るであろう、その後のワグネルの軍組織はプーチン大統領の手は離れてFSBが動かすか、ショィグ国防相が軍直轄にするかである。

戦争が早く終結する事を祈念

 サンクトペテルブルクに行きは当分帰らぬ積もりで行ったのが、永遠に故郷の父親の脇に埋葬された。側近もそれぞれのゆかりの墓地に埋葬された。
 プリコジン氏もここ迄大物に成りプーチン大統領に反抗せず従って、東欧とアフリカでビジネスを発展させれば、まだまだ展開成長する筈だったがこれも運命である。

話は飛ぶが古今東西も裏切り行為は、良しにつけ悪しきにつけ嫌われる。1600年の関ヶ原の戦いで小早川秀秋は裏切りで勲一等の功績で家康は半日余で勝利を収め、宇喜多秀家の岡山城50万石余をそっくり継ぐが、2年後の1602年10月18日21歳で急死する。

 死因は様々取り沙汰されるが死因不明の謎である。無嗣断絶により改易されるのは徳川幕府初の処遇であった。徳川家康の生き様から考えれば刹那的な裏切りは、いつ何時又裏切りをするかも知れない処遇であった。

 余談を挟んだが今回の騒動でウクライナ戦線に何ならかの変化があり、戦争終結が速まるのではないかと思ったのだが、今回の事件を注視しウクライナ戦争が早く終結する事を祈念する。(岩重20230902)

 

《雑草・コラム》

時代の潮流に乗る…

 農と食の結び付きを考える

 曽於市末吉町の卵が、TV番組の中で出るよ…と聞いてびっくりした。
 それも話題のドラマ「VIVANT」だったからなおさら。

 本記事でも書いたが、その卵は、氷温熟成なま卵。
 私も届けてもらって食べている。鶏と終生向き合い、自然農法としての庭先養鶏、餌も自然由来のもの、今、飼料用のトウモロコシも育てていて、その畑も見せてもらった。

 鶏を育てているサテライツ㈱の川原さんの思い、考え方、そしてその鶏と卵をみせてもらい感じたこと。
 いま、全国で若い世代を中心に、有機、あるいは無農薬農業が広がりつつあるという。そうした流れを見ていると、これだけの労力、コストをかけ、健康~農~食~自然というテーマで頑張っている姿を応援したくなる。

 地域盛り上げ日本救う動き…

 先日も、別な自然農法農家の田んぼ、畑を見せてもらったが、慣行農業でないやり方は今後、地域を盛り上げ、日本を救う一つの動きになっていくのだろう…と思う。今は、そのスタートのとき。
 それも田舎、地方に移住をしてきた人たちが、追い求めているのは環境にやさしい生き方。自分も含め、子供たちに安心なおいしい食べ物で食卓を囲みたいということ。

 今、大隅半島の自然農ライングループが20人ほどいて、先日も関西方面から移住してきた家族が、さらに隣の空き家を手に入れ、周辺の庭に放置されているような果実等の加工場を作りたいという情報を発信していた。

 卵の話に戻る。もちろん、スーパーで売っている卵も食べるが、氷温熟成なま卵は、鶏にとって極上の環境で育て、餌にもとてもこだわっている。ストレスフリーな状態で育った鶏が産む卵、人にも優しいと思う。
 そこで獲れた卵を-1℃という氷温で熟成させている。

食べる側を考える農業

 凍結はしないが、卵が凍らないように自分を守ることで、普通の卵に比べると、タンパク質が分解されてアミノ酸になって、より栄養価と旨味が高まるという。
 テレビ番組で使われるということは、そうした地道な取り組みが認められた…ということなのだろう、うれしくなる。
 普通の卵からすると高価ではあるが、日常の中で定期的に口にすることで、自分の体も反応してくれそうだ。

 今この欄で、作る側の売る側の農業から、逆に食べる側をもっと意識した農業を…と訴えている。
 自然や食が豊かな大隅半島と言われながら、本当にその豊かさをこの地域の人たちが享有しているのか…、ずっと疑問だった。
 作る側では、その豊かさを共有している人たちはいるのだろう。しかし、実際ここに住んでいる人たちは本当に豊かと思っているのだろうか…と。

 自然の豊かさは、山とか川、海に行けば体感できるし、本当に豊かだと思う。
 「農」とともに「食」ということを考えてみて、地域の人たちにとっての「農」と「食」とに距離がある…。
 もちろん、結び付けて頑張っておられる方もいる。少し角度が違うのかもしれないが、今、移住してきた人たちと接してみて、農と食がしっかり結び付いていると感じる。

食のニーズ、地方のニーズ

 都会周辺では、一つの過疎の村に多くの若い移住者がいて、皆さん有機農法をし、それぞれが情報交換し、助け合って生き生きと生活、それが人口増にも繋がっているという。

 出来た作物を大消費地に…ということも大事で、慣行農家も大切だ。
 しかし、ここに住んでいる人たちにとっての食のニーズを考えると、どういったスタイルがいいのか…。地方に移住する人たちの求めているものは何なのか…。
 答えは、その地域の中にあると思う。

 移住してこられた人たちの多くは、「食」というものを根本から考えていて、特に子どもたちが口にするものには敏感だ。
 そう考えていくと、今、全国で大きく広がりつつある学校給食の流れ、いきなりは無理なので、そろそろ考えていく時期になっていると感じる。

60年を超す歴史、もっと活かそう

 少し長くなるが、来週9月5日(火)に、宇宙と地域経済の活性化~地方の新たなる挑戦~講演会が午後5時から鹿屋市のホテルさつき苑である。

 今、日本の宇宙産業の市場規模は1・2兆円、2030年には2・4兆円を目指している。国内でもいろんな地域が手を挙げているが、大隅半島には内之浦に60年を超す歴史を持つ射場がある。

 世界を考えると日本は少し出遅れている感は否めないが、九州では「九州宇宙開発推進協議会」が発足され、内之浦宇宙空間観測所におけるロケットの打上げ促進、設備の更新、新設・拡張、民間利用の促進などを訴えている。

 また、鹿児島県宇宙開発促進協議会も発足され、種子島・内之浦両打ち上げ施設の整備及び打ち上げ等への協力並びに航空・宇宙関連産業等の立地促進を図ろうと活動し始めていて、今後この大隅半島の大きな起爆剤になる。
 この潮流に乗り、サスティナブルな宇宙ビジネスの発展を実現するためには、地域全体で官民の連帯が不可欠とされている。

 聴講無料なので、この大隅半島に新たな形で夢を…という思い、少しでも興味のある方、ぜひ足を運んでみられたら…。(米永20230831)

 

《雑草・コラム》

真剣に状況を把握し

 バス横転事故で

 8月9日午前8時半ごろ鹿児島市春山町の県道で、国分高校サッカー部員30人を乗せた大型観光バスが横転した。

 運転していた62歳のバス運転歴15年の経験を有するバス運行会社「九州みやび観光」の社員で昨年の10月に入社した。全長12m巾2m30㎝の45人乗り大型バスで、永吉ダムから伊作峠に抜ける鹿児島市と日置市と吹上境の、山間部のカーブで道幅は約3m路肩には縁石は無く、雑草が生え緩やかな斜面に横転して止まった。

 運転台付近に土手らしき凹地で止まり、一回転していれば負傷者が多かったかもしれない。運転手は間違えて狭い道に入ってパニックになり、何故進んでしまったのか自分でも分らないと言っている。

 30人の高校生を乗せた大型バスが道幅3mしかない道路に、運転台がやっと入った筈だけど内輪差を考えれば、カーブの連続の道路は通行できないと直ぐ分かる筈である。大型2種免許を持ち15年間経験も積んでいるのに、初心者が言う様なパニックに陥ったじゃ済む問題じゃ無いと思う。

 前途有望な夢と希望に満ち溢れた高校生を、30人乗客として乗せている以上は我が身を犠牲にしてでも守る責任があるのである。

 地図で見る限りでは県道35号線で比較的道路状況は良いと見受けられるが、間違った道路は永吉ダム脇を通り伊作峠の分水嶺道路で、大型バスは通れない危険な道路である。間違えて這い込んだ時に周囲の景色と様子も違い道幅が狭く、その時点で車を止め35号線に戻るべきであった。

乗客に降りて貰い予定ルートに戻るべき…

 其れしか選択肢は無かった筈である方向転換する場所も無く、バックするには前進でやっと通った道で、ベテランが複数人で誘導しない限り不可能である。前に行くしかない状況に進退窮まり如何する事も出来ずパニックに陥いったのだろう。

 道の入り口4t車以上の通行禁止の標識が立っていてその時点で、乗客に降りて貰い予定ルートに戻るべきだった。全ては後の祭りだが何の仕事にも真剣勝負で取り組むべきで、運転手は不安があれば先導車か道案内の誘導者を会社に要請するべきで、恥は一時だが知らぬは大事に至る。

 私も過去に宮之城から国分に抜ける山間部の道路を通って帰る時、ナビを頼りに通ったがナビは確かに国分に行ける道だが道幅や崖っぷちの詳細は、記載されてない、山林の手入れをする人の処に車を降りて訪ねた。地元の人は詳しく教えてくれてその車なら通れるが、過去に路肩を踏み外し転落した事があった。

 この道は地元の人しか通らないので積み荷を積んでなければ、2t車迄は如何にか通るので前の轍の後を確り見て通る様に教えてくれた。方向転換できる場所は此処しかないのではと親切に教えて貰い、国分の集落が見えたので慎重に前車の轍を踏み外さない様に、抜けた時のほっとした気持ちは今も忘れない。

 内ノ浦から神野に抜ける道路で路肩に注意2トン車以上は通行禁止の標識が立っていて、トヨタのアクアだから行けると近道をした。夕暮れ近く明るい内に帰り着こうとしてしたのがいけないので、この道路は以前に軽4WDバンで通った事があり、長雨で路肩は見た目にも緩んでいて脱輪すれば大変と、慎重に前の轍を確り捉え時間をかけて通り抜けた。地元の人も雨上がりは迂回すると言う。

 話を大型バスに戻し高校生の引率者は同乗して居なかったのか。携帯電話かスマホの電波が途切れる山間地で今回の運行には、高校生を30人乗せて送迎させる関係者は、入り込んだ道路を運行させるには道案内を付けるべきか、事前にコースを下見する位にすべきだったと思う。

 地図を見る限りではこれで済んだのが不幸中の幸いと思う。乗客を乗せる関係者や同業者は「他山の石」と心して暗中模索で、行き当たりばったりで運転手任せにせず、真剣に状況を把握し充分に検討して乗客の安全の守って欲しい。(岩重20230826)

 

《雑草・コラム》

危機なのは
「地球」ではなく…

 私たちの心にダメージを

 最近特に、地球規模の山火事や砂漠化、氷河が溶け海面上昇、北海道や東北で最高温度を記録するなどの気候変動、大型化する台風、線状降水帯などによる記録的豪雨ほか、多くの出来事が身の回りで起こっているのがとても気になる。

 自分の周りの身近なことに関しては日々、安寧とは言えないかもしれないが、それなりな毎日を過ごしていると感じていて、ただ、見聞きする地球環境等のニュースは、どんよりとした雲がいつも私たちを覆っているかのようで、すっきりとした心持ちになれない。

 これらに加え、コロナウイルスや戦争、祖国や故郷を強制的に追われる避難民など考えると、それらが複合的に私たちの心にダメージを与えるのか。

 本当は、こういう時にこそ政治が世の中を変えていく力となっていくのだろうが、国民の多くは、さほど政治に期待していないのか。内閣支持率は乱高下し、今、落ち込んでいる最中だし、かといって野党の支持率は情けないほど…。無党派層が右肩上がりで増えているのが、その証拠。

 そういうことなので、選挙の投票率も過半数を切ることも多くなり、内閣支持率が3割を切るような状態で、この国の行く末を、どれくらいの人が関わって決めているのだろうかと考えると、輪をかけて目の前が暗くなる。

 かといってニュースも、岸田内閣の支持率が発足以来の最低水準に落ち込み、秋の解散がどうのこうのという。そうした報道が、若者をより選挙から遠ざけていくのだろう。

人類の歴史って…

 この5月ころからこの欄で、食の話や資本主義云々というちょっと小難しいことを書いてきた。

 食に関しては、地球規模の気候変動や自然災害などで、将来的にどうなっていくのだろうかという漠然とした不安があって、この大隅は食の供給基地と言われながら、それでいいのだろうか…といつも思いつつ、これまでとは違ったアプローチで食というものを考えていくべきだろうと、その漠然とした不安の中で思っているところ…。

 それも、豊かな自然があるからこそこそ、今から考えていたほうが…、それもこれまでの慣行農業とは違ったスタイルで…というそういう人たちも少しずつ増えてきているということ。

 資本主義では、私たちがこれまで求めてきたモノやカネの豊かさ、その裏腹な面として地球環境に大きな影響を与えていて、それが地球の危機という人もいるが、それは大変な間違いだということ。
危機なのは「地球」ではなく「人類」。

 46億年の地球の歴史の中で、約2憶50000万年前から6600万年前まで億万年単位で恐竜が地球の主人公であって、隕石落下によって恐竜の時代が終わったとされているが、人類は、アフリカ起源の初期の猿人から700万年の歴史を、恐竜のように外因ではなく、自らの原因で人類として住めない環境を作り出そうとしている。

 それは資本主義だけではないのかもしれないが、大きな要因。18世紀後半に英国で興った産業革命から、地球の歴史からするとわずか200~300年で、自らが住めなくなるような地球環境を作ってしまった愚かな存在ということになるのか。繰り返される戦争を考えるとなおさら。

 一説によると、今からどれだけ頑張っても、地球温暖化は進行し続けるという…残念ながら…。
 人類が滅びたとしても、恐竜ではないのだろうが、地球を支配する生き物は存在していく。それも数百万年単位でなく、賢く億万年単位かもしれない…。

 滅びるのは地球でなく、人類、とても悲しい話だ…、だからこそ…。(米永20230823)

 

《雑草・コラム》

鹿児島の人々に
夢と希望

 鹿屋中央、白熱伯仲した試合だった…

 神村学園対鹿屋中央高校の鹿児島県の甲子園出場を決める選抜高校野球は、白熱伯仲した試合を神村学園が粘る鹿屋中央高校を土壇場で突き放し、勝利して県代表に選抜された。

 9回までは互角に勝負を進めていたが延長に入り鹿中央が1点入れ、これで守りきればと思ったが神村学園の長打力が爆発して満塁で正林がタイムリーヒットで1点入り、岩下が3ランホームランを打ち8対5で逆転しゲームセット。

 神村学園はチャンスに強い2年生が長打力を発揮し、甲子園の切符を手に入れた。甲子園に行ってからの快進撃は説明する迄もなく、野球フアンは神村学園の試合はテレビの前に釘ずけであろうから説明する必要もなかろう。

 延長戦の見事な反撃で負けた悔しさよりも、神村学園の奮闘を願う気持ちの方が不思議に沸いて来ている。

 若し甲子園で1回戦で敗退してしまえば鹿中央校も大した強いチームで無いと評価され、人の噂から忘れされるである。だが2回戦を勝ち抜き3回戦で長打力のある北南を10対4で撃破する勢いに、上村学園の破壊力のある強さには、したたかさもあり本物であると確信しベスト8まで勝ち進んでくれて実力派は備わっている。

 準決勝と決勝戦はチームワークと試合の流れを観る総合の戦と監督の采配で、試合は決まると思うので相手チームをよく見極め選手と監督が一丸と成り戦って欲しい。

 雑草に記述する事は考えていなかったが、準決勝に勝ち上がり記事にする事が自然と沸き上がり10点を取る試合運びに、此処まで奮闘すれば十分重責を果たしたと思いパソコンのキーが勝手に動いて記述する事にした。

 神村学園の沿革は私立で神村学園は1956年に約67年前に設立され、串木野経理専門学校から串木野女子高等学校になり学校法人化して現在は男女共学となっている。高等部・中等部・初等部・認定こども園・専修学校・高等部通信課程を併設する総合学園で、約3,000名が在籍しており所在地はいちき串木野市別府にある。

神村学園奮闘祈る

 特に野球は全国的に名を馳せる高校野球界に新風を吹き込む全員野球に、新たに魅力を感じた私ですが対戦した相手校も最後まで諦めず、得点差を必死に試合に取り戻そうと挑む態度には好感を持った。

 準決勝はおかやま山陽との対戦と決まったと情報が入ったが、手強い相手で準決勝に勝ち残ったのは初陣で新進気鋭のチームらしい。私は花巻東との対戦かと思ってたが、花巻東は強豪で注目される選手がいるのでと思っていたが、おかやま山陽と対戦と第三試合で条件はいいので神村学園も夏の準決勝は共に初進出である。

 絶好の好試合のカードを引いたとお互にとってやり易い相手と思ったが、神村学園にとっては花巻東よりは組し易いかも知れない。おかやま山陽は2017年夏に初出場し、3回戦まで甲子園で上げている比較的に新しいチームである。総得点も22点であれば失点も20点と荒削りであるが勢いが付けば怖いチームである。

 神村学園の初回に得点し過去の試合の様に絶えず相手に勢いを与えない、試合運びをして万が一食らいついて来たら、鹿中央校を土壇場でひっくり返すねばり強さで断ち切って欲しい。その事が私達の地元の鹿中央高フアンにとっても、神村学園のいちき串木野の人々と鹿児島県の人々に夢と希望が湧いてくる。

 又、鹿児島県出身者にも元気を与えて欲しいしその熱気を、台風の様に吸収して優勝まで突き進むことを念じて止みません。奮闘を祈る。(岩重20230819)

 

《雑草・コラム》

ドローン兵器の威力は…

 自然に逆らわず   台風6号のブーメランの様に後戻りして勢力を保持し、途中の高温海水域でエネルギーを吸収し時速10㎞でジグザグ進路を取り進路をブーメランの様に180度進路を変えて後戻りする迷走台風は、やはり異常気象による海水温度が高くなっている為だろう。

 離島では場所によっては足止を余儀なくされガソリン等は10Lの配給で、軽自動車は如何にか助かったという。
 食料品等はカップ麺で急場を凌げるので今から先の台風シーズンは、確り予測を以て行動しなければ大変な目に合う。自然に付き合う為に常に自然に逆らわず、事前に先人の知恵を教訓に異常気象に対応して予定を組み乗り切って欲しい。

 ウクライナ情勢に一時ご無沙汰していた間に、今迄は一方的にインフラを中心にしてロシア側の攻撃に晒されていたが、ウクライナ側の反撃が始まった。
ダムの決壊や至る所に地雷や対戦車地雷と障害物を設置し、徹底的に奪還防止策を図られロシア側のクラスター爆弾使用に、ウクライナもクラスター爆弾で対抗する姿勢にロシアは躊躇する。
 兵器や物量からいけばロシアには敵わないとしても、モスクワへの高層ビル群に無人機攻撃をしかけた。迎撃撃墜すればビル群では、被害を受けるこの戦法は心理的にダメージを与えた。

 ウクライナ軍はロシアが実効支配するウクライナ南部のヘルソン州を結ぶチョンウンガル橋を攻撃したことで、ロシア側は半島の西側にあるアルミャンスクを迂回する、別ルートに頼らざるを得なくなり輸送の遅延をきたしてしまう。
 橋の修復は今の処見通しは立っていない様で、ウクライナはロシア側の占領地奪還を妨害する作戦に対し、強引に突破せずに肩透かし作戦に切り替えて、補給路に打撃を与えて物資輸送に障害をきたす行動に出た。

 ロシア南西部のカルーガ洲の知事は6日見明に、無人機1機が飛来して防空システムが撃墜した。ウクライナ国境に位置するロシア西部のべルゴロド州のグラトコフ知事は、7日飛来した無人機1機で被害を受けたと発表した。
 国境を越えて至る所で神出鬼没する事は相手への攪乱を来す為で、日本の戦国時代相手の防御の強弱を探査する為に使った戦法で、相手にストレスを与えると共に守備兵を釘付けにする兵法だった。

活路をみいだし大国に挑み奪還を

 規模で勝るロシア軍の混乱や補給能力防衛能力を低下せる為の目的もあり、反転攻勢を如何しても防御する為には手段は選ばずあらゆる防護策を講じた。ウクライナ側もクリミヤ半島と本土との間にあるケルチ海峡に、架かる橋も攻撃して通行不能にしてダメージを与えた。
 水上ドローンの開発に力を入れ約800㎞から1000㎞の距離を、時速80㎞で航行できる無人機の国産化を進め、独自の無人機部隊を創設する動きをみせている。恐らくロシア側も無人機部隊を創設し対抗するだろう。

 日本の小型無人機のエンジン、機体、無線操縦型、自律型コンピュータ内蔵型と農業・化学・漁業・観測・一般産業向けと多岐にわたって利用され、エンジン等は空冷水平対向気筒型で燃料はガソリン低回転域でトルクを出せる、長時間運転可能でラジコン界では国際的に定評がある。
 ウクライナにも在ると思うが何らかの形で、ノウハウを与える事は出来ないものか。ロシアの国力に勝る大国と対等に消耗合戦を継続しても、ウクライナ側は負けるのは必定で他国に頼るだけでなく独自で開発製作に力を入れて欲しい。

 ウクライナ政府は国海に面するロシア南部クラスノダール地方のノボロシスークや、ソチなど六つの港の海域が軍事的脅威下あると宣言した。ノボロシスークではロシア軍の大型揚陸艦「オレネゴルスキー・ゴルニャク」を、水上ドローンで損傷させ混乱を来したと云う。
 ウクライナが開発した水上ドローンは約800㎞の距離を、時速最大80キロで航行できウクライナ領内からロシア国内に届く。ケルチ海峡に架かる橋を攻撃した時も使用され、無人機の国産化を進めて最新鋭のビーバーの航続距離は1,000キロある。ロシアのタンカーをウクライナの水上ドローン攻撃で、自力航行は不可能になったという。

 この事に対して欧米諸国は何も触れずにいる。ロシアの国海艦隊も水上ドローン攻撃には手を焼いている様で、無人潜水ドローンも近い内に姿を現すだろうと言われる。
 やっと活路をみいだし小技で大国に挑み何としても侵略された領土を、奪還して欲しいと皆が願っているのは私だけではない筈だ。奮闘を祈る。(岩重20230812)

 

《雑草・コラム》

今までと違う次の次元へ

 現実に体感する自然の厳しさ
  ノロノロジグザグ台風で、多くの人たちが影響を受けた。直接被害にあった人もだが、沖縄に行ったきり4~5日足止め食って帰ってこられないという人、多くの予定がキャンセルになり、かといって外に出歩くのも危険、動けないというのもちょっと苦痛だ。

 かのや夏祭りなど金・土曜日にあったイベントはなんとかできたが、その後は延期や中止が続いた。
 今週末に流れ込んだ催しもあり、いつもとはまた違ったお盆前後になりそうだ。

 ただ、台風情報を得る一つの手段として、仕事をしながらテレビの音声に耳を傾けている。
 備えあれば憂いなし、もしものことを考え避難するのは、それはそれでいいのかもしれないが、ここ数回の大雨や台風など繰り返される情報で、ちょっと肩透かし的なところも否めない。

 もちろん大隅半島直撃しなかったこともあるし、とても難しい。特に2014年から使われるようになったと言われている線状降水帯。
 ここ数年で耳にすることが多くなったが、いつ自分たちが住んでいるところに現れるか予報も難しく行動にブレーキがかかってしまう。

 私は基本、取材はバイクで回ることにしている。一番困るのがゲリラ豪雨で最近とても多くなってきた。
 車だとそのまま走ることができるが、いったんこれに引っ掛かるとどこかで雨宿り、急いでいるときは合羽を着て強行、走り出すがヘルメットにはワイパーが無いので、前が全く見えないことがあり、シールドを上げて走ったら大粒の雨が顔に直撃、殴られているようでちょっと悲惨だ。

 かと言って、雲の流れにより敏感になっていて雨雲が怪しいときは車で出掛けても、全く降らないときがあり、それこそ肩透かし。

 何が言いたいかというと、ちょっと話が飛ぶが、逆に乾燥してオーストラリアやカナダ、アメリカなどの大規模な山火事。
 ここ4~5年でオーストラリアで起きた大規模な森林火災の焼失面積は、10万平方㌔mを超え、日本の国土面積が37万8千平方㌔m、九州が3万6800平方㌔mなので、豪州の消失だけでも日本国土の約4分の1、九州が約3つ分消失。カナダでもここ最近で約7万9000㎢、北海道とほぼ同じ面積を消失。

 一部の野生動植物は完全に死滅した可能性があり、生息地の多くを失った固有種も少なくないと言われている。
 これにブラジルやアフリカなどでの密林の伐採も考えると地球温暖化は加速し続けている。

 現実の生活の中で体感する自然の厳しさ、そして二酸化炭素を吸収してくれる膨大な森の消失、海洋の酸性化も言われ、干ばつもヨーロッパは過去500年間で最悪の状態だという。

自然の摂理に沿ったもの
 年甲斐もなく自転車やバイクで風を感じながら走るのが好きだが、大粒の雨を顔面、体中に受けながら走っているときは必死…。
 降りて全身ずぶ濡れから日常に戻るとき、私たちが小学校の時とか遭っていていた夕立とは大きくかけ離れたものを肌で感じるし、台風一つをとっても、私たち地球人は今までとは違った次のステージに入っている。
 皆さんも、コロナウイルス等も含め違う次元に入っているという認識を持っていると思うし、自然を相手にしている農漁業の人たちは、本当に肌で感じているのだろうと思う。

 そこはいつもこの欄で伝えている価値観の変化、多くの人たちが感じていると思うが、生きるということのより根本的なもの。
 人が考えた合理性や利便性というものとは違うもの、今ではAIも取り沙汰されているが、そこではない、自然の摂理に沿ったもの。

 山に入ったり自然と触れ、そこには山の神、水神さあ、火の神などの祠など多く目にし、大事にしてきた先達。
 田の神さあなど伝統的な祭りには、八百万の神が祀られ、自然と対峙してきた。それが海に囲まれ緑深い国、日本人の気質だと思う。

 私たちの目指すもの…、本当に大げさだが日本人だからできること…、この自然豊かな地方に住んでいる私たちだからできること、大げさを超えホラを吹くが、地球を救う何か…。(米永20230810)

 

《雑草・コラム》

復活再生を期待

 全国的に300店舗を展開
  ビッグモーターは名前の通り、中古車販売修理の総合自動車関連事業を営む会社で、全国的に300店舗を展開する会社に成長している。中古車販売・車検整備・板金塗装と経営手腕は凄いと思う。

 従業員6000名・売上げ7000億円を超す規模に成長した個人で立上げて、47年間で此処迄成長する企業はビッグモータ―そのものである。
 社長が山口県の岩国で店を開き此処迄発展させるには、並大抵の苦労と努力があったと思う。
 息子が早稲田大学の商学部を出て損保会社に就職しその後、父の会社ビッグモーターに就職し損保会社でノウハウを学び、会社運営に携わり順調に会社運営を行う過程で大きな事件が持ち上がった。

 テレビ報道や新聞等で知る限りでは誇張もあると思うが、車の損傷具合は全て修理現場の見積担当社員が、損保会社のアジャスター(損害査定員)が検証して損害見積りを協定するのが普通である。

 私は50年以上自動車の車体整備に携わっていたが、修理工賃等は指数表があり工場の規模や修正機器等で、指数がランク付けされており(損保会社の内規)修理する者とアジャスターとの協定によって修理費が決まる。

 各部品の価格表は最新の価格や取替工賃等などはきめ細かに揃っている。損傷度合いが大きな車や車枠修正フレ―ム曲がり等は、工数を出して指数をはじき出す。  ベテランアジャスターは修理者の技量や経験則から協定はすんなり行くが、未経験なアジャスタアで協定出来ない場合は、大型車など鑑定調査士が来て協定するのである。

 損傷位置と高さや侵入角度・終息位置や抜けた位置と、アジャスタは事故形跡や損傷経過を検証する。  靴下にゴルフボールを入れて叩く、塗装面に傷をつけて損傷額を多くする等は、プロが見れば故意に付けたかは分る。タイヤはねじ付ビスを捻じ込むのはタイヤの材質が良くなってバスしない。  少しずつ空気が抜けるし修復は生ゴムを充填すればよい。板金修理代の水増しの件はアジャスターが承認すれば、査定額は問題ない筈である。

 損保会社も多少のオーバー額は認めるとしても、一律に十四万円以上の水増しを慢性的に認めていたのは損保側にも問題がある。

 街路樹の剪定を当局に申請すると其処だけ必要が無いと断られたという。つつじ等の花き類もそこだけする必要が無いと断られたという。乗用車の展示場は綺麗に環境を常に整備して置かなければ、その車の商品価値を保つ為に、雑草が生えておれば店長は上役から叱責され成績が下がる。止む無く除草剤を蒔いて枯らしてしまったと言う。歩道の美化と展示車の視界をよく為に行った行為という。

 当局の指導も展示場の環境整備に他社との優劣に懸命の企業に、この程度の選定なら良いと指導が出来なかったものか。ユーザからの告発で無く部内告発から問題が派生しているが、保険修理代の水増しも全国各店舗に指示され損保会社は認めていたとすれば損保会社側も黙認していた責任がある。

親睦外交と国の守りと
 内部告発は一部の者(左遷等の不満)からか、複数営業所からあったかを調べ、車検は分解整備せずペーパー車検でクリアーが状態化したとすれば、悪質でこれも真偽を調べ許せない事である(当局の指導の怠慢もある)。6000人の授業員もいるので重箱の隅を突けばどの会社も有ると思うが、会社全体が悪の温床なのか一部の上層部の不正なのか、調べて指定取り消ししか無い。

 6000人の授業員もいるので重箱の隅を突けばどの会社も有ると思うが、会社全体が悪の温床なのか一部の上層部の不正なのか、調べて指定取り消ししか無い。  克明に事の次第を調べて6000名の社員全部が不正に関与したとは思えない。  責任ある立場の者は不正の代償の厳しさは分かっている。損保側から事故見積に疑問が出ないのは、損保側の責任もある筈である。  その環境が常態化してしまったのは、アジャスターレスで損害額を顧客が納得すれば、良いシステムが水増しの温床に成ったのだろう。

 パレスチナの住宅やオリーブ畑を潰し土地を収用する事もあった。一度居座ると立ち退くことは無いパレスチナ問題は、局所的な場所で二つの悲劇がぶつかり合っている。

 損保側は同罪の責任はある筈なのにトカゲのしっぽ切りで、業者側に全て不正を取らせ損保側は責任逃れをする。  相当な担保を取っているから損をしないシステムになっている。此処まで新聞テレビ等で叩かれれば、経営陣が替わってもユーザ―離れして再生復活は、余程身を切る覚悟で再スタートしないとは厳しいだろう。不正に関わっていない従業員もいる。

 ビッグモーターの不正で損害を受けた顧客に納得いく補償を行うことが先ず大切で、従業員の生活確保が一番の案件だろう。ビッグモーターを一代で築いた気力があれば全てを投げ出し、損害を被った顧客に補填し納得すれば再生の道は開かれる。ビッグモーターだけでない関与の差はあれ、協同の責任もあると思う。一代で築き上げた企業をこの様な形で因果応報と始末されるのは悲しい、誠意を尽くし可能な限り復活再生を期待する。(岩重20230805)

 

《雑草・コラム》

人生は一度限り
今日は一日限り

 不運は不幸ではない

 先日、早朝からお電話いただいた。
 再審の協議が進められたいた最中での袴田事件のニュースを聞いてのことで、もっと社会が、市民が声を出すべきだという。

 同事件においては今年3月、東京高裁が再審開始を決定、東京高検は最高裁への特別抗告を断念。早ければ年内に無罪判決が下されると期待されていた。
 しかし静岡地検は「袴田巖さんが真犯人である」と有罪立証をする方針を明らかにしたため、その期待が崩れ去った。

 再審無罪は間近と思われていた中での検察の揺り戻し。

 袴田巖さんは87歳、これまで57年戦い続けてきた。
 無実を訴え再審を求め続けている事件は、この地域でも大崎事件があり、原口アヤ子さんは96歳。

 再審を訴え続けるその内容を考えると検察や裁判所の判断は、私たちの一般社会常識とはかけ離れている…、特にこの2つの事件では強くそう思うし、志布志事件や高隈事件など冤罪は、自由や名誉といった基本的人権を脅かす、深刻な人権侵害でもあるのだろう。

 電話の内容は、本人や弁護団だけでなく、もっと社会が関心を持つべきで、そうしたことも書いてくれということだった。

 以前書いたことだが、布川事件のドキュメンタリー映画「オレの記念日」の上映会と、冤罪被害者桜井さんのトークが志布志市松山であった。

 桜井さんを12年間追い続けて作られた映画。その中で、再審無罪となった桜井さんが袴田さんを訪ねていく。
 袴田さんが最初は、会うことを拒否するする場面がとても印象的だったが、何回か訪れるうちに話をするようになる。

それぞれで心が震える

 桜井さんの壮絶な人生、と思うが、桜井さんの前向きな日常が映し出され、また、がんで余命1年の宣告をうける中でも、それを受け止め笑顔で語る、その姿に観ている側は何とも言えない感覚になる。

 上映会&トークが終わったあと、映画のパンフを買い求めサインをしてもらった。
 「人生は一度限り 今日は一日限り」という言葉とともに。

 そのパンフレットの中には、「『不運は不幸ではない』という言葉にたどり着いたその日々を多くの人に知ってほしい」という言葉が記されていた。

 原口アヤ子さん、袴田巌さんにも、桜井さんがたどり着いたそんな言葉を残して欲しいと心から思うが、しかし……。

 電話で言われた、冤罪についてもっと社会が関心を持つべき…ということなら、「オレの記念日」は、自主上映会ができるし、この映画の金聖雄監督は、『袴田巖 夢の間の世の中』「狭山事件」の『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』や『獄友』など冤罪被害者をテーマにした映画を作っていて、それぞれ自主上映が可能だ。

 今、このタイミングでこの地域だからこそ、とも思う。

 最近は、他のジャンルでも自主上映会に接する機会も増えてきて、それぞれで心が震える。自主上映主催者にとても感謝している。
 この地方に住んでいて、どうしても情報が偏りがちになる、そうでない何か…、そうした訴える内容に触れる機会が増えれば増えるほど、その地域がポジティブに動き出すきっかけをもらえるような気 がしている。  自分一人ではどうすることもできない境遇に陥ったときでも、周りとの関りの中で、不運は不幸ではない…と言える、そんな心持ちに少しでも近づけたらという思いをも込めて。(米永20230802)

 

《雑草・コラム》

繰り返される
紛争や苦難だが…

 70年以上も続く紛争の歴史
 栄光への脱出という3時間半に及ぶ映画を大分前にみた事を今思いだしたのは、ウクライナの侵略戦争とは違う民族対立の70年以上も続く、イスラエルとパレスチナ人の紛争の歴史が今以て報道される。

 ウクライナの侵略戦争はプーチン大統領が2014年に一方的に侵略し、クリミヤ半島をロシア領にしたことに先ず奪還する迄は停戦に応じない。と今盛んにロシアからの補給路の連絡橋の破壊する戦いの最中である。

 ロシア側がクリミヤ半島他を返還すれば戦争は終わるが、先ず簡単には終わりそうもない。民族対立の紛争で無いのでプーチン大統領が替われば、和解の道は開けるかもしれないしロシアも、内情は下手をすれば内乱含みの様相の様である。

 べラルーシもワグネルを配下に組み込み軍備力を強化すれば、また展開が新たなステージに変わるかもしれない。この話題は暫く経過をみるとして、パレスチナ問題に触れてみたいと思う。

 ユダヤ人は2000年前にパレスチナの地をローマ軍に追われ、世界各地へと散らばって行った。国を追われ流浪の旅人となり悲劇の連続で生き延びてきた。
 各地で迫害を受けながらキリスト教が広がり、イエスキリストを十字架にかけたのはユダヤ人だと実際はユダヤ教会司教幹部の対立であったのである。

 ドイツでの虐殺は言うまでもなくホロコーストの生存者を乗せて、イギリスの委託領パレスチナに向けて出航する。
 不法移民船エコスノダス号の話は要約するとやっとの思いでパレスチナに辿り着き、パレスチナに念願であったイスラエル国家を1948年にユダヤ人が建国を果たす。勿論イギリスの統治領であり了解を得て二度と迫害を受けない強い意志を持つ人達である。

 この事でイギリスは此の地に長い間住んでいたパレスチナ人70万人が居住地を追われ離散する。イギリスがパレスチナ人にも建国を口だけでなく、地域を指定して置けばよかったのがユダヤ人は苦労人で人が嫌がる仕事をして、金融業で財力を成していた。
 パレスナ人とは背景が違いイギリスは財力の方に利用価値を求めたのであろう。

 今パレスチナに住んでいるヨルダン川西岸とガザ地区は、イスラエルの占領下に成っているガザ地区は種子島程の面積に約200万人が住んでいる。
 人口密度が高い人や物の封鎖が続き、天井の無い監獄と呼ばれていて武力衝突が起こると、地域一帯が瓦礫と化しインフラは破壊される。

 国連が学校や病院を運営したり食料を無料で配ったりしているが、私達が当たり前に思っている最低限の生活も出来ない状況である。

親睦外交と国の守りと
 一方ヨルダン川西岸は完全な自由では無いが、今はイスラエルから物資やお金は入り許可があれば、イスラエル側に働きに出る事が出来る。最近はショッピングもできガザ地区とは大分様子が違うという。

 ヨルダン川西岸には入植地という問題があり、パレスチナはイスラエルの占領下にある。ユダヤ人が住み着いてイスラエルの土地として既成事実をしたのが入植地という。この地を中心に約130ヶ所あり40万人のユダヤの入植者が住んでいると云う。

 パレスチナの住宅やオリーブ畑を潰し土地を収用する事もあった。一度居座ると立ち退くことは無いパレスチナ問題は、局所的な場所で二つの悲劇がぶつかり合っている。

 イスラエルのバックには米国が付いて居り、パレスチナにはアラブ・イスラム世界が付いているので、大きな対立があり未だに解決が難しい状況が続いている。その理由は2000年前に遡りローマ軍が西暦70年に、ユダヤ人王国の神殿崩壊し追放から(ディアスポラ)が本格化する。

 世界各地に散らばって行く悲劇に耐え、苦難の歴史の末に掴んだ国家である。(1914年第一次世界大戦は複雑な戦争で割愛する)イラク大統領がアラブ人独立国家を約束するが、アメリカと湾岸戦争で敗れ9・11同時多発テロやその関連責任と、イラクでの独裁政治などの罪に問われ、2006年イラクの裁判で死刑判決後4日目に執行される。

 只ユダヤ人の国家建設は支持していたと言われる。中東戦争は民族紛争が絡む問題で、ウクライナとロシアの戦争はプーチン体制が替われば、解決すると思う。戦争の無い平和な時代を求める為にも親睦外交と並行して、国の守りは絶対大切にしなければ成らない。(岩重20230722)

 

《雑草・コラム》

世代的な責任…?

足るを知る、空や無
 最近ふと思い出すことがある。
 「吾れ唯足るを知る」。
 以前、本紙にずっと連載をしていただいた川上高氏の「閑話休題」のマークとして「吾れ唯足るを知る」が使われていた。  川上さんら、戦後の混乱を生き抜いて来られた「足るを知る」世代。  そして、高度成長期でモノが溢れ、飽食の私たちの世代。  それを挟んで、今からの若い世代は、どう表現されるのだろう。

 「足るを知る」ということもだが、
 最近はさらに「空(くう)」とか「無(む)」ということを改めて考えている。

 世の中にある物質や、人としての肉体や心も、絶えず変化し移ろいゆくものであり、実体を持たない存在「空」だといい、目に見える姿はもちろん、目に見えない感覚や認識、意志や意識という心のはたらきでさえも、確かなものではなく「空」だという。
 宇宙観のような一つの法則として捉えることができる…とされる。

 そして「無」。
この「空」を前提としながらも、その「空」さえも「無」にする。
つまり、全ての固定観念を「無」にする。私たちが得た知恵も、たどり着いたであろう「空」という悟りも未完であって、永遠に完成しない「無」だという。
 完璧に到達するゴールも、得られる完成形もない、常に自分の心を「無」の連鎖に染み付かせれば、価値観が変わっていく…とされる。

 こうして自分で書いていて、考えが頭の中で交錯し、自分でも分からなくなるときもあるが、この「空」と「無」がぐるぐる頭の中で巡っていく中で、何か腑に落ちるような自分の心がフワッと軽くなる瞬間がある。

新しく考え直すきっかけ
 いろんことを試行錯誤し結果として「無」と言われると何か落ち込むような気がするが、自分の心がフワッと軽くなると、そこから次の何かに進めるような気がする。

 自分を何のこだわりもない状態に置けるような感覚が、自らを一段上に上げていくという形に繋がり、全ての囚われから解放されるという。

 「無」が、自分の中にある固定観念をリセットし、新しく考え直すきっかけをつくる。

 閑話休題~「吾れ唯足るを知る」では、満足することを知っている人は、貧しくとも幸せであり、満足することを知らない人は、たとえお金持ちであったとしても不幸である…ということを伝えて下さっていたのか。

 モノに不自由なく育った世代が、今までの生活をこのまま続けていこうとするのか。
 それともこれから先、そのツケを自分たちで何とか少しでも収めようと考えて行動していくのか。
 はたまた次の世代にそのまま丸々残してしまうことになるのか。

 今、少しずつだが、こうしたことを真剣に考える人たちが集まって、そうした輪の中に呼ばれることも増えてきた。

倫理や哲学的なものに触れる

 「足るを知る」や「空」とか「無」を意識せずにしても、宗教という枠を超え、倫理や哲学的なもの、そうした考え方に触れていく。

 人の持つ、煩悩や限りなき欲望、だからこそ人の生活、営みがあって、それが人間の生き様…ということもあるのだろうが、私たちの世代が作ってきた社会、本当にこれで良かったのか、YESという部分と、NOという部分。。

 それぞれが努力され、また、そんなこと言っている余裕はないという環境にもあるのかもしれないが、目に見えない何かが私たちを動かそうとしている…、時代が「空」とか「無」という空間のようなものに私たちを引き込もうとしているのかもしれない。

 だいぶ頭でっかちな話になってしまった。
 またまた、話が戻ってしまうが、ここ数回書いている「自然と人との循環」「人と人との調和」ということを考えると、そこに舞い戻ってしまう。

 そして、そういった人たちの輪に吸い込まれていく。
 人によっては、だんだん生きづらい社会になっていくという。私たちの世代が、これまで求めてきたものだけでない、心がフワッと軽くなるような生き方の教えのようなもの、これからの世代へもっと伝えていける環境づくりも、世代的な責任として必要なのか。

 そのために具体的にしなければならないことも、うっすら見えてきていると思う。
 いきなり現実に引き戻すが、それは豊かと言われるこの大隅半島の「食」ということも、これまで囚われてきた固定観念をリセットし、「新しい価値観」によって持続可能な形で次の世代へバトンタッチしていくこと。

 今、少しずつだが、それも動き始めている。(米永20230719)

 

《雑草・コラム》

少子化に対応し男女共学
未来に輝く楠隼校に

保護者らの反応は…
 県立楠隼中高男子一貫校の男女共学が、2026年から実施される様になると先日のテレビで、塩田県知事は郷原拓男県議の質問にたいして表明した。

 この事に付いて在校生の保護者達や卒業生達が、知事に面会して方針を撤回る様に求めた。

 公立では全国初となる全寮制の中高一貫校の生徒募集を募るとして2015年に肝付町に開校した。
 教育についてユニークな発想で向学心に燃える児童や保護者達には、願ってもない朗報と全国から問い合わせや話題を投げかけており、内之浦の宇宙空間観測所JAXA のスタッフも授業を行う事を特色としている。

 教育委員会が行った去年共学化について、6月のアンケートでは36名の生徒の内、今後を含めて反対の回答が44%反対し、賛成が41%で、卒業後に実施して欲しいが8%であった。
 保護者75名のうち今後を含めて反対が37%で、賛成が30%、高校卒業後に実施して欲しいが22%であった。

 保護者の話によるます在校生や卒業生が、共学化の方針を撤回する様に求める署名活動が行われ、保護者の間でも方針撤回を求める要望書を集める動きが出ていると言う。

巾広い人格形成も協調性も大切
 ただ最近の当校への受験者の動きは0.83倍となり、23年度は0.17倍となり定員割れが年を追う毎に落ち込んできている。どこの学校でも言える事で特に最近は少子化が顕著に表れている。
 この傾向は一過性の問題でなく今後も続くことは必定で、根本的な対策を講じなくては成らない時に来ている。

 確かに講師陣は多彩な顔ぶれで鹿児島大学理工学部の研究科、半田利広教授の宇宙の広がりをテーマとした多彩な知識を身につける講義を受ける。
 又この地の薬丸野太刀自顕流が、薩摩の示現流と言われる過程など知る幅広い教養も学ぶ。

 楠隼校は男子だけしか学べない教育を全寮制にして出来ないとは一体何なのか、ここの学校の特色は教育の中身でその教育を受けられるのが男子だけの為ではない筈だ。

 女子が苦手な生徒の為の学校では無い、巾広い人格形成も協調性も大切である。受験者が少なく成って来たので女子も門戸を広げるのでなく協調性も肝要である。

 建学当初の高邁な理想を心に秘め集う若者達を男子だけの特典が、通用しない社会環境に成ってきている。必然性に順応する教育も必要で英才教育には、心理的にプラス思考で挑まなくては受験戦争に勝ち残れない。

 厳しい社会現象の中での少子化の対策に政府は取り組み、少子化是正の対策を必死に模索している。
 即解決する問題ではない向学心に燃える青少年に既存の環境で対応するか、ここまで整えた環境を女子生徒にも機会を与え活性化を促進するか。

東大3年連続合格

 全国的に少なく成る受験者数を小規模精鋭の教育進学校とする方法を在るが、塩田知事の考えも郷原県議の言う事も十分理解できる。十分に保護者や関係者に説明責任を果たし、悔いの残らない改革をして欲しい。

 令和5年度の入試結果は東大3年連続合格者を出し、東北大、筑波大、島根大医学部、鹿大医学部、熊本大、新潟大、愛媛大、兵庫大、長崎県立大、宮崎、北九州、公立大学。私立では早稲田、慶応、上智、明治、立教、青山、東京理科、西南、藤田医科大他、以下100校他が合格者を出している。

 追加で九大、北海道大、東京農大、熊本大、山口大、琉球大、群馬大、関西大、関西学区院大、立命館大と国立大学が合格している。補足が長くなりましたが所在地の永野町長も、少子化で止むを得ない時期が来るので可能な限り町行政として可能な限り支援したいと談話を知る。

 時期を同じくして伝統ある鹿児島商業高校も男子校だったが長い歴史に終止符をうち.男女共学の方針にして更なる発展を遂げたいと報道された。
 経緯は違うが少子化に対応して男女共学を、保護者や生徒も地域と共に納得の行く未来に輝く楠隼校に期待したい。(岩重20230715)

 

《雑草・コラム》

地域の中で
さらに大事なこと…

持続可能な食料システムの構築
 今、超スマート社会、ロボットや生成AIなどで社会が大きく変化して、第4次産業革命ともいわれる。
私たちの生活が大きく変化していく過程にあるのだろう。

 ただ、今私たちが現実に直面している社会問題として、ここ数回書き記しているように人と自然と自然との循環ということに対し、もっと私たちが進んでいくべき方向性や答えになりそうな何かをもっと議論していくべきではないかと指摘されている。

 それは今、盛んに唱えられている企業や市民と共に進めるSDGs。これも手段であって目的ではない、SDGsウォッシュ(なりすまし)で満足している感もあるのでは…とも指摘されている。

 現在の消費社会は、地球を二つ分必要としていると言われる中で、日本ではゴミの分別とか実践されているものの、根本的なエコロジーな循環型社会についての研究がしっかりなされていない。

 ここ数回で紹介している自主上映の映画会などに接してみて、自然との関り、食や農について深く考えさせられるものがある。
 それは、より効率化を求める社会、無限の経済成長を求める社会が、困難な状況に置かれている人々や地域を生み、人々が途方に暮れコミュニティが壊されている現状。

 それは東京など都会でない、この大隅半島などの地方がもっと出来ることがあるのではという思いがもっと強くなっていく。

物質的要求が満たされるより…
 今、全国でも学校給食をオーガニックでという運動もかなり進んでいて、国も持続可能な食料システムの構築のため、みどりの食料システム戦略で有機農業産地づくり推進を強く進めようとしている。

 より効率化を求める社会、無限の経済成長を求める社会に対して警鐘が鳴らされ、特に若い世代でも、物質的要求が満たされるというより、より良い生き方を考え、もちろん経済的な安定は必要だが、儲けるというモチベーションが重要では無いのだろうと感じるような場面にも接するようになってきている。

 私たちの世代でも、今の生活をずっと続けていると資源と環境の限界が来ることを感じ、そこまでの資本の蓄積が重要では無いのではという思いから、既存のシステムではない何かを求めようとする動きも感じたりする。

機運が高まっていく地域は…
 そこには経済優先ではなく、自然や文化を楽しんだり、哲学や歴史、文学を学ぶことで問題解決に必要な見識が見えてきたり、教養ある想像力豊かな人たちによって安定した持続可能なシステムにたどり着くことができるとされ、今投資すべきは教育であるとも言われる。

 自らの歴史や文化を理解しているところは、そうした機運が高まっていく地域なのだろう。

 自然豊かで、食材が豊富で農が盛んとPRするのであればあるほど、大人はもちろん、旬のものをその時期にしっかり食べ、子どもたちの食育を考え、よく言われる安心安全な…ということなら、これまでの既存のシステムでない何か、今、この大隅半島では学校給食のセンター化が進み、今から始めるところもあるが、もうすでにそれらは、今の時代にそぐわないものになりつつあるのか。

 特に人と自然の循環、人と人との調和を考えていくならば、合理化、効率化優先でない既存のルールが書き換えられる、そうした時代の入口に立っているのだと思う。子どもたちのために、地域のためにも。(米永20230713)

 

《雑草・コラム》

タイタニック潜水艇ツアー

外国人の死生観…
 タイタニックは1912年4月14日処女航海で英国のサンサンプトンを出航し、同日11時49分北西洋で氷山と衝突し翌未明に沈没する。

 その沈船を遊覧ツアーで深海探査艇タイタンが潜航して、約2時間後に通信が途絶えたニュースで持切りだった。

 大分前に映画を観た時に巨大な豪華客船が氷山と衝突して、乗客が救命ボートに乗ろうと大混乱の中ロマンチック処では無く一夜が明けると沈没してしまうショクキングな悲しい映画化であった。

 多くの方がカラー映像でテレビ放映されたので、下手に説明しないのが良いと思う。当時海難事故では約1500名の犠牲者を出したのは、初めてで殆どの犠牲者の遺骨は収容されない儘と思う。

 3,800mの深い海底では容易に遺骨収集は出来ず、その状態を観光ツアーするとはバチが当たると思った人も多かった。
 地縛霊・浮遊霊として成仏できずにさまよう処に、物見遊山は日本人には考えられない。外国人の死生観は理解に苦しむ。

 実際に潜水艇で観光ツアーに出かける事に異論があり、危惧した様に行方不明になった。
 米国とカナダの沿岸警備隊が捜索に向かう、カナダ東部ニューフアッドランド島の南700㎞の海底に、船首部分と船尾部分が折れて沈んでいる。

 潜水艇は捜索を開始して見つけるのに時間がかかった。4日分の酸素を積んでおり深海から救出するか難問であった。
 ロボットアーム付深海作業艇も出動していたが、不幸にして潜水艇が爆縮した残骸が船体の沈んでいる500m前方で発見され、遺体も確認され全員死亡と判断された。

 観光ツアー運営者側は3回目の潜水で、前回の搭乗者の話では前面展望窓付近から1500m深度で、漏水があったと言う。潜水艇を運営する元責任者が2018年の同社を巡る訴訟で、確りテストして改善しないと、深刻な危険に晒されると警告をしている。

 オーシャンゲート運営局長を務めたデビッツロクリッジ氏は、シアトル連邦地裁に文書で非破壊検査をせず深海に、航海させることには同意できないと通告した。
 潜水艇の安全管理に対し会社の経営陣は改善したのか。安全性に対して第三者による破壊検査と、バッテリーや通信系統の改良は必須だと警告したと言う。

 死亡したのは大富豪の事業家であり探検家のヘイミッハーディ氏と、パキスタンの大富豪シャザタ・ダウッド氏の息子と友人ダイバーに操縦士〈運行責任者〉5名である。

何時の時代も謎めいた話あるもの

 話題を変えてタイタニック号は全く瓜二つの姉妹船、オリピック号が前年建造されている。事故にあったタイタニック号とすり替わったと、その噂は私も聞いた事があったが、そんな事が…と噂話と聞き流していた。

 オリンピック号は進水後まもなく9月にイギリズ海軍の巡洋艦と、接触事故を起こし大破しているがオリンピック号が悪く保険は出ない。
また続けざまに浅瀬に乗り上げ、スクリュウ欠損しキール(船体の竜骨)に歪みが出る大事故を起こしている。この船は長くは使用できないと言われたが、しかし24年間使用された。

 タイタニック処女航海直前にオリンピック号の船長と交代し、石炭庫の火災も出航日まで消火できずわざと延焼して船体の弱体化をさせている。
 双眼鏡もロッカーの鍵を忘れ扉はこじ開けず巨大な氷山を目前で確認し、速力22ノット時速約41㎞で左側面に激突、170mに亘り亀裂が出来る。

 船体が自重で折れる事は設計上許されないので、石炭火災で脆くなって折れたと言われる。全長270m4万6千屯の安全重視の船が14日の夜衝突し翌朝未明に沈没する、1523人の犠牲者と生存者は710人で救命ボートも足らなく想定外だったと言う。

 水温は4度以下で救助に来た時には生存者は殆どいなかたった。船体船首部にⅯPとスペルが読み取れる写真を見た時、何時の時代にも謎めいた話はあるもので船体建造費50万ポンドの保険に100万ポンドかけており犠牲者の補償等に充当されたと言う。
 何時の時代も謎めいた話はあるものでやがて残骸も噂話も朽ち果てるだろう。(岩重20230708)

 

《雑草・コラム》

土砂崩れは、大地の深呼吸

風の通り、水の通り
 映画「杜人」を観た。

 高隅山系、国見山系、稲尾山系の山々をめぐり、大隅半島の照葉樹林帯が地域にもたらす豊かさを感じてきたこともあって関心を持ちながら観た。

 例えば、山々の植生に関することとか、照葉樹林帯と里山の関係などいろいろ考えてきたが、この映画ではそれとはまた違った、もっと深い自然との関り、風の通り、水の通りというのがちゃんとあって、その通りを人の力でコンクリート等で埋め塞いでいる現状があること。
 それは、人の血流と同じようなもので、塞いでしまえば、そこに病気が出てくる。

 庭とか身近な林とか、水たまりなどは、移植ゴテとのこぎり鎌があれば、その風や水の通りを変え、人にも心地よい環境を作り出すことができるということを伝えていた。

 そして、山々に入り林道を歩いているとき、砂防堰提をあちこちで見かけるが、最近の豪雨もあってか、堰堤を壊し土砂等が溢れている現場を目にすることも多い。
 そうしたことについても、「土砂崩れは、大地の深呼吸。植物は大地の命を必死で支える子どもたちだ。」という。環境再生医の矢野智徳さんの言葉だ。

 桜島の砂防とか違い、大隅半島は緑深き山々が連なっている。そうした中に林道が走り、その上下で土砂崩れが起こり、それをまたコンクリートで固め修復している。
 ただそれも、「コンクリートが敵ではなく、空気の通りさえ作ってやればいい」という。

これまでとは違う新たな価値観で

 全国での様々な例を紹介しながら、山の斜面が崩壊した道では、「ここの改善は、この地形を埋めることではなくて、滞りを生み出したこの道の、抜きの改善をちゃんと確保してやると、地形はこわれなくなる」と。

 今、線状降水帯が通った地域は、この大地に何らかの爪痕を残し通り過ぎていく。法面が崩壊している箇所は、何らかの形で人の手が入ったところ、あるいはその周辺が多い。

 それらについても「この一帯の谷筋が、筋をなして崩落しているのは何が原因か分かりますか。原因はここじゃないんです。下の砂防ダムです」として、「崩壊することによって空気が抜けて安定しようとする。
 砂防ダムで止められた比率分、全体に空気を抜くためにこういう調整が必然的に起こるんです」とも。

 これから土砂崩れや床上浸水等が年を追うごとに増えていきそうな気配だ。そのたびに大きな被害が出ることになる。
 その被害に対してもだが、その修復のために大きなお金が充てられ、それらは際限なく続いていくのかと思うと別な意味でも怖くなる。

 それは、「土砂崩れは、大地の深呼吸」という言葉を知らないまま、これまでと同じような手法で修復が続いていくと考えるとなおさら。

 私たちは今、人と自然との調和や循環ということを、「食」の今の現状とともに、真剣に考えていかないとならないときに来ているのだろう。
 そして、何度も書いていることだが、そこに気づいた人たちが次々とアクションを起こしている。

 食については、身近に私たちでできることもあるだろう。ただ、こうした大きな災害復旧などは、私たちの手の届かないところにあるのかもしれないが、映画を観て市民としてこうした声を上げていくことは出来る。

 コロナウイルス感染が私たちに与えた影響、そして繰り返される戦争、頻繁に起こる災害についても、本当は直接間接的に人の営みによって引き起こされていることをちゃんと知り、そこは人の手によってでしか変えることができないということ、その上で、これまでとは違う新たな価値観によるものでないと持続可能な社会実現は難しいということを認識していくことが求められていくのだろうとも考える。

 前回紹介した映画も含め、それらが示唆されている内容だと思う。
 これまで当たり前だと考えてきた私たちの日常も、少しずつでも変えていく努力が必要なときなのだろう。(米永20230706)

 

《雑草・コラム》

新たな景色はどう展開?

中途半端な結末では…
 ワグネル創始者のプリコジン氏が、プーチン大統領への反乱の話題で持ち切りである。ワグネルは戦争の請負企業とする組織で軍人上りなら、中途半端な結末では済まされない。

 日本の戦国時代は謀反裏切や下刻上は常に行われていたが、失敗すれば絶対許されない行為であった。

 島津藩主忠恒は伊集院忠棟を上意討ちで誅殺し、嫡男の忠真は父の敵と主内の乱をひき起こした。本家島津藩との戦い大きな争いに成ろうとしたが、徳川家康が仲裁に入り忠真は受けるが、三俣氏・伊藤氏・相良氏と加勢を申し入れて来たが和解した。穎娃に1万石で召し抱えられる。

 他藩に入封したいと家康に申し出るが、家久は許さず二度の和議で決着が付く。忠真の妻は島津義弘の娘であり荘内の乱は関が原の戦いの前年で(1600年)、藩主家久(忠恒を改名)は島津義弘に忠真を警戒して兵を多く派遣出来なかった。

 義弘は少数の兵で東軍から警戒され加勢は不要と断られ結局は西軍として、動かず退き口を正面突破で犠牲を強いて帰着に成功する。
 翌年義久は家康に謝罪に行く途中、忠真も同行して都城の野尻で鹿狩り最中に誤射で死亡する。家臣の誤射の責任を取り自刃して決着が付くがが、家臣の遺族の息子に役職を与える。

 忠真の兄弟3人と母親ら直系一族は、殺害されて忠真の憂いを断つ。裏切りや謀反の咎は厳しく処断された。また関ヶ原の戦いで裏切りの勲一等の小早川秀秋は、岡山城55万石に加増し大出世する。

大きな裏切りをした者は又…

 2年後に鷹狩りから帰途に体調を崩し21歳の若さで急逝する。大名達から裏切り者と陰口叩かれ酒の急性中毒死か、某殺か死因は不明である。
 大きな裏切りをした者は又何時裏切りをするかも知れないと、家康流だろうと囁かれた。

 余談が長くなったがワグネル創始者は、シリア、中東、アフリカ諸国で軍事活動を展開して、企業では食料品販売や飲食店運営等に成功している新興財団のオーナである。ウクライナで侵攻する迄は認めてられなかったが、ワグネルはロシア軍の影響下にある別動隊として実態を裏つける様になった。

 兵員募集に受刑者を動員させたり成功報酬を積み上げ、遺族への補償を拡充させたり経営才覚は新たな方策の感覚を敷いて兵員を集めた。経営者が戦争は金を掛けても、元は取れる企業と見て取ったのは良かった。

 全てはプーチン大統領が言う事を聞いてくれたからである。プーチン大統領の腹心のショイグ国防相とゲラシモ軍参謀長に、弾薬等の補給を寄こさないと文句を言う挙句の果ては更迭を迫る。全てはプーチン大統領の指示である。

 ウクライナの侵略を暗に批判をする有様にロシアは6月初めに、ワグネルを直接傘下に置く意向を固め国防省のニコライパンコフ次官が、国防省と直接契約を結ぶ様要請した。
 プリコジン氏はプーチン大統領が指示した事を知る。部下を失えば裸の大将となり思い悩んだ末の行動が、今回の反乱劇であと一歩の処で未遂に終わった。

 ベラルーシのルカシエンコ大統領とは、20年来の旧知の間柄で仲裁に賭けたのであろう。問題はルカシエンコ大統領がワグネルの運用資金調達を考えているかである。 身の安全の為に精鋭の兵士は失わずあと一歩踏み込んで動静を見極めて。
 ロシア空軍のトップ上級大将・ロシア軍副総司令官(当局に拘束されたか?)や、石油の財閥も支援を感謝すべきである。

 今と成ってはルカシエンコ大統領の船に載って、上手に乗り切るしかしか無いだろう。其々の思惑を充分勘案し相手を見極め、警戒を欠かさず、時には駆け引を駆使し相手の動きを常に見て、ウクライナ戦争を終局に導いて欲しい。
 ルカシエンコ大統領と新たな景色に目覚め命を賭けたプリコシン氏は、鶏群の一鶴となって生き延びて欲しい。(岩重20230701)

 

《雑草・コラム》

時代の変化に制度が
追いついていない現実

一つの社会現象…
 「希望の給食」「タネは誰のもの」の自主映画上映会があり、周辺地域の元首長、現職市議会議員らも参加して、上映後の意見交換で、それぞれの感想や自論を述べていた。

 今度の日曜、2日には「杜人」の上映会、そして8月には「夢みる小学校」の上映会もある。

 これらは、私たちの生活に本当に密着した食や農、自然、子育てや教育などで、今のこの大きく変わっていく現実の社会に対して、制度やシステムが追いついていかないことに気付いた人たちが危機感を持って映画を作って、それもそこに気づいた人たちがそれぞれ共感し、上映権付DVDを購入し、それを500円とかの入場料で自主上映を行っている。

 「タネは誰のもの」は、私も10数人のグループで上映会をしてもう3回観た。
これは鹿屋でもそうなので、全国となるとどういったムーブメントとなっているのだろうか…とも思う。

 今のマスメディアでは取り上げないような、それは意識してかどうかは分からないが、かといってネットでの情報もとても興味のある情報はあふれている一方で、こうしたちょっと重たいテーマは好まれない傾向にあったり、フェイクニュースもあったりするので、こういったスタイルで意識の高い人たちに観てもらおうと、自主製作映画が多くつくられているようだ。

課題解決に逆行している
現実を突きつけられ

 これらアンダーグラウンド的な動きが、ここまでくると、底辺というよりも、身近な社会問題としての課題を現実に突き付けられている…そんな気にもなる。

 また課題解決どころか、輪をかけ逆行するようなことも進められているからこそ、こうした一つの社会現象が起こっているのか。

 前回のコラムでも、「それだけでは地域は活性化していかない」というタイトルで書いた。

 要は、既存のシステムや制度、マスメディアなど既存の考え方、感覚ではない、その枠の中で行動していくと、とても窮屈で、自分たちというよりも、自分たちの子や孫がそれ以上に窮屈な思いをして暮らしていかないといけないのか…、自分たちのこと以上に思いを重ねている人たちが自主映画を作り、各地で上映会が開かれているということなのか。

 なので、こうした新たにチャレンジしていく気運があったとしても、その周り、顔色を見ながらでアクションが起こせない地域は、取り残されていくのだろう。

 数年前の私の1年間のテーマは「ポジティブな逸脱」だった。逸脱という言葉を使うとちょっとマイナスなイメージがあるかもしれないが、ネガティブではなく、能動的に積極的にこれまでの枠を超えて、前向きに逸脱していく。そうでないと逆に周りから逸脱されてしまう。

 今、本当にそうした時代になっているのでは…と上映会等の取り組みを見ていて感じる。私の場合、かなり逸脱されそうにはなっているが…。

今は少数だが…
 自主上映会のあとの意見交換では、今回の映画だけでなくネットとかもずっと見ていて「今のこの世の中、自分たちの知らない大きな力で動かされている…というのがよく分かった」と語る参加者もいた。
 今のこの大きく変動していく社会の中で、テレビ(NHK)でも「ショックドクトリン」ということが伝えられていて、そうしたことに早く気づいて、小さなことでも、今できることを行動に繋げていくことなのか。

 今、次々とこうした上映会が開かれている。
 そこに集まる人たちは、今は少ないのかもしれないが、これが底辺から表にニョキニョキ出はじめてマイノリティからマジョリティに移っていくのだろう。

 映画を作った人たちや既に観た人たちと、これら情報を食わず嫌い的に遠ざけていき、例えば少しずつ話題になっていって1年後観たという人との間には、何か大きな差が出てくると思う。

 「杜人」、「夢みる小学校」には、それぞれネットで予告編もあり、これまであった「希望の給食」や「タネは誰のもの」にもある。
 観ていただいて、本WEBでも内容が紹介してあるので、ぜひ7/2「杜人」、8/13「夢みる小学校」にも足を運んでもらいたいと思う。(米永・20230629)

 

《雑草・コラム》

独自外交を深め日本周辺
海域の安寧を祈念

沖縄と台湾の歴史…
 習近平国家主席(以後習近平氏と記す)の6月4日に、沖縄に関する発言を報じた事が波紋を広げている。

 今更沖縄を琉球時代に遡り琉球王朝は清との冊封関係にあったという。清の従属国の有無は関係なく小さい島国乍ら人口約17万人で独立した王国であり、外交儀礼的の延長戦であったと思う。

 私がどっきりした事は、習近平氏が琉球王国は武力で、沖縄を領土化した事を今以て言及する事である。
 この発言は台湾問題に日本が米国と共に関与する事への牽制だと思う。台湾は日本の植民地であったが無条件降伏で、1951年サンフランシスコ平和条約により台湾を放棄している。台湾問題は解決済で触れないで欲しいと思っているのではないのか。

 沖縄は確かに薩摩藩が武力を背景に1872年に琉球王朝を琉球藩とし、1879年(明治12年)には沖縄県として併合する。

 清朝は反発したが1895年日清戦争に勝利して、尖閣諸島を沖縄県に併合している。 「琉球処分」と一口に言うが琉球王朝約450年間続いた歴史には相当な軋轢や不満が渦巻いていた。
 当初はクーデターがあり農夫が40年間続けたが対外的に尚氏と呼称し、その時代を第一尚氏王統と言い、それ以後を第二尚氏王統と呼び19台続き琉球王朝は消滅する。

 1609年薩摩藩は3000名の軍勢で首里城を占拠し、表向きは中国との交流はその儘にして、内実は島津藩と徳川幕府の従属国で微妙な国際関係の中で存続した。

 首里城から国王尚泰を追放し沖縄県を設置するのである。
 「琉球処分」は早い話が、武力の背景で行った行為と習近平氏は力説する。
 紆余曲折の末の様々な事があり、明治政府は、近代国家に向け各種の制度を着手し近隣諸国との国境を確定する必要があった。

 琉球と清との冊封関係を廃止させる為でもあり、明治政府が安定する途上で幾つもの難問を抱えており、国際問題化せず回りくどい琉球処分をしなければなららかった。

 話を戻し沖縄は先の大戦で周辺諸島を含め米国に占領され、施政権も主権も失ってしまった。その後情勢の変化で米国は占領した沖縄本島と、周辺諸島・尖閣諸島も返還したが、沖縄本島の米軍基地だけは全部返還せず、指定した基地は除外条項で米軍基地として日本側は同意した。

 中国も米国と共に日本と戦かったのにと不満があるが、中国が南太平洋進出を阻止する為に沖縄は全面返還しなかった。将来の憂いを排除する為の戦略を当時から奇遇していた様だ。

 中国は、米国の軍事と経済の政治に異変が起これば、尖閣諸島や南西諸島に展開する恐れがある。

 沖縄本島は米軍基地がある以上侵攻出来ないが、米軍が撤退すれば中国は沖縄侵略の大義名分が立つ。戦略上沖縄の米軍駐留は止むを得ない守護神である。沖縄住民には私達は何時も犠牲を強いて済まないと思う。

 台湾問題は日本が軍事支援は介入せず、平和的外交なら問題ないのでシャトル外交も必要と思う。

 沖縄問題を絡めて解決済の事例でけん制しているのは、中国は過去の歴史を充分認識しており、国力の過信をせず米国とも対話を望んでいる。

 先日米国のブリンケン国務長官が中国を訪問し、習近平氏も快く迎へて今後に期待した矢先に、バイデン大統領の不用意な発言が外交に影響を与えるかである。

 日本は中国側と、親睦外交は構築して米国の言いなりで無く、コロナ禍後の経済もお互いに低迷しており、独自外交を深め日本周辺海域の安寧を祈念したい。(岩重20230624)

 

《雑草・コラム》

それだけでは地域は
活性化していかない

意識をもって始めた人たち…
 地域の中で有機農法や自然農法に携わる人たちと接する機会も増えてきた。
 自分やその家族がアトピー等になり、今の食の安全性に疑問を持ち、せめて自分たちが口にするものだけは安心なものにしたいという思いの人たち。

 そうしたグループの人たちの多くは、今の社会に対していろんな意味で違和感を感じたり、「人と自然との循環」ということをその言葉で表したりはしないが、言葉の端々にそうしたニュアンスが見て取れる。

 今、この地球環境が大きく変化し、この社会も大きな変動があって、私たちの目に映らないところで、大きな何かが蠢いている。
 そうしたことに不安を感じている人たち、多くの人たちはそれを肌で感じているとは思うが、何をしていいか分からないという人たちも多いと思う。

 「人新世」という時代、人間が科学の発達とともに「炭素社会」を生み出してから地球環境が大きく変化し、他の動植物にも多大な影響を与え続けている。

 それは、他の動物にない欲望を持つ人間。
だからこそ生まれた資本主義社会のなかで、飽くなき成長を求め、それが社会の歪みを産み、さらにグローバル社会が拍車をかけ、メガ企業や一部の企業に冨が集中していき、二極化していく社会。
世の中の富が循環しないだけでなく、自然の循環をも壊そうとしている「人新世」。

小さなことでも
自分たちでできること…

 今は、この大きな流れに全体として対抗出来やしないが、自分たちでできることを何か始めようという人たちだと思う。

 これは勝手に私が考えていることなので、周りの人たちには失礼に当たるのかもしれないが、自分たちの思いの底では、こうした資本主義社会ではない、別な何かを求めようとしている、その表れではないかと思ったりもする。だいぶ大袈裟だが…。

 それは富を追い求め、飽くなき成長を求めるというより、意識せずとも「人と自然との循環」を目指した生き方をチョイスしているということなのだろう。

 今の若い世代は、給料が高いというよりも、休みの多い職場を選んだり、職場の中でもお金より休みの多さを希望する人たちも増えてきている…という話も最近耳にする。

 今、全国で都会から田舎に移住する人たちも多く、それは今まで求めてきたものとは違う何かを求めて移り住んでくるということでもあり、その深層には、はっきりとした意識はないのかもしれないが、今の社会に対する不信感のようなものがあり、その思いが勝った人たちなのだろう。

 もちろん、今の資本主義社会を変えることは今々出来ないし、今の経済の循環を止めることはできない、今の枠組みの中で地域の政策等も進めていかないとならないのだろう。

大きな社会変動の中で
シフトしていく過程…

 ただ、それだけではもう地域は活性化していかない…、そうしたことにシフトしていく過程にあるのだろうと思う。

 そこに気づいた地域や人たちがいて、そういった地域や人たちがさらに磁石となって、同じ思いの人たちがまた集まってくる。全国にはそうした地域、まちが増えつつあるようだ。

 さてこの大隅半島、そうしたことに気づいている地域はあるのか。

 今、戦争や自然災害も含め、そうした機会をも自分たちの富の中に入れ込もうとする人たち、しかもそれを意図的に進め魑魅魍魎とした社会の中で生かされている私たち。

 地方に住んでいるからこそできることを、自分たちのこととして気づき、それを小さなことから具体的な何かで進めていく人たちがもっと増えて欲しいと思う。

 くどいようだが「人と自然との循環」。「人新世」という時代が今後、どんな結末を迎えるのか、その鍵となるもの…。(米永・20230622)

 

《雑草・コラム》

吉野ケ里遺跡に期待も…

全国から観光客、リピーター
 佐賀県吉野ケ里遺跡の謎のエリアで未発掘の石棺が見つかり、発掘調査して石棺を覆う蓋を開けてみた処、土が詰まっていて内部から赤色顔料が塗ってあった。

 土の表面とか蓋の裏にも赤色顔料が付いていており、今回三か所目で担当者は赤く塗っているのは、高貴の人の墓ではないかとの事で期待が膨らんだ。

 畿内でも邪馬台国存在論が話題に上がるが、吉野ケ里遺跡の謎のエリアで卑弥呼の墓が見つかれば、この論争に終止符がなされると思った。副葬品等も出土は無く今後詳細は分析する発表されたが、数日後に卑弥呼の墓で無いと発表され残念であった。

 吉野ケ里遺跡は当時の生活様式を忠実に再現しており、古代史愛好家には堪らない施設環境になっている。全国から観光客も多いしリピーター多い、弥生時代にタイムスリップする約700年間の生活様式を再現をする重要な歴史公園になっている。

 国営54㏊と県営63㏊が平成4年から整備され、1991年国の特別史跡に指定され整備が整っている。大分前に国立宮崎大学で考古学シンポジュームがあり、邪馬台国は九州説と畿内説の著名な考古学者が持論展開した。

永遠の推測論争…
 結局は確証がない限り永遠の推測論争であり、邪馬台国は何処に存在したか古代史愛好家には夢とロマンを掻きたてるイベントだった。

 私は古日向にも西都原古墳や、宮崎県の福島の資料館を数回足を運び、串間や志布志湾岸の地域に手掛かかりを求め彷徨した頃を思いだす。

 当時は南九州の邪馬台国説の考古学者は見当たらず、2019年の初頭に広島県尾道市に在住する河野俊章氏が、ずばり「大隅邪馬台国」の著書を出版して志布志湾岸地域から東遷した歴史にも触れ、魏志倭人伝の一部の字句修正で里程表が総て収まる。

 私は唐仁古墳の1号墳と100号墳は樹木に覆われているが、航空写真を見ると前方後円が姿を現わしている。魏志に書かれている高塚の部分の墳長を要約すると155mとなる。鹿児島大学考古学室では154mと実測して一致する。

 神話伝説の神武天皇東遷説は古日向(志布志沿岸地域を含む)地方から、出立したのは柏原河口から東遷した史実も神話も検証している。

古代史を観光立県…大隅肝属も
 上野原遺跡の弥生後期にはその地から移動した形跡も、錦江湾内の福山町の宮裏宮の神武天皇船出の地と合点がいく。この地域の一族は柏原で集合して経路は日向の美々津を経て、佐伯・吉備地方を経由して大和地方に東遷を果たしている。

 南九州の古墳などに用いられる朱色の丹(防腐剤・不老長寿)を、求めて奈良地方で採れるので以前から交流があった。元々が航海民の子孫で航海術は長けており、船材の杉や樫は串間が産地であり航海術に著書で悩んでいたが、観天望気等の経験則から心配は要らなかった。

 南九州新聞社主の米永氏が古代史を詳細に力説しており、今更私が記載することは無い。宮崎県は古代史を観光立県として上手く確立させている。上野原遺跡は県営であり大隅肝属地域と遺跡群は数え切れない程ほど無数にある。

 子孫は脈々とその地域と共に生き永らえている。雨上りの古墳周辺の耕作地より霧島連山はくっきり姿を魅せ、神話伝説と遺跡の新たな発掘を以て古代史の里として、何故上手に演出が出来ないのかと私達に問いかけているようだ。(岩重・20230617)

 

《雑草・コラム》

人と自然との循環…改めて

大隅半島に住む私たちだからこそ…
 今、この大隅半島にもクルーズ船のツアー客が、関係者の努力によって少しずつマリンポートから高速船で古江港に着いて周遊するようになってきた。

 大隅半島に観光客と言えば、新婚旅行客が宮崎を訪れるとともに、佐多岬にもそれなりのハネムーン客が来ていたという話も聞いた。宮崎にはピークの1974年に約37万組が訪れたとあり、高度成長期のいい時代だったのだろう。

 ただ、今の豪華客船に乗って…というのは、いろいろ話を聞くとコロナ前のインバウンドも含めて、その当時とは違う富裕層、それも桁外れのお金持ちがいるという。
 特にここ30年来のグローバル社会からの富裕層は、戦後のそれとはまた違った富の動きがあり、しばらくはその傾向が続くのだろう。

 前回に引き続いてだが、これは個々人の能力とかを超えて、制度やシステムの問題ではないかとも感じていて、資本主義とか小難しいことは、3~4年前から書いてきた。

 その当時も含め将来的にもっと、生きづらさを感じる人たちが増えてくるのではないか…、本を読みながらも漠然としたもの感じてのことだったのが、だんだんそれが現実として身近に迫ってきているような気がしている。

SDGsの根底にあるもの…
 今、SDGsとかが盛んに言われ、私たちはこんなことをしています…ということも聞いたりするが、根本的なこと、今のこの矛盾した社会を作った一つの要因というか、大きな原因は資本主義が引き起こした現象だということが底辺にあることを理解していないと、しっかり根付いていかないような気がする。

 貧富の差、格差は、もちろん個々の能力もあるのだろうが、それを超えて今の社会そのものに歪みが生じてきているということ、特に地球環境を考えると「人新世」ということも含め、貧の側ももっと声を出し、冨の側もモノやお金の循環、自然との循環を自分のこととして考え、動き出さないといけない、ある意味危機的状況にあるという認識が必要なのだろう。

 それは経済生産性の大規模な拡大、大量生産・大量消費、こと足りる生活を超えた過分で莫大なエネルギー消費、それによる環境への影響といった20世紀半ばからの人類の営み。

もっと意識変え、認識深めて
 もっと難しくなりそうだが、カール・マルクスの資本論、原本は分厚く、触れたことはない。しかしその解説書等を読みながら、学校での教科書だけ、若い時に感じていた偏見、あるいはイメージとしての資本論は、今のこの現実を肌で感じながら、ほぼ180度意識が変わった。
 150年前の本ながら、この資本主義の矛盾を当時から指摘してた…という新たな認識を持つようになってきた。

 それが前回書いた「人と自然との循環」であり、「物質代謝論」を唱えている「資本論」。
 今の人間社会の持つ矛盾、資本主義社会、新自由主義とかグローバル資本主義をテレビ等でも評論家が声高に主張していた時代を今一度振り返ってみなさいという、ひとつのメッセージとして受け止めてみようという気になった。

 資本主義に代わる何かはまだ見い出せてはいなのだろうが、そのエッセンスになるものにもうそろそろアプローチしていくときなのか。

国も地方もパンクしていく…
 なぜそう思うのかというと、世界の流れというのは大袈裟だが、国の政策等をみていて、ある意味ふんだんに、地方に対する施策や補助金等があるとは思うが、本当に豊かな地方の資源を活かしたものなのかという漠然たる疑問。

 それは、地方の特性を活かすような「人と自然との循環」という視点がどこか欠落しているのではという思い。地方の側にも責任があるのだろうが、もうそろそろそこから脱却していかないと国も地方もパンクしていく…。
 加えて、人だけでなく私たちが活かされている周りの動植物の命、農も含め、それこそが危機的状況にあるという思い、豊かな自然を持つこの大隅半島だからなおさら…。

 しかし、そうしたことに気づいている人も少しずつは増えてきている…そんな思いもある。
 改めて「人と自然との循環」を都会でなく、地方からしっかり考えていきたいと思う。(米永・20230614)

 

《雑草・コラム》

奪還作戦の勝利を

 プーチン大統領とベラルーシのアレクサンドル・ルカシエンコ大統領との会談で、核兵戦術兵器の配備受け入れを正式に合意したと発表した。

 その後ルカシエンコ(以下氏と記す)氏は、持病が悪化してなのかロシアで治療を受けたと報道された。この事に付いて様々な憶測の記事が、拡散した様だが詳細は報道されない。
 欧州最後の独裁者と呼ばれ欧米とロシアを競わせて、双方から利益を得ている要領よさがある。

 2022年の大統領選挙ではルカシエンコ氏圧勝と政権側は発表し、これに対して起きた開票不正を訴えて大規模なデモが起きた。デモ隊を鎮圧する為に、プーチン大統領の支援を受ける。

 その様な関係で欧米側との関係が悪化して、その後はロシアとの関係を強化してプーチン氏の戦術核兵器の配備を、受け入れざるを得なかった背景がある。ベラルーシの政権批判が厳しい中に核配備兵器の合意には、批判が噴出して元々がパルチザンの(プーチン政権打倒)動きが激しい中に、ルカシエンコ氏の立場が厳しい状況になって来た。
ベラルーシに帰っても心の休まる処は無いし、プーチン氏の処が安全と思わるがどちらも針の筵である。

 ロシアでもプーチン政権への公然と批判が噴出し、謀反の火種が内紛状態に陥りつつある。何故ワグネル氏側に弾薬を充分与えないのは、若しもの場合に反乱の恐れの可能性あると警戒感があるからとみている。

ロシア国内の内情は…

 プーチン政権内で異変が起きているのは民間軍事会社のワグネル氏は、ロシアの正規軍は構築した陣地を捨てて敗走していると非難している。謀反の火種があるとロシア軍の指揮官の元大佐がプーチン氏を公然と批判し内紛状態になりつつある。

 地域的にウクライナ軍が反撃に成功していると声明を出すとパフムトとには戦略的重要性が無いと同地域を制圧する意味がないと否定する。それはウクライナ戦で多くの死傷者を出しているので、相当な不満が溜まっているからである。

 プーチン政権内にも戦場に於いても指揮系統に、相当な不満がある事を耳にしているが、ワグネル氏がポストプーチンを狙うとデマも飛び交う様に、戦場から離れると言い訳をするのである。

 ウクライナの反撃が本格的に間もなく開始されれば、ロシア側は一週間もすれば敗走するだろうとロシア内部の反撃をはね返す意識と、戦闘力に欠けているとワグネル氏は喝破している。

 雑草記事を記す最中にウクライナ南部カホフカ水力発電所の、巨大ダム決壊によりドニエプル川のロシア軍占領地で洪水被害が発生した。ウクライナ統治下より広範囲な被害状況である。双方共に破壊工作は水掛け論で敗走する側は、追撃を遅延する工作をすることは常套手段である。

 戦時抗戦中にこの状況を自陣に有利に展開する事が、最優先する事が先決である。今迄に住民を無差別に攻撃して於いて、堤防決壊で甚大な被害が出て人道的に許されないと即時戦闘停止をする事は否定的である。

 フランス・イギリスの報道では、ウクライナ側は救助支援を始め乍ら軍事作戦も遂行しているという。近隣諸国や赤十字に住民救援を願いロシア軍の侵攻した領土奪還は、ピンチを自陣に有利に展開し完全に駆逐するまで、辛いけれどもダム決壊は一朝一夕に回復できない。

 戦後に大規模な修復工事をする事にして、今は奪還作戦を優先しでウクライナの領土を取り戻す事である。敗走には侵略した施設領土に未練なく破壊し追撃を妨害するのは、戦争の常道で侵略行為の多くの犠牲者の為にも、奪還作戦の勝利を多くの国々も人々は祈念して止まない。(岩重・20230610)

 

《雑草・コラム》

生きることの根本的なもの

 鹿屋市大手町に生まれ、そこで高校まで育った。

 その間にほぼ等しい日本の高度経済成長期は、1955年(昭和30)~1973年(昭和48)までの19年間を指すとも言われていて、日本経済は年平均で10%もの成長を続けたという。

 私は昭和51年高校卒なので、この鹿屋のまちでも、当時の桜デパートが象徴だったように高度成長時代の息吹を感じ、その真っただ中で青春時代を過ごしたと言えるのか。

 私の小学生時代、鹿屋小のすぐ近くに住んでいて、そこから桜デパートがあった道路向い、今リナシティのあるところまでで少年野球チームが大手チーム、西大手チームとあったが、子供が多過ぎたため、特別に町内会の括りからはみ出し東大手チームも作り、5年と6年はピッチャーをした。

 野球をしていない友だちもたくさんいたし、女の子も考えると、そのエリアにどれくらい子どもが住んでいたのだろう。それだけいても、あるいはいたからこそ幸せな生活を感じて過ごしていた。
 その大手町には今、子供会が出来ないどころか子供がほとんど住んでいないと聞いた。

 一億総中流とも言われ、戦後の混乱からみんなが頑張り、子どもからお年寄りまでみんなが幸せを感じる、そんないい時代から今、何か居心地の悪い時代になってしまったのか。

 特に子どもたちが不憫な、それは私たち大人が作ったわけなので声高には言えないが、だからこそ、何か子どもたち、未来のために何か出来ることはないか…などと考えてみる。

私たちは今、本当に幸せ?
次の世代に何を残せる?

 少し難しくなるが、その原因はいったい何なのだろう…と考えていた時、2014年にフランスの経済学者、トマ・ピケティ著の「21世紀の資本」、日本でも水野和夫著の「資本主義の終焉と歴史の危機」、2016年に「閉じていく帝国と逆説の21世紀経済」、そして2020年斎藤浩平著の「人新世の資本論」などの本が出て、拾い読みもあるがそのエッセンスは感じた。

 飽くなき経済成長を求め、特にここ30年来のグローバル経済が大きく進展し利潤を求めるパイに限界を生じながらも成長を求め、その結果として地球環境にも変化をもらたし、格差も生み、それが広がる傾向に拍車がかかっているのか。

 トマ・ピケティ氏は、今までの経済学が「資本主義の発展とともに富が多くの人に行き渡って所得配分は平等化する」とされてきたのを、1980年以降の歴史的データを駆使し、「それは例外で、資本主義では格差が拡大するのが普通だ」としてこれまでの定説をくつがえし、「資本主義では過去200年間、格差が拡大し、今後も不平等が拡大する」として大きな反響を呼んだが、今、その通りになっている。

 資本主義自体も18世紀後半に英国で興った産業革命からであり、不変のものではないということ。
 さらに水野氏は、グローバル経済、新自由主義な政策を推し進めていくことは、間接的に民主主義の衰退を招く…とも指摘していて、今、投票率が50%を割る選挙が多くなってきた事実を見ると、それもその通りになっているのか。

 私たちはそろそろ、ここ10数年来、本当はもっと前から指摘されている「資本主義」に対して、その代わりになる新たなもの、はっきりとした姿は見えないのかもしれないが、もっとみんなが幸せを感じられるような別な何かを模索していく、特に子供たちのために考えていく責任があると思う。議論が進んでいけば答えは必ずあると思う。

 水野氏はさらに、答えは地方にある…とも示唆している。
 また斎藤氏は、地球全体を掘りつくして、商売の道具にしてしまう資本主義のツケを払わされるのは、今を生きる私たち、そして未来を担う若い世代…と言及している。

 また答えのヒントは、人と自然との循環にあるという。
 ただ、豊かなこの大隅半島の自然が本当に生かされているのか…。生きることの根本的なもの、豊かさとは何か、子供たちの未来はあるのか…もっと議論を進めていきたい。(米永・20230607)

 

《雑草・コラム》

潤いと繁栄を願って

 鹿屋商工会議所の役員交代で、新会頭に新屋浩一氏が選任された。新屋氏はリナシティや広場で開催されるイベントを観に行くと、お会する事が度々あった。特にハンディを持つ児童達の音楽祭でお会いした時には、熱心に器楽演奏している処を鑑賞し拍手と声援をする姿を拝見する事があった。

 会話を交わすと児童らがハンディをものともせず懸命に取り組む姿に、感銘を覚える話をしたのが印象に残っている。ある時は森小休(レスト&ライブハウス)で、ジャズライブがある時にも会いする事が多かった。モダンジャズが主であったが、ショパンのピアノ夜想曲を編曲した、愛情物語のジャズを聴くと感極まった。

 オーナーの中村えい子氏に時には、私達の馴染の曲を演奏して欲しいとリクエストする。グレンミラーの「星に願いを」と、セントルイス・ブルースを編曲して聞かしてくれた。新屋氏は黙って静かに聴いていたが、その後コロナ禍でライブも疎遠になった。
私は難聴が少し進み補聴器を通すと繊細な旋律が響いてこなくなり、ライブは疎遠になった。でも心に焼き付いた素敵な曲は心音で懐かしんで、ジャズライブでお会い出来なくなった。貴方の感性豊かな人間性が人々から好かれる所以であろう。

コロナ禍で沈滞化した街の活性化を
 商工会議所会頭はその巷の顔であり、あらゆる業界の動向を常に感じ取り提言を聞き入れ、行政に提言して活性に寄与して欲しい。鹿屋は海上自衛隊基地があり認知度が高く、無人機訓練飛行の話題で国防意識が微妙に変化してきている。

 この話はまたの機会とし、私がエアメモ開催時に何故ブルーインパルスのような、自衛隊の広報チームが海自にも出来ないのかと、群司令に詰問した事がある。空自には戦技訓練研究の大義名分があるが、海自には哨戒任務を拡大解釈しても無理である。

 何れ海自にも必要な時が来る迄待てと諭され、歳月を経て2019年千葉県であったレッドブルー(エア・スピードレース)に、以前エアメモで幾度か交流のあった室谷義秀氏もアスリート&スタッフとして、運営する世界的組織に特別参加し、海自の小月教育航空隊201教官達の結成したアクロバットチ―ムが、見事な飛行演技を披露した。

 チーム名はホワイト・アローズで、2018年10月に結成された間もないチームである。数々飛行演技にブルーインパルスとは違った、プロペラ機でしか表現出来ない機敏な美しさに観客を魅了した。恐らく航空フアンは海自に見事なアクロバット飛行を堪能させるチームが出来たかと、評価を受けた幕張の上空を舞うホワイト・アローズであった。

 コロナ禍で4年間のブランクがあり、その間にウクライナ侵攻が勃発し、国際軍事情勢や経済情勢も厳しい中にエアメモが4年ぶり開催された。今日まで様々な変遷を経てエアメモが継続する事は嬉しい事であるし、それ相応以上のエネルギーもいる。

 様々な経験をしてきた過去を教訓として、エアメモ実行委員会は大変でしょうが、運営資金は行政と民間が捻出し、機材運用は鹿屋基地にお願いして皆の知恵を結集して費用対効果を勘案しながら、鹿屋の街の人達の潤いと繁栄を願って地域の商工業関連業者を含め、行政・議会と対話交流を重ね、特にコロナ禍で沈滞化した街の活性化を、愛される人柄を大切にして新屋商工会議所会頭に託したい。(岩重・20230603)

 

《雑草・コラム》

兵器で戦い合うよりも
もっと怖い結果

 この大隅半島に住んでいて、とても住みやすいと思うときと、何だかとても窮屈と思うことがあり、それが最近、この世の中の変化もあるのか、せっかくこうした環境のいいところに住みながら、何か違う方向に向かっていると思うときが多くなってきているような気がする。世の中の変化についていけてない、というのもあるが…。

日本の国益もだが「地方益」は?
 この仕事をしていて、いろいろ調べている中で気づいたことがある。今後もそれが続いていくと思うと空恐ろしい…。
 だいぶ前書いたことだが、「年次改革要望書」というのがあり、それはアメリカの公文書にもしっかりと明記されている「アメリカ政府が彼らの国益のために日本政府に要求して実現させたもの」が数多くある現実を知った。
 それらを指摘した関岡英之著「拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる」という本が2004年(平成16)に発行され、「近年の日米関係のこの不可解なメカニズムのルーツを探り、様々な分野で日本がアメリカに都合のいい社会に変えられて来た」という文言にくぎ付けになり読み、当時周りに本を薦めたりしていた。

 そのきっかけは、郊外の大型店が栄え、昭和40年代前後で大いに栄えていた商店街がシャッター通りとなったのは、モータリゼーションの波で駐車場のない商店街でない、ロードサイド型の駐車場を完備した大型店に買い物客が流れていった…というのが要因だとも言われていた。

どんどん変わる法律…誰のために?
 それも一つの要因だが、この本を読んでいろいろ調べて、そのおおもととなるのは、大規模小売店舗法が、2000年(平成12)の「大規模小売店舗立地法」(大店立地法)の施行に伴い廃止されたこと。
 海外から参入障壁の象徴とされた流通規制、大規模小売店舗法(大店法)。大店法に風穴を開けることに一役買ったのが玩具専門店、米トイザラスの存在。
 茨城県阿見町に1号店を構え多店舗展開に乗り出し、黒船襲来と恐れられた。これが、対日進出の先兵の役割も果たし、日本の商いの風景を大きく変えた…とされている。

 これが、海外からの参入、流通規制に風穴を開けたとされ中央では外資だが、地方、鹿屋にも当時のダイエー(今はニシムタに)とかの大型店が進出。
 もちろんモータリゼーションの影響もあるが、桜デパートやまるはセンターなどが大きく影響を受けたのも、この大店法の廃止であり、それが外圧によるものだということも知った。

 そうしたなかで中心市街地活性化法が、地方の商店街を救う…と制定された。鹿屋市でもリナシティかのやが、周辺も含め約100億円の事業としてスタートしたが、大きな目的でもある近隣商店街への周遊は果たせていないのか。

 年次改革要望書によって変えられた日本の制度はその当時で、「建築家の資格の国際的統一」「建築基準法の大改正」「会計の国際ルール化」「商法改正」「指名競争入札制度の廃止」「司法制度改革」など。
 「拒否できない日本」では、「日米構造協議」(正しくは「構造障壁イニシアティブ」)を経て年次改革要望書が生まれるに至った歴史や、規制緩和を平然と押し付けてくる傲慢な性格が形作られた背景などが綴られている。

地方に住む私たちが出来ることは何?
 グローバルな大資本に対しては地方の中小、零細企業は、太刀打ちできない。それを国が法律で決める。
 今、地方、特に田舎に行けば行くほど消滅集落などと言われる。地方が住みにくくなったのは、地方の小さな商店が継続できなくなった環境、もちろん人口減少、少子高齢社会が大きな原因だが、そうした法律によるものも一因だと思っている。
 しかも、人口減少も20~30年前から指摘されてきたことが、いまやっと子ども家庭庁の設置、しかも内容や財源はどうなるのか…というところ。

   前置きがとても長くなった。
 これらもとても大きな問題であり、私たちがもっと意識を高めていかなければならない。ただ、今大きな問題になっているのは、種子法廃止、種苗法改正である。
 これまでは商工業などのルールに対してのことだったが、私たちの「命」に関わる大きな問題だ。
 これが、今までの論理で法律が変えられている。結果的に日本独自の文化、地方文化も廃れていくことに繋がっているのか。
 今のこの世相で、兵器で戦い合うよりももっと怖い結果になる。一部の人たちは気付いていてアンダーグランドで動き始めている。国に対してもだが、まずは自分たちできることをはじめよう…と。
 そこをもっと深堀りしていきたい。(米永・20230531)

 

《雑草・コラム》

G7での采配
長引く戦争と外交と

 岸田総理のG7開催の議長として見事な采配ぶりに、殆どの人は存在感を改めて認識したと思う。各首脳との気配りも良く馴染の少ない首脳と、語りかける様子は流石と思えた。

 英語も堪能であるが勿論通訳を介して会話をし、私語は英語で微笑みながら語り通訳を介する時も分かる部分は頷く表情は当に千両役者であった。 当日駆け付けたウクライナのゼレンスキ―大統領を温かく出迎え、好感度で見ている方も気持ちよかった。

 フランスのマクロン大統領は、専用機を躊躇なくゼレンスキー大統領に利用させる事も、親睦を深める事に繋がる。尚一層の連帯感が培われるのではと思うし、この様に心温まる信頼感を醸成する機会のG7でもあった。

   野次馬的発言をする国会議員がいる。G7でお互いに武器を置いて、停戦決議の話題が一言も発せられなかったと揶揄している。
 ウクライナを電撃侵略したロシア対してその様な擁護的文言は、ウクライナ側が容認しないし無駄である。
 一貫して2014年の侵略前の状態にする迄、戦うと宣言しているウクライナ側である以上は、そんな生易しい状況ではない事は自明の理である。
 中露同盟国対欧米民主国の武器援助と経済的支援の、長期支援体制に成りつつある。間もなくウクライナ側の反撃が始まろうとしているが、F16戦闘機が実戦配備に就くようなった場合に戦況がどう変化するか。

気になるロシア国内の動き

 双方の支援国の財政上負担にならない範囲で長期戦になる事は、どうもロシア側の反プーチン大統領の排斥運動が国内で始まった。東部戦線の2か所でロシア義勇軍が攻撃した模様で、一過性の戦闘ではなくプーチン大統領の失脚か、新政権が誕生するまで各地に頻発する可能性がある。

   ロシア側はウクライナ側が仕掛けた、テロだとプロパガンダとして拡散している。第二次大戦でパルチザンが連合軍側の勝利に多大な貢献した様に動きが、ロシア政権のプーチン大統領失脚の動きが徐々に多くなっている。

 プーチン大統領が最近国外の同盟国に姿を見せなくなっているのは、義勇軍が至る所に神出鬼没の可能性があり、警戒態勢がより一層厳しくなっている。
又、体調が優れないのか詳細は不明であり、パルチザンは侵略軍開放の為に派生した義勇軍組織で、ワグネルの戦争請負業とビジネスとした集団とは根本的に戦う意識が違う。

 ロシア政府から成功報酬を貰うのかは明らかではないが、絶対有利な戦争であれば撤退する理由は無い筈である。独裁的政治国家のロシアは勝利を勝ち取らなければ、戦争終結はしないだろう。この辺で全面撤退の方向に舵を切った可能性があり、それが戦争請負業の姿であると思う。
如何もプーチン政権の意気盛な戦争終結の姿勢は強がりとしか思えない、不穏な空気を感じ取ったとワグネル側は判断した動きが見える。

   また習近平主席はロシアの閉塞感をテコ入れし、経済的な貿易関係を中国が上手く利用し、ウクライナとも外交関係を果たすかである。
中国と米国が台湾問題を過激な方向性に向かわず、先ずウクライナ対ロシアの問題を専決する事である。

   核兵器を脅しに使うのは万策尽きた証しで、和議を如何進めるか苦しい模索を強いられているプーチン大統領であろう。(岩重)

 

《雑草・コラム》

食べる側からの食を
自分たちで考えてみる

 少し前になったが前回、この豊かな大隅半島に住んでいるからこそ、作る側でなく「食べる側」から、「食」というものを根本から今一度しっかり考えてみるときになったのだろう…と書いた。

 鹿児島県の農業生産高は北海道に次いで2位。北海道は九州と四国を合わせた面積を持つというので、生産高から言うと1位はそうなのだろう。
 以前は、茨木や千葉など東京近郊の大消費地周辺の県と2位を争っていたが、鹿児島は黒毛和牛が全共で日本一になるなど、畜産を中心にその底上げをしてきた。

 それらはとても大事なことだが、最近思うのは、多様性の時代で人々の生活スタイルにそれぞれ変化が起こり、また格差が言われ価値観も分極、加えてコロナや遠地だけども戦争の影響もあって、「食」というものに対しての考え方も変化してきたのではないか。

   それも意識してというのもあるが、社会のこの大きな変化に対して自ずと対応せざるを得ないと感じ行動し始めた人たち、なんとも表現がしにくいが、その変化に順応した結果が意識して情報を発信し、そこに集まってくる人たち。

 そこには、産業や大消費地のための農や食ではなく、自分たち自身が食というものに敏感にならざるを得ない環境をこの社会が作ったとも言えるのか。

   反面、競争の輪に入りたがらない人、あるいは競争に負けた人は、自分で何とかしなさい…とも言われているようで、ここでも格差、二極化が進みつつあるのか。

 豊かだと言われる地方に住んでいて、豊かさを享受するスタイルが経済と、生きることそのもので分極と言ったら大袈裟だが、今、この大隅半島でも、あえてその生活に入り込み、自然のままで生きようとする人たちも増えてきているようだ。

    豊かさというものをどこで、どういった形で追い求めるのか、そして幸せとは何かをもっと身近なところで感じようとする人たち。
 そこには周りの環境も大事で、中山間地区で水もきれいで、ここだったら…というところは人気があるが、ただ、移り住むことが長続きしないところもあるようだ…。

子育てしやすい環境とは…
 反対に辺鄙なところなのに人が集まってくるところ…。
 今、都会からの、あるいはこの暖かい大隅半島へは寒いところから移住してくる人もちらほら…、過疎化に加え人口減少、移住定住や人口減対策が全国で大きな課題となっているが、自然環境がどんなに良くても、最終的には人、そして人が作り上げるその地域の居心地、住みやすさだったりするのだろう。

   そこに気づいた地域、人たちの場へ人が集まってくる…、それも子育て世代…。しかも自給自足に近い生活を求めて…。そういった人たちがその地域を支えていくのだろうか、最近はテレビでも移住や地方の良さとかにスポットを当てる番組が増えてきているようだ。

   全国でこの課題に対し、行政的な取り組みに加え、というより行政主導ではない地域の生きざまのようなものを感じて移住。
あるいは地域おこし協力隊で都会からきて移住をする地域と、何年かいて戻ってしまう傾向の強いところもある。

   これから先、何が大事なのか、そんな意識を持つ子育て世代が何を求めてくるのか…。
この大隅半島海に囲まれ、豊かな山もある。10万都市の鹿屋市も山あり海ありの環境のいいところもいっぱいある。

 子育て世代が集う地域は自ずと活気が出てくる。ここ何年かでそうしたすみ分けも地域によって生まれてくるのだろう。

 もちろん産業としての農や食は大事でありそれが地方の経済を支えていく。また一つのファミリーなのかもしれないが、それが積み重なってそこに地域の温かみや笑い声、生き様のようなものが見え、それがまた地域を支えていく。

 双方のバランスのとれた地域が今後、住みやすい地方、地域となっていくのだろう。

 今のような社会環境が続き、加えて地震や災害、将来生じると言われている食糧危機も含め、私たちにはその選択が求められる時が近いうちにくるのだろうか。
 そういった意味でも、大隅半島はそれなりの選択のできる場所でもあるのだろう。

 どれくらい前か、モノからこころへ、コンクリートから人へと言われたときもあった。まさに少しずつそこに気づいたところに人が集まり、そうした人がまた人を呼ぶ…という社会になっていくのか…妄想かもしれないが…。(米永)

 

《雑草・コラム》

太鼓が宇喜多秀家連想

 微かに潮騒の音が聞えてくる、波頭が岩に砕け散る音が脳裏の中を掠める。
エアメモのイベント会場「第六格納庫」で太鼓演奏が、八丈の演目の大合奏になて目を覚ます。鹿児島高校太鼓演奏部の面々が「八丈」の演目を懸命に太鼓に託す様が残影として身体中に残っていた。

 私は八丈の演奏の解釈は何の抵抗もなく、備前岡山五十七万石城主・宇喜多秀家を連想する。
備中、備前、美作を領有する大名で秀吉の五大老の一人(1572?~1655)で、石田三成や毛利輝元に推されて関ヶ原の戦いに西軍の副大将になって活躍した。
 経緯は長くなるので割愛する豊臣秀吉からの信頼厚く、朝鮮出兵でも活躍する武将である。総大将の毛利輝元は大阪城で秀頼の下で総指揮を執り三成が大将として采配をふるう。

 関ヶ原の戦は御承知の通りで毛利輝元・吉川広家(家康家臣)・小早川秀秋の事前の調略が功を奏し、小早川秀秋の軍勢が寝返り大谷吉継陣営を襲い大谷吉嗣を討ち西軍総崩れとなる。
島津義弘は決戦前の軍議で夜襲を主張したが三成は聞き耳持たず、決死の中央突破を敢行し堺で人質の婦女子を救出し薩摩に帰着する。関ヶ原合戦は家康と小早川の調略で六時間余の戦いで勝敗が決する。

   戦後、毛利輝元は西軍・東軍何れにも調略が露見して、家康の逆鱗に触れ百十二万五千石所領安堵が取潰しとなる。吉川広家の直訴懇願に広家に与える恩賞の領地・周防・長門三十六万九千石を輝元へ与えらる事で落着する。
宇喜多秀家は密約を見抜けなかったのを悔やんだ、捕われた安国寺恵瓊・小西行長・三成は市中引き回し斬首晒し首となる。

牛根に2年3か月

 宇喜多秀家28歳は二人の者を連れ伊吹山中に逃れ、堺港から島津義弘を頼って落ち延びた。島津藩は家康から義弘の仕置き決まらない時に、に難題を抱えたが、藩の決定は匿うと決定し牛根に2年3か月平野家が面倒を看る(平野家は平家の落人の子孫水軍に長ける)。

   家康は薄々感じていたろう義弘はお咎めなし、藩主忠常は家康の処にお礼に行き、宇喜多秀家を匿って居たことを話す。秀家の死罪を免じる事で久能山に身柄を移し「八丈島」に島流しと決まる(第1号である)。

 島津藩と妻が前田藩の息女ではめったな事は出来ない。江戸から267㎞離れ花と緑の島で2人の息子と13人の従者を、連れ髪を下ろし「休福」と号し明暦元年84歳で没す。八丈島で50年間過ごし赦免になっても八丈島で過ごした。八丈島に漂着した漁民には親切に接したと言う。

   墓は大賀郷にあり卒塔型の細長い石に「波阿弥陀仏」の号名を刻んでいたが、元禄年間に「尊光院殿秋月久福居士」と号し高さ6尺の五輪塔形墓石に改め、墓地を囲む石垣の上に岡山城天守閣礎石と刻まれた石が設置されている。
秀家が流罪と決まった時に妻、豪姫は同行を望んだが許されず、実家、前田家で余生を送る事になる。

 前田家から1869年(明治2年)に1族が赦免される迄1年おきに白米70俵・金子35両に衣類・雑貨・薬品等の仕送りが続けられた。
八丈島西岸に南原千畳岩と呼ばれる風光明媚な海岸に、岡山築城400年の節目に平成9年秀家と豪姫の像が仲良く岡山城を見つめて建てられた。八丈の太鼓の曲想は私なり解釈して記述した事をお許しください。20230520(岩重)

 

《雑草・コラム》

歴史的な脱出劇…

 スーダンからの邦人救出が無事に終わり、任務を終了したスタッフの皆様大変ご苦労様でした。歴史には様々な脱出劇があるが、私は大阪城落城の千姫の脱出が印象に残る。

   元和元年5月8日、大阪城天守に火に手が上がると間もなく城中から婦人一人を背負い、女中を二十人余りを従へ老女達を輿に乗せ、これらの一行を二十人程の侍が竹杖で囲いつつ出て来たのが、千姫の脱出の様子であるという。
 千姫脱出の説は色々あるが落城寸前の矢倉の米蔵2間5間の広さに、奥には秀頼が仕切られて居り中の仕切りは女中達と、手前の仕切りに淀君と千姫が居た。淀君は十九歳の千姫の振袖を確り自分の膝に敷き.いよいよの時に千姫も共に果てようと一時も傍を離れようとしない。

 千姫より一つ年下の刑部卿の局は千姫だけは脱出させる様に命じられていたが、中々隙が見つからない。そこで秀頼が自害したかのように一計を案じ、女中に「秀頼様」ご生害と叫ばせた。淀君は「まだ早い」と叫びつつ秀頼の方へ駆け行ったので、その隙に千姫を連れ出し形部卿の局の機転が功を奏したのが無難な説である。

   歴史家に一般的に知られているのは、坂崎出羽守が救出した話である。大阪城落が迫り城内にも炎と煙が迫り大阪城を攻撃していた家康は、可愛い孫の千姫を此の侭殺すには偲びず麾下の者共に、何人たりとも千姫を救い出した者に姫を与えるぞと救出を急がせた。

 坂崎出羽の守は何としても姫を救い出そうと必死に城内を駆け巡り、千姫は自刃せんとする刹那で出羽守は手を抑え脱出をすすめた。元々出羽守は容貌怪異な処に戦火を潜り抜けて来た形相は悪鬼の様な凄まじさであった。千姫は恐ろしがって後ずさりする、出羽守は無理に千姫を背負い城内を脱出し家康に注進した。

   家康も秀忠も大いに喜び、姫を与えるぞと激賞した。総て収まり事の次第を知った千姫は、振舞の乱暴さに承知しない。千姫が秀頼に嫁したのは七歳の時だったし政略結婚だから、自分の意志などは初めから無視されていた。

時代に翻弄されながらも…
 幼くして秀頼に嫁し運命とは言え秀頼と共に死ぬ不憫さに桑名城主、本田忠正の長子忠刻は優しく接しその上美貌の好青年の武将であった。自死寸前に救出される迄思いもしなかった千姫は、秀頼の妻として武門の定めと覚悟していた。

   運命の悪戯か秀頼が先絶った今となって、救出した者に与える約束は急場の事で仏門に頼るかと迷っている時、父秀忠は千姫の胸中を察し忠刻も異存は無く元和二年九月尊父家康に許しを請い、千姫と忠刻を結婚させた。
 坂崎出羽守は秀忠の違約に憤慨し千姫輿入れの途中で奪おうと企てたが、事前に幕府に漏れ江戸の坂崎屋敷は幕兵に囲まれ家老に殺されてしまう(相当な恩賞を用意するも聞き耳持たぬ出羽守であった)。

 翌三年本田家は播磨十五万石与えられ姫路城に移り、次々と子供が生まれるがいずれも夭折する。これは秀頼の祟りであろうと種々の祈禱を行うがその甲斐なく、十年後には忠刻が亡くなる。
 千姫は同年十二月落飾し天寿院と号し江戸城内の竹橋御殿に移る。40年の歳月を送り寛文六年二月享年七十歳の静かな最期であったといい、法号を天寿院殿栄誉源法松山大姉と名乗る。端折ったが千姫の顛末である。20230513(岩重)

 

《雑草・コラム》

高齢者や子供連れ
身障者をケアするイベントに

 エアメモが4年振り行われる何処かに、忘れ物をしているのが取に行くみたいである。

   4月29日の釈迦祭りが午前中天気はもつが、昼からの様子が怪しいと実行委員会の話だった。
 太鼓演奏は雨が降れば中止になると聞き8時30分前後のバスに乗ろうしたが、土日の運行は9時45分で自家用車で行く事にした。大崎町三文字を通過する頃小雨がぱらつき始め、午後の天気次第で早めに終わるだろうと引返した。天気は持ち直し太鼓演奏だけは聴きたかったと悔やんだ。

 翌日エアメモは絶好の日和で右手足に少し不自由さはあるが、85歳の高齢一人で気儘に行くのも今回が最後と、杖に折畳み椅子を用意し田崎のシャトルバス乗り場に車で送って貰った。

   バス乗り場に少しは歩いたが嫌な予感がした往復500円券で片道券はなく、隊門から離れた車検場内の先で降ろされ、隊門の奥まった手荷物検査場迄歩きそれから会場にと歩いた。昼に屋台エリアで食事をして第六格納庫で和太鼓の4チームの演奏がある事を知り演奏会場に引き返した。

 P1の美しい姿を見て展示飛行は時間に間に合わず、あの4発の秀麗な大型哨戒機のフオメーションは素晴らしかったろう。海上自衛隊でしか見る事の出来ない、必ず垂涎の有名な飛行展示になると思う。空自のT4機2機のフライバイは皆が喜んだ、上空上昇旋回をしてアピールして欲しかった今回は自粛して控えめだった。

   救難ヘリの模擬展示も満足できたしエアメモ創立当初から欠かさず見てきた私達は、コロナ禍がやっと解けて安心した矢先に陸自の事故機回収と、スーダンの邦人退避の多事多難な中に心情的に慌ただしい中、鹿屋基地の方々は良く開催してくれたと感謝をしたい。

迫力ある太鼓聴きたくて
 第六格納に飲食ブースより何はさておき急いだ、若鷲太鼓と農高の和太鼓演奏は聴きそびれた。志布志千軒太鼓(せんげてこ)・鹿児島高校和太鼓部(樹人太鼓)・鹿児島太鼓連合演奏と、じっくり聞いた。

   千軒太鼓は十数年前に「とんぼ会」が、リナシテイの基地のある街の音楽祭に招いた時より洗練されて、鉦や笛の演奏も豊穣祭を彷彿とさせ以前の演奏は今後も残して欲し。鹿児島高校の樹人太鼓は20名からなる太鼓連が、一糸乱れず素晴らしい演奏を聞かしてくれて圧巻だった。
 枕崎の火の神乙女太鼓も、仲間になっている様な錯覚を起こした。来年も来たいと司会が言ってくれた有難い。

 この多事多難な世情の中に鹿屋基地の機材とフライバイして呉れた空自に感謝し、鹿屋航空基地と実行委員会の皆様に感謝申し上げます。
 高齢者や子供連れ身障者はエアメを、事前に工夫して会場に行くようにして欲しい。約9km杖をつき無我夢中で歩き足が痛かったがハンデーを持った皆からも愛されるエアメモになって欲しいものです。20230506(岩重)

 

《雑草・コラム》

退避作戦成功と
一番深刻な問題と

 今回スーダンからの邦人退避希望者58人がハルツームから陸路で、ポートスーダンに韓国とアラブ首長国連邦(UAE)に協力を得て護送車列(コンボーイ)を組み退避作戦を成功させた。

   チェックポイントの通過が遅れている36時間かかり予定をオバーしていると、緊迫した状況の下でポートスーダンに待機していた自衛隊機のC2輸送機乗り込む。一路ジブチへと空路で脱出した緊迫の様子が報道され、固唾をのんで待っていた人達を安心させた。このミッションを組んだ人達にご苦労様と成功を労いたい。

スーダンと日本は資金協力・技術協力・国際機関を通じた支援をし、緊急無償資金協力して共に国交をしている。これ迄に400人以上が死亡し各国は国民を避難させている。

 この国は天然資源の豊富な国でアフリカでは3番目に大きい国で 、領土は日本の約5倍人口4500万人以上が住み海賊対処でお馴染みのジブチの上の隣国である。長年独裁政権が続いていたが2019年に生活物資の値上がりに、民衆のデモをきっかけに軍がクーデタを起こし独裁政権べシール大統領が失脚する。

 軍はクーデター後に民主化勢力と共同統治を行い、軍のトップのブルハン氏が統治機構を率いながら、経済学者のハドク首相の元で移管を進める事になる。だが上手く行かず軍と民主化勢力の対立が生じ、2021年10月軍が再びクーデターを起こし実権を握る。

 軍のブルハン氏をトップとする統治のもと抗議デモの弾圧が続く、その後国連などが仲介に入り民政移管に向け協議が進められて来たが、軍の再編等を含む内容に反発したのが準軍事組織RSS即応支援部隊である。

人道支援がストップ

 元々は民兵組織であったが2003年に勃発した、「世界最悪の人道危機」言われ約30万人が死亡した西部のダルフール紛争が、組織の立ち上のきっかけとなった。当時のバシール政権が反対派を弾圧する為に全面的に支援し設立したとされ、その後、準軍事組織として軍の傘下に10万人が所属し、各地に基地を持つ大きな影響力を持つ様になり、RSFはブルハン氏に次ぐ統治機構のナンバー2になった。

 軍の再編を巡ってブルハン氏との確執が有り、軍とRSFとの一体化を進める上での勢力争いである。二重状態化を統合して国軍の一本化を図るが、権力闘争が起きているこの数日間は戦闘状態である。

 RSFは西部出身の民兵組織であるが、今は都市部の治安とデモの鎮圧や弾圧する時に出動するので、各都市部に基地を持っている組織になっている。それが一斉に立ち上がり大統領官邸を襲ったり空港やラジオ・テレビ局を占拠している、その様な状況で人道支援がストップしているのが一番深刻な問題である。

様々な利害が絡んだ
権力闘争

 早く戦いを終わらせ人道支援だけは出来る様にしたいと願うが、今後軍が首都ハルツームで主導権を取ったとしても、RSFが彼らの出身地でネットワークを組みダルフールを拠点に内戦は続くと言われる。

 今回の衝突は国軍とRSFの何方が矛を収めるも、様々な利害が絡んだ権力闘争である。両者が軍事衝突を起こす事で共通の敵である、市民を政治の場から排除する利害の共通点である様だ。今の段階では権力抗争が落着しない限り軍事衝突を停止させるのは、強力な支援組織が調停しない限り難しいと思う。20230429(岩重)

 
  

《雑草・コラム》

作る側でなく食べる側
から食を考え直すとき

 元農水大臣、山田正彦さんの講演に続いて「タネは誰のもの」という映画を観た。

   種苗法改正で、今まで自分たちで育てた野菜や果物、自分の畑でとれた種を使ってはいけない、自家採種禁止等の内容で昨年4月に公布となった。

以前から自分たちで有機野菜を作っている人たちの間では、大きな話題になっていて、ただ、当初は私も含めてピンとこなかった。
そんなおかしな法律が成立するはずがない…と。

 私自身は、周りから手伝いをいっぱいもらいながら米を作ったり、有機栽培の畑に行って少しだけ手伝いをして、お裾分けをいただくというくらい、自家消費のためだったので、危機感らしきものは無いに等しかった。

 ただ、この映画を観て、それなりの規模で農作物を作っておられる農家は、自家採種ができずに、よそから買ってくるとなると、その費用が500万円、規模によっては数千万円になるという。

 また、種イモや種株を翌年のために保管している様子が映し出され、それを大事に増やし使って新たに育てていくことで生計を立てていたのに、それが出来ないという。

ただでさえ後継者不足で
何を守ろうとするのか

 それも国が法律で作ったということはとても理解しがたい。種苗法改正と種子法廃止とで地域の農家は、まるで裸にされたようなそんな気分なのだろう。
というより、それでは生活ができない。ただでさえ後継者のいない農林水産業と言っているのに、何を守ろうとしているのだろう。

   分かっている人は分かっているのだろうが、ただ、数年前の私のように、ピンとこない…それも、このことが意識されてなのか、ほとんど報道されないに等しいので、農に関わる人以外、ほとんどの人たちが知らない。
特に農に関わりのない女性や子供たちはそうなってしまうのだろう。

 さらに映画の中で、自分たちが今までずっとやってきた、この土地にあった種こそが、その土地の中で伝統野菜的においしさや栄養を保ってきたのだろうが、「自分たちで育てた種でなくて、どこかよそから来た種で何ができるのだろう」というような憤りの声を発していた。

 その裏には、F1(一代限りの品種)だけでなく、遺伝子組み換え食品やゲノム編集された作物の影がちらほらするという。
 私たちはこれまで農薬や化学肥料がいっぱい使われた農畜産物を食べてきて、アレルギーや様々な障がいの一因ともいわれ、今の発達障がい等の要因も、様々な実験で少しずつ分かってきつつあるらしい。

何が豊かなのか
豊かさはいずこへ

 しかも日本の残留農薬の基準はとても甘く、これに加えて遺伝子組み換え食品やゲノム編集された作物がどんどん出てきたらどうなるのだろう。
 まだ昭和生まれの人たちは自分の代では、そこまでないと言われ、2代、そして3代、4代と続くと、そこに何らかの障がいが出、奇形とかに繋がってくるということも言われているようだ。

 この大隅半島は、山々に入るとその豊かさをすごく感じる。食も豊かと言われるが、この田舎でも実際私たちがスーパーで全国から来た季節感の無い野菜を買ったりしていて、果たして豊かとは何なのだろう、疑問に思うことも多い。

 国が進めるスマート農業とかを否定はしないが、一方で自分たちで食べる、特に子供たちが口にする食材は、しっかりと自分たちの手、自分たちの思いが入ったものでないとならない、そんな思いの人たちが、私の周りにはどんどん増えてきている。子供たちの未来をこの大人たちが崩しているようで心が痛い…と。

 この豊かな大隅半島に住んでいるからこそ、何が豊かなのか、作る側でなく食べる側から、食というものを根本から今一度しっかり考え直してみるときになったのだろう。特に子供たちのために…。(米永)

 
  

《雑草・コラム》

ともに戦わず
解決する方策を

 台湾は石垣島の隣にある島国で過去には日本の統治時代が、1895年~1945年まで50年間あった馴染の深い国である。

   過去の歴史をひも解くとびっくりする風習があり、1600年代迄まで人を襲い首狩りし部落の首棚に飾るので人を背後から襲い首を切り落とす行為で若い青年たちの勇気の証と言われ、日本の様に戦いで武将の首を取るのと違う風習で原住民には認められるが、褒められる行為で無くやがて廃止される。

   宮古島や八重山の住民が嵐で台湾に遭難救助を求めたが全員殺され、中国本土に抗議したら台湾の事に我らは感知しないとの事で、日本は大勢の兵で報復し一時占拠したと言う。当時は確りした体制は整ってなかった様である。

  過去の一端はその位にして日本の統治時代に、末吉出身の故山中貞則氏が台北第二師範学校を卒業し昭和17年熊本第6師団に入隊し(幹部候補生)となる。

 戦後南日本新聞社末吉局に勤務しその後県議に当選し、1953年(昭和28年)馬鹿野郎解散で衆議院に初当選する。昭和47年に沖縄日本復帰と共に昭和48年田中角栄の時防衛庁長官を兼務、昭和49年政調会長になり税調のドンと言われる。

 平成元年消費税導入3%で起因したか28票差で落選する。我が身を犠牲にして消費税導入を決行し、先見性は大したものである。平成15年には沖縄発の名誉県民に選ばれ、惜しいかな平成16年2月20日肺炎で逝去する。

 台湾とは私がロタリークラブに在籍していた頃、交流があって年配の人は日本語を話せ親近感があった。現在は台湾の政権は米国との関係を重視している。
我が国は米国との同盟国である以上は中国が武力侵攻した場合、知らぬふりは出来ないので何らかの支援はせねばならないし、日本領土に侵攻すれば反撃の姿勢を毅然と示す。戦争は絶対避けねばならない為に中国との外交は、我が国も中国と頻繁に交流を重ね、台中が戦わず解決する方策を模索すべきである。

   台湾との関りは日本が日清戦争(1895)で勝利すると植民地化し、第二次大戦(1945)で敗れると再び中国に返す。台湾の現在に至る様子を駆け足で記述すると、孫文が辛亥革命で中心になり中国国民党を立上げ、彼の死去後に蒋介石が後継者となり毛沢東は中国共産党の指導者になる。
偉大な中国の指導者同士が抗日戦で共に戦ったが、中国に近代的な国家を創ると北京にいた軍閥(力を持った軍グループ)を追い出し南京に国民政府をつくるとしたが、蒋介石は政争で毛沢東に敗れ台湾に逃れる。

 台湾は毛沢東政権下でも中国共産党の一部に吸収されたことは一度も無く、中国は1つと言う意味は理解できる。中国政権は共産党が強く習近平氏は強い信頼関係を保つ。
台湾の国民は勤勉下で電子関連系に強く武力侵攻して一般国民迄を傷つけたくない。中国民は一つの意志が強く2024年の台湾の総選挙で、中国の考えを理解する総裁の誕生を望んでいる。現政権が再選してもお互い、戦わずに済む外交を日本も支援すべきである。

 フランスのマクロン大統領がウクライナの解決は私達の役目だ。台湾はG7 の議長国として、米国の言いなりにならぬ様に厳しい注文を突き付けた。日本も独自の外交で共に戦わずに済む事に全力を尽くして欲しいものである。(岩重)

 
  

《雑草・コラム》

後進国日本を
もっと認識して

 鹿屋市の学校給食は、センター方式で平成22年9月に南部給食センターがスタートし6000食、令和3年9月からは北部給食センターが稼働し4000食分を子どもたちに提供しているという。

   平成22年の南部給食センターがスタートする際には、子供たちの食を考え、一部保護者らが自校方式を残して…などを教育委員会に訴え、それをずっと追いかけ取材したことがあった。
 しかし、教育委員会はすでに決定したことだとして、そのまま計画を進めた。

   南部北部合わせて1日1万食という食材を集めるという作業は、果たして子供たちの食、あるいは食育という観点から、私自身もどうなんだろうという思いも強く、市内の各肉屋さんを回って聞いたり、お米の納入先を調べたりした。
 その中で大きな疑問もあったり、南部センターの調理請負業者についても、手を挙げた地元の業者と県外の業者との間での選定についても調べたりした。

  決まっていることなので…と言われながらも、この高隅山系の緑豊かな地域、そして錦江湾に面した海の幸もあり、子供たちの食を考えると、特に食育という観点から自校方式のほうがいいという思いを持ちながら、その保護者らの訴えを取材した。
 しかし、コストなど合理的な理由、効率優先、センターそのものの建設に絡んでなど、その声は届かなかった…というよりも、ほぼ門前払いという形だった。

   学校給食の取材をしている中で、その献立の在り方、食材選び等を調べ、その方向性に疑問もあったので、例えば、センター方式でするにしても、その施設の前に簡単なプレカット工場を作れないか…、地域のおじいちゃん、おばあちゃんの作った野菜を特定の品目だけでも、形は不揃いでも、そこに持ち込むことで給食材としてカットされ調理していく方法などとれないか等を提案したが、これも決まっていることなので…ということだった。

地産地消だけでなく
有機食品の利用を

 今、南部給食センターでは、学校給食における地産地消の推進を図り、令和5年度までに地場産品調達率を35%以上に引き上げるため、地元食材を優先的に活用、納入事業者に対して理解と協力を求めている。
 北部給食センターでは、令和6年度までに地場産品(鹿屋産)調達率 35%以上を目標にしている。

   今、学校給食費については、2022年度に全国で3割が無償化を進めている。加えて昨年10月に東京で行われた全国オーガニック給食フォーラムの資料によると、地産地消の推進だけでなく、123市町村が有機食品を使用しているという。

 国の進める政策、種子法廃止や種苗法を考え、また、自給率、農薬や飼料などを考えあわせると、今、私たち大人もだが、子供たちの生命、健康に関しては最悪に近い状況ではないかと強い危機感を持つ。この国の食に関する意識、認識はとても遅れている、というよりひどい現状がある。

 気が付いたところから、この現状から脱しようとする動きが始まっているようだ。この国の明るい未来、子供たちの将来のために、今を生きる私たち大人に課せられた使命だ…と。
 食の豊かな、食の供給基地と言われるこの大隅半島。果たしてその未来は、ここに住む子供たちの将来は…何らかのアクションを。(米永)

 
  

《雑草・コラム》

一刻も早く家族の
元にお返しして…

 去る4月6日午後3時56分宮古島北西の洋上で機影が消えた。陸自の坂本雄一陸将第八師団長と幹部5人に第8飛行隊の幹部4人と、宮古島警備隊の幹部1人の同乗機が行方不明になる。

   岸田総理のウクライナ電撃訪問が中国の習近平氏と、プーチン大統領を訪問中に行われた。時を同じくして台湾の蔡英文総統も、米国のマッカーシー米下院議長を訪問。中国は度重なる警告を無視し米国との関係厳密化を急ぎ、台湾の総統選に軍事的威圧と同時に平和統一をアピールして、融和ムードを醸し出し硬軟両様の姿勢で台湾社会の分断を図る最中であった。
 中国が太平洋進出を目指す周辺海域を陸自の坂本師団長が、宮古島から伊良部島・池間島への視察飛行中の出来事だった。

   その時期に中国が台湾周辺海域で軍事演習が開始される時である。中国を意識しなくても釣瓶打ちに刺激する様な事に、繋られなければと思う矢先に不吉な事態が起こった。
 自衛隊機として安定している機種で重要装置には、二系統ありエンジンも双発で墜落した場合自動的に、遭難信号を発信する措置が付いている。余程突発に重大異変が起きたとしか考えられないと、この機体を熟知した経験者も理解に苦しむ発言だった。

  パイロットの空間識失調可能性は師団長を乗せる機長は、当然対処訓練を積んでいる経験豊富な機長であろう。報道機関の解説など度を過ぎる憶測は誤解を招き、今回の事故機は信頼性が高く各国でも使用されている。
 主要箇所には二系統で作動するシステムであるから、即ダイージに繋がらなくなっている。陸自のヘリパイロットOBが仲間にいて体験談を語ってくれた事は、海自の様に洋上飛行が専門で無いので陸上飛行を飛ぶことが多い。

   海自のヘリパイロトのOBからは貴重な体験談を聞いた事があり、ヘリの飛行航路は山岳部など凹凸や送電線等の無い洋上飛行が飛易い。又テールロタ―部が折れ吹き飛んだ事故に遭遇し、何とかメ-ンローターでスピードの強弱で安定を保ち、洋上に不時着水した体験談を聞いた事がある。
 其々に専門分野があり経験則は生きた教訓で重力に逆らって飛ぶものは、安全高度を絶対に保つスカイスポーツも全く同じである話をされた。

   気に懸かるのは今最も懸案の南西諸島を視察飛行する場合、単機で無く海域飛行を熟知する海自の誘導飛行も必要で無かったか。
 餅は餅屋の例えで離島監視防衛を担う部隊は、混成の精鋭部隊で在って欲しい。事故の海域は地元の漁師も恐れる「カジマーイ」荒れる海を指し、台風の次に怖がられ海で事故の6日午後から夜には、南風から北風に変わり風波も強く成ったという。電磁波兵器を過去に実戦に用いた国もあり、最新型は性能も向上していると言う。

   憶測は禁物であり余りの拙速な視察飛行だったと言われ、気象もさる事乍ら周辺海域は台湾を含む複雑な軍事情勢を把握し、各国の潜水艦も自国に必要な情報を隠密に取集している。
 今回の離島視察飛行は周辺状況を把握して行うべきで無かったかの声もある。事故機らしき機影が確認された情報が入ったが、心ならずも亡くなられた方々を、一刻も早く家族の元にお返してご冥福をお祈りしたい。機体は損傷を与えず回収して全ての憶測も2分間の空白も、我が国の威信にかけて解明して欲しいと思います。(岩重)

 
  

《雑草・コラム》

市民としての
食へのアプローチを

 続けて山田正彦さんの講演の話だが、そこではいろんな論点があり、それもとても大事な内容で、本当に喫緊の課題でもある。
 だからこそ、今各自治体がオーガニック給食を始め、あるいは始めようとして、JAの中でも気づき始めアクションを起こしているところがあるようだ。

売り渡される食の安全
 講演のあと、山田さん著の「売り渡される食の安全」という本をサイン入りで買い求めた。
 第8章まである内容で、「国民を二度と飢えさせないー先人の思いが詰まった種子法はなぜ廃止されたのか」「海外企業に明け渡された日本の農業」「自分の畑でとれた種を使っていけない」のほか、遺伝子組み換えやゲノム編集の米、モンサント裁判や世界で加速する有機栽培などの話が綴られている。

 こうした意識ある人たちは結構集まっていて、先月は声をかけられて車を飛ばして吹上まで出向き1泊していろいろ情報を得た。  危機感を持った人たちが集まっていて、そこではムクナ豆を栽培してもしというときに備えよう…と、種用の豆ももらってきた。

ルポ 食が壊れる
 そこでも、これ読んだほうがいいよ…と勧められたのが堤未果さんの「ルポ 食が壊れるー私たちは何を食べさせたれるのか?」であり、そこでも大きな危機を訴えながらも、今まで農薬や偏った肥料で死んだ土壌を蘇らせ、奪われてしまった日本の食の未来を新たな視点で切り拓け…と訴えている。

 私たちは戦後の農業や教育が、どういった形で変えさせられてきたか、東京に住んでいると分からないのだろうが、この豊かと言われる大隅半島で生きているからこそ感じることがある。  この豊かな地だから出来ること、戦後おかしくなった農業を変える何か秘めた力があると感じ、水のきれいな肝付町川上で古民家を探したり米を作ったりしてきた。

日本の食が危ない
 その10年ほど前も、無農薬、有機農業が取りざたされて鹿児島市のオーガニックフェアなど出かけたりした。そのときは認証制度がスッキリしない形だったけど、今回は、そうした形式的なことよりも、現実の危機感から多くの皆さんが動き始めているようだ。

 また、4月の文藝春秋の特集は「日本の食が危ない」で、50ページを超えて特集、ルポが記されている。

 今、私たちは何をしなければならないのか、コロナ感染やロシア・ウクライナ戦争で、それが具体的に、そして鮮明になってきている。
 このことにいち早く気づき、多くの人たち、地域が動き出してる、それはこの大隅半島こそが…とも思うのだが、何かとても重たいものがあるようだ…。
 農地を集約し、スマート農業等が農業政策として進められる一方で、これは、食の安全という見地、それも子どもたちの将来、食育まで繋がっていく、違った視点からの市民としてのアプローチ。
 いまここで地域を挙げてのこうしたアクション、私たちのことだけでなく、未来の子どもたちのために絶対必要なこと…。(米永)

 
  

《雑草・コラム》

目を背けてはいけない
子や孫たちのために

 元農水相の山田正彦さんの講演を聴いた。
 以前から、種子法廃止や種苗法を話題にしていたグループがあって、そこでは実際、有機栽培で大豆を作ったり、小麦やもち麦を育てたりしている。個人レベルで自分たちが出来ることを…という人たち。

 話の中でも種子法廃止については、動きがあることは話題になっていたが、実際、種苗法に関しての動きやオーガニック給食が、ここまで進んでいるとは知らなかった。
 私たちが思っている以上に、危機感を持って、現実に動いている人たちがいるということはうれしくもあり、早く追いつかなくては…という思いにもなった。

 農薬についても、中国の輸入作物よりも、日本の基準のほうが甘く危険ということも聞いていたし、そうした話を聞くと、自分で食べる分くらいは自分たちで…ということもあって、今食べている米は、乳酸菌を使って農薬を使わない玄米、この前も無農薬で作った野菜ももらってきた。

 もっと前から、種の交換会などにも興味があって参加したりしていて、今回、この講演でそれ以来久しぶりにお会いした人もいた。ただ個人的なレベルもだが、もっと大事なことは地域の中で、それをしっかり広がりを持って伝えたり訴えたりしていかないといけないということ。

 講演で山田さんが訴えていたように、まだ私たちはいいのかもしれないが子や孫に大きな影響が出てくるということ。現実には今でも、発達障がいなども、そうしたことことが一因とも言われている。

全国でオーガニック給食急速に
 ただそこには、とても政治的な動きがあって、大きなメディアでは、そこを扱いたがらないという。目を背けている部分がある。
 しかし、子供たちというよりも、この日本の将来を考えると、全国でオーガニック給食が急速に広がっていこうとしているように、これこそが待ったなしの大きな問題になっていて、それに早く気づき、気付くだけでは駄目で、それを動きに変えていかないと、今でも手遅れなのだろう。

 いま、統一地方選の真っただ中で、終わった県議選の中でもこうした訴えをしていた候補がどれだけいただろうか。
 特に鹿児島は保守地盤の固いところで、既存の政策の中での公約等になりがち。できたばかりの子ども庁に合わせ子育て支援、コロナウイルス禍からの経済支援など、訴えるような内容も重なり、候補者の違いを見出すことができず、投票率は2003年県議選から6回続けて最低を更新している。しかも42・97%と2011年から50%を切っている状態は尋常ではない。

 私たちは選挙の時だけでない、日ごろからもっと、自分たちの子どもたちの未来、ただでさえ少子高齢社会、人口減少社会で、若い世代にどんどん負担がかかっていく。それが子ども庁ということだろうが、テレビ等にほとんど出ない食の問題、農薬や種と遺伝子組み換え、自給率の問題などを今すぐ取り掛かっていかないと、それこそ取り返しのつかない次元の違った大きな禍根を残すことになるのだろう。
 しばらくは、この問題に触れていきたい。(米永)

 
  

《雑草・コラム》

AIに駆逐されそうで
されない私たち

 Mは50歳を迎えた女性で、ある日彼女は年下の男性Kと出会った。Kは彼女の同僚で、彼女が出席した会議で初めて彼女に目を留めた。Kは彼女が若い頃の美しさを持っていると感じ、彼女に惹かれ始めた
 Mは最初はKの関心を受け止めなかったが、次第に彼女自身もKに惹かれるようになった。彼女は自分の年齢を意識していたが、Kが彼女を選んでくれたことに心から感謝していた。

 彼らは会社で一緒に働くようになり、Kは彼女に誘われて彼女の家に訪れるようになった。二人は、熟れた果実を摘むように、お互いの魅力を発見し始めた。Kは彼女が彼を包み込むような暖かさを持っていることに気づき、彼女はKが彼女を活気づけてくれることに感謝していた。
 やがて、二人は愛を告白することになった。Mは彼女が50歳であることについて謝罪し、Kは彼女が自分にとって美しい存在であることを認めた。彼らは、年齢を超えた愛を体験したことで、お互いの生活に深い影響を与えた。

 一体コラムに何を書いているのかと思われそうだが、これは最近話題になっているAI、ChatGPTに「50歳の女性Mと年下男性Kの大人の恋愛短編小説を川端康成風に書いてください」と依頼したところ、作成された文章である。

 これより前に同じお題で村上春樹風を頼んだら、文法が日本語として成り立っていなかったので、ここには載せなかったが、川端康成風はちゃんとした文章で作られていた。

 不勉強で申し訳ないのだが、川端康成は「雪国」と「伊豆の踊子」と「みずうみ」しか読んだことがない。これが川端風なのかと、読んでもピンと来ないのだが、いかんせんChatGPTは集合知によるAIの知識で回答をするので、有名であればあるほど精度が上がるとされている。ChatGPTにとっては村上春樹より川端康成の知識の方がより多く集められたようだ。
 ChatGPTはかなりセンセーショナルに取り上げられたが、やはり活躍するのはどうしても理系であろう。人の心の機微というものは検索では得られるものではないし、正解など人によって無数にあり、これだ!というものなど無いのだ。

 最近、セルフレジをよく見かける。人を雇うコストは減るのだが、やはりセルフレジを見張っている係の人間が必ず一人はいる。結局はAIや機会を見張るのは人間ということになるのだ。だが、このままAIに仕事を奪われる人間は増えていくだろう。
 AIに仕事をさせて楽をすれば賃金が上がり、余暇が増えそうなものだが不思議と世の中は便利になればなるほど、なぜか余計な仕事が増え、忙しくなってしまう。

 私は青春時代2年間富士の須走で過ごし、宝永噴火口璧傍まで行った事があるが、巨大な噴火口が山腹に痕跡を残している 。
 小説もそうだが、生活にも余白は必要不可欠だというのに。最後にChatGPTは下記の様に文章を結んだ。知識だけはさすがに豊富である。

 川端康成は、年齢差のある恋愛を扱った作品を多数発表しており、彼らの物語は、彼の作品の中で見ることができる深い愛情と感性を表している。二人の関係は、時間を超えた愛として、永遠に心に残るものとなるであろう。(大浜 紙)

 
  

《雑草・コラム》

自然を身近にして生きながらも…

ベェスビィオス噴火遺跡の今から約2,000年前の噴火の模様を、GS立体映像で再現されイタリアのポンペイ遺跡が発掘された。
 紀元前217年大規模な噴火を起こし紀元前65年には大地震によって損害を受けた。その後、復興に取り組み純ローマ風の街を再建されるが、再び西暦79年に大噴火が起き4回目の火砕流で街は完全に飲み込まれる。火砕流の速さは100㎞を超えるので、逃げるのは無理である。

 事前に言伝えを大事にポンペイから離れた人達は、無事で逃げ遅れた者約1,000人が犠牲なり発掘された。
 火山轢等の穴に石膏を流して遺体が当時の様子をそっくり現われてきており、未発掘地域のポンペイの街は今も発掘調査中という。

 私が注目したいのは富士山が噴火する恐れがある話で、平安時代が(794~1185)最も盛んであったと言われておる。直近の宝永噴火は1707年の約300年間沈黙している。
 とは言っても周辺の御殿場市や裾野市、富士市、富士宮市周辺の地震は、震度3から2の体感の揺れを観測されている。2011年3月富士河口断層帯でマグニチュウド6,4と、富士宮市では震度6強を観測されている。

 駿河区と清水区で身体に感じる揺れを5回観測されている。地下のマグマの動きに関連する低周波地震は振動の周期が長く、マグマの活動を示すとされ富士山頂の北東2~3付近で深さが15㎞を中心とした処が多い。

 約20年間の観測期間で昨年10月以後の低周波地震が3割に当たり、山頂直下のマグマの動きが活溌化していると言われ、今後は傾斜変動に注目したい。これ迄は毎月数回から10回だったのが最近では、3ヶ月間だけでも100回から500回に上がっている。
 富士吉田市、鳴沢村、御殿場市、小山町も含まれるが何時どの様な兆候が起きるか注目している。過去の噴火を見る限りは1707年の宝永噴火迄に180回を繰り返している。

 平安時代直前の781年8月4日(天応元年7月6日)の大噴火で火山灰を被った木の葉は、全て枯れたと言われ農作物は勿論全滅だった。延歴19年から21年にかけて大噴火が続き昼は暗く夜は火柱が天を照らし、貞観6年の噴火は現在の本栖湖を2つに分けたのである(西湖と精進湖)。
 又この大噴火で富士山の北西斜面を埋め尽くし、村は幾つも飲み込まれ約1100年の間に草木が生茂り樹海となり、野生の動物の宝庫として知られている青木ヶ原樹海である

 私は青春時代2年間富士の須走で過ごし、宝永噴火口璧傍まで行った事があるが、巨大な噴火口が山腹に痕跡を残している 。  江戸では火山灰は5~10㎝積もり秀麗な山の上方は吹き飛んだと言われたが、富士山の中腹から噴火し山の姿が変化しなかった。青春時代の一時を過ごした富士山麓の周囲には、富士五湖、三つ峠、足柄山と金時山に箱根芦ノ湖と富士山誕生と関わる景勝地が多い。
 主な処は訪ねたが身延線を走る富士市の車窓から見える富士山と、共に生きてきた人々は観天望気や森羅万象を生きる知恵と受け入てきた。

 天変地変が起こる時は必ず予兆があり万物には黎明期、成長期、安定期、衰退期があり、自然を身近にして生きて欲しい。富士山誕生の歴史は10万年で低周波地震は衰退期の予兆かも知れない、即噴火と思わず富士と親しく暮らして欲しいものだ。(岩重)

 
  

《雑草・コラム》

誇りと名誉重んじる行動を

最近、ウクライナの武力侵攻が如何しても頭から離れないのは、中学校の時の恩師の黒岩先生の教えが刷り込まれている。 強い者に従っていれば無難な生き方かも知れないが、弱い者が正しいと思ったら味方をすべきだ。その気持ちを強く持つ事が相手も分かってくれる。
 自分にしか持たない得意な事を身につけておけと青春時代後半に、機略は効く方で護身術を身につけ精神を鍛え、可能な限り弱者への気配りの気概を失しなわずに来た。

 プーチン大統領も大国の威厳を尊重し、自分に続く国民の為に誇りと名誉を重んじる様に行動すべきだ。私は時事問題よりは戦国時代の歴史と、007の様な痛快活劇が好きで齢のせいだろうか。
 アンタッチャブルという洋画が久し振り放映され、懐かしく見たが何回見ても感銘を受ける。配役が今は亡きジェームス・ボンドで名を馳せたショーン・コネリーや、アル・パチーノ・ケビン・コスナーと名優揃いで、アメリカの禁酒時代の映画であった。シカゴや主要都市でアル・カポネが政界から法曹界・警察官迄、買収していた事実を映画化したものである。

 禁酒法の良し悪しは歴史が判断したが、1920年1月憲法修正第18条が発効され、アルコールの飲料と醸造・販売と輸送が違法になった。推進派はこれを「高貴な実験」と掲げ、禁酒法は10年以上続き推進派が約束した新しい国は来る事は無かった。
 シカゴや南米等からの密輸が蔓延りそれを仕切って居たのが、ギャングのアル・カポネだった。政治家や監督官庁も汚職にまみれ巨万の富を築いたギャングの首領アル・カポネ。

 特に禁酒法推進派は女性に多くご婦人方に人気があり、法律で決められている以上は法を守るしかない。あまりの賄賂が蔓延しそれに染まった者は止められず警察署長や弁護士・陪審員も買収される始末に、エリオット・ネスの連邦捜査官は、うだつの上がらぬ堅物の刑事ショーン・コネリーを説き伏せ、数人のチームでアル・カポネを検挙し有罪に持ち込む。

 ショーン・コネリーは警察も買収されている証拠を掴かむが、ギャング達から機関銃で撃たれ死亡する。主役級が珍しいが正義役で引き受けたのだろう。1932年フランクリン・ルーズベルトが、現職であったフーバー大統領に圧勝し禁酒法第18条は、廃止され修正案第21条によって禁酒法は終了する。これによって闇に流れいた諸々の税収も回収され財政も潤ったという。
富裕層は酒を所持して自分が飲むのは違法でなく、工業用アルコールの粗悪な模造ジンで健康を害する者が多かった。闇の酒場は増えギャング達の縄張り争いが絶えず、治安は乱れ裏切り行為は殺された。

 禁酒法が悪法である事は分かっていても、法は法でギャング達の汚職の根源を無くす禁酒法も(フーバ―大統領は禁酒家だった)、悪法と言われながら10年間以上も続いた実話の映画だった。
 アル・カポネを演じるアル・パチーノの憎らしく不敵な表情が似合い、ケビン・コスナー演じるエリオット・ネスが良かった。民衆の声を政治に反映する自由主義の国家である。

 ウクライナ問題に習近平国家主席を招き、和議に期待したが容易に進展しない状況である。残念だが機を熟す時を待つしか無いのか。(岩重)

 
  

《雑草・コラム》

ウクライナの民衆の
夜明けを諦めずに…

 野球のWBC優勝おめでとう御座います。野球談議に花を咲かせたいが熱が冷めるまではマスコミも特番で大変だろう。

 私はプーチン大統領に招かれてロシアを訪問した、習近平国家主席のニュースが興味深い。奇しくも時を同じくしてロシア義勇軍団がプーチン政権への、武装蜂起を呼びかけ出したのと、国際刑事裁判所がプーチン大統領に逮捕状を出した事が、一緒だった事から状況の変化が微妙に変わってきた。
刑事裁判所は日本を含む123ヶ国と地域が参加しており、ロシア・アメリカ・中国などの主要国は管轄権を認めていないことから、その国で実際に逮捕される可能性は低いと言われている。

 然し乍ら世界的な大義名分は十分に役立ち、堂々とロシア人やベラルーシ人にロシア義勇軍は武装蜂起を呼びかけ出した。罪状は特に難民の子供たちをロシア国内に移送して養子縁組を進めて、ベラルシのルカシエン子大統領も支援し何千人もの養子縁組を進めている。
 ウクライナから連れ去られた子供たちが確認されただけでも16,000件以上確認され、実際には何倍かの子供たちが施設等に収容されている事は、国際法上戦争犯罪に当たるとしての罪状である。

 プーチン大統領はその事に猛反発しているが、それと前後して親ロシア国の訪問を延期か中止したのは、ロシア国内で動揺が広がったのだろう。プーチン政権側も中国の習近平国家主席に国賓として訪問を要請し、仲介案を携えて訪問し会談に及んだ。
 仲介案は割愛して、要旨はお互い戦闘を中止して和解を話し合おうと言う事である。徹底的に傷めつけておいて和議を進めようとしても今の状態では、余程譲歩しない限り厳しい状況である。

 ロシア義勇軍は2022年8月に部隊編成されたものであり、2014年以降のウクライナ東部紛争でウクライナ側に付いて戦ってきた、ロシア移民から構成される一つで、国際社会からは外国人部隊の一つと視られている。
 ウクライナ側はパルチザンの勇士はプーチン政権と戦うロシア義勇軍であると声明を出している。第二次世界大戦でソビエト連邦のベラルーシのパルチザンの行動は、効果的にドイツ軍を攻撃し彼らのその地域での軍事行動は評価され、著しく阻止した功績と勇敢さは今でも誇りとしている。

 プーチン大統領は自分の膝元から燃える上がった反発の炎が広がる事に、相当なストレスは感じたと思うのである。盟友のルカシエンコ大統領も迂闊にプーチン大統領の言うままに行動すれば、我が身にも嫌疑が掛かる事を気にしだした。国内にいれば心配ないとしても国際社会に通告されれば無視は出来ない。

 逮捕状を出した以上取消しされなければ、役職を辞めたとしても失効にならない。
パルチザンは正規軍では無いがプーチン大統領の様に、常軌を逸した行動に国民や国際社会が目覚めだした以上は、神出鬼没のパルチザンの活動は最大のストレスになるだろう。ウクライナの侵攻地域の反撃戦には無人機やドローン攻撃が効果的で、ロシア側のミグ最新鋭機と戦わずとも相手の嫌がる効果的な戦術を用いる事である。

 西欧諸国はプーチン大統領の思考が常軌を逸脱しているので、ロシア国民もウクライナ侵攻戦は反対の厭世気分も醸成しつつあり、盛り上がる事も最近の行動に表れて来ている。
 ウクライナの民衆の夜明けは必ず来ると、多くの人達が諦めずに頑張って欲しいと願っている。(岩重)

 
  

《雑草・コラム》

エアメモリアルin
鹿屋が誕生したのは…

 「エアメモリアルin鹿屋」が誕生したのが、平成6年の4月に海上自衛隊基地開隊40周年を記念して開催された航空祭だった。略して「エアメモ鹿屋」は鹿屋地域周辺の方々には大変お世話になっている恩返しを、鹿屋基地が出来る事を少してもしたいと当時の群司令の石川亨氏は口癖の様に言っていた。

 海上自衛隊が保有する機材を運用して、各航空自衛隊・陸上自衛隊にも要請して県下最大航空祭にすれば、鹿屋の活性化に繋げられるのではないかと、熱い思いがエア・メモだったと思う。

 吾空自のブルーインパルスも要請しても毎年来ては貰えないので、エアロバチィックのロック岩崎を呼ぶ事になったのです。当時私達は211教空梶浦司令と気脈を通じ「とんぼ会」のファンクラブを立ち上げていた。
 群司令の石川氏が赴任して来られ、梶浦氏が転勤でこの様な熱烈な自衛隊好き人間の集いを、航空群が欲しい事になって群司令と交流が始まるのです。私達も微力ながらロック岩崎氏を呼ぶ事にして当時の西園助役も協力して、ロック岩崎氏のホ―ムグランド゙茨城県稲敷郡阿見飛行場を早速訪問する事にした。数日間兵庫県但馬空港に出張中で、お互いの日程があり私が訪ねていく事にした。

 慌ただしいトレイニングの合間に鹿屋基地の航空祭の出演依頼をお願いして、阿見に帰って予定を調べ返事する事で帰着した。彼は空自の新田原に居たことがあり呑み込みは早く、出演が決まりギャラ等は事務局と行った。
 エア・メモにはロック岩崎が演技するが合言葉になり、観客動員も多くフアンは熊本・北九州から、貸し切りバスで来る様になったなって歓迎会も開いた。私もウルトラライトの全国組織の副会長を務めており、各地でロック岩崎氏と交流を重ねた。

 彼がトレイニング中に但馬にて事故死をする。私には今でも考えられない事故であった。根占出身の故白石氏は元ラインのジャンボ機・機長を経て、エアロバチック・パイロットなりエアメモにも、ロック岩崎氏と2機で見事な演技を見せて呉れた彼も、但馬空港での訓練中に事故死する。ロック岩崎氏が背面スピンは回復が難しいから、するなとあれほど言ったのに残念がった。
 若い内に基本を学ばなければ駄目でアクロバチィック・パイロットは、厳しい訓練が要求された。エアショーに誰を呼ぶかが難問だった。連続スピンや宙返りは自衛隊のパイロットは皆が出来るが本格的なエアショーパイロットは数少ない。

 日本の有名な室谷氏との出会いは、都城スカイフェスタで世界的に有名なユリギス・カイリスを、サポートしてアクロの極限を披露してくれた。勿論、室谷氏の見事な演技も拝見して、本格的なエアショー・パイロットは室谷氏しか居ないと確信した。
 根っからの飛行機好きで飛行機に乗るにはと悩み模索した結果、一応中央大学に入学してグライダー部に入れば安く空を飛べると、然し夢と現実は違い先立つものは金であった。アルバイトで貯めてはアメリカに行き、格安の訓練校を探し食事代を切り詰めての繰り返しに体力が衰え、病に倒れて近所に住む日本人のおじさんが自分の家に連れて帰り助けてくれた。人の情けに縋りながら様々な体験をして1年留年して卒業する。

  勿論エアロバティックのアスーリトの夢は消えてない、アメリカに行くしか無いと、自家用操縦免許とグライダーの教官資格を持っていれば、アルバイトで稼げるその金はエアロバティチックの訓練費に費やした。それを繰り返す中でアスリートの仲間と友人知人出来て優秀な教官にも巡り合えた。
 世界各地で開催される世界エアレースにエントリーする機会があり参加したが甘いものでは無く、エアショーはライバルは居ない自分も楽しみながら観衆を楽しませる。エアスピードレースは(レッドブルという)世界各地で開催され予選を勝ち抜いた14名て、バイロンの設定コースを規定のGを超えれば減点でタイムを争うシビアなレースである。ヒートレースは14位対1位・13位対2位の様に対戦する方式で、何れにしてもコンマ1秒を争う過酷なレースである。

 詳細なこれ位にして、レッド・ブルに努力して参戦したが世界の強豪を相手にべスト10には入れず、壁の大きさに諦めようと思った。今迄応援した人達を思い出し一念発起して、メンタルな面を専門家を訪ね精神を鍛えし、友人のユリギス・カイリス(航空整備士出身)に苦労して手に入れたスホーイ(中古機)を整備し、改良して自分自身を鍛え直した。
 不退転の決意が3位で表彰台に上がる事が出来きて努力が報いられ、メディアも日本の侍アスリートとして注目して呉れる様になった。日本の千葉県の東京湾上でレッドブルを開催する事が本部で決定して、何と12万人の観衆が席を埋めた世界のトップアスリト達の演技に酔いしれた。

  最早室谷氏は世界のアスリートに成長しエア・メモ鹿屋には室谷氏の演技が見れると、ファンが貸し切りバスで来るような以前の姿を再現したい。彼を呼べばギャラ高いと以前聞いたことがありエア・ショウを開催するには主催者大変なエネルギーを費やす。機体に当日のスポンサーを求め室谷氏に熱いオファを伝えれば、答えてくれる筈で人間関係を私達は構築した。

 彼も熱い情熱を持ちメディアにもルートが出来ているので、飛行機を運用するには多大な費用が掛かる。だから石川群司令はその方面は基地側が調達し民間側はそれ以外の費用を調達してエア・メモ鹿屋を全国に名を馳せるイベントにしたい願望が鹿屋の人達に伝えたかったのである。当時の山下市長や助役の西園氏と共に議員の方と、名を挙げれば限がないほど協力を頂いた。
 商工会議所の岡崎会頭に力になって貰った記述したい事は多いが端折りたい。言語に尽くせぬコロナ等の災難を乗り超えてエア・メモが開催されるのは嬉しい。原点に返り鹿屋市一丸と成ってつまらぬメンツは捨て、全国有数のエア・メモの成就を願いたい。(岩重)

 
  

《雑草・コラム》

「特別な日本」が
好きな日本人

 日本人の多くが信じているが、実はそうでもないことの一つとして「日本語は世界でも最も難しい言語である」というのがある。
そして、英語のようにSVO構文ではなく、SOV構文であるのが珍しいということである。

 私は今外国語を勉強しているのだが、外国語を話せるようになるまでに陥りがちな罠「なぜこの言語はこういう体系になっているのか?」という学術的見解を持ってしまい、なかなかヒアリングやスピーキングが捗らない。

 例えば、韓国語と日本語はもともと漢字を使ってきた民族なので、漢字の熟語は読み方が非常に似ている。例えば「気分」は「キウン」、「市場」は「シジャン」「近所」は「クンチョ」と、かなり多数に渡り似ているものがある。
しかも、韓国語と日本語は文法がほぼ同じである。主語がなくても良いし、目的語の順番が入れ替わっても構わない。ここまで書くと、日本人が韓国語を習得するのは簡単だと思われるかもしれない。

 しかしだ、現在の韓国では漢字は地名や人の名前以外ではほぼ使われない。なので、日本における漢字仮名まじりのような、漢字ハングル混じりの文章は見られない。日本語でいうと、すべてカタカナで表記されているような感覚だ。これはこれでかなり難しいのだ。

 中国語を読んで、発音ができなくてもなんとなく意味が分かる、というのが全くなく、ハングルは多くの日本人からは「記号」のようにしか見えない。日本語と発音がよく似ている言葉のほとんどはもともとは漢字表記だったものなので、もし漢字文化が残っていたら、日本人の韓国語学習者にとってどれだけ楽だったろうと悲嘆にくれる・・。

 そして、極め付けは発音の違いだ。私たちは「母音」といえば「あいうえお」意外に何があるんだ?と思うのだが、韓国語には基本母音が10もある。複合母音まで入れると全部で21の母音があるとされている。中には韓国人でも全く同じ発音をするという紛らわしいものもあるのだが、母音が21もあるとは日本人にとっては最早意味が分からない??である。

 母音が21もあるということはどういうことであるか?聡明な読者の方はお分かりだろうが、発音が難しいのである。英語のLとRの区別どころではないのだ。しかも、日本語は子音で終わる言葉は「ん」が最後にくる言葉だけであり、それ以外のvっっz言葉は全て母音で終わる。

 なんと、韓国語は子音で終わる言葉が無数にある。しかも子音で終わるので、つぎの単語の母音とつながって「リエゾン(連音化)」までしてしまうのだ。加えて、日本語よりも敬語がたくさんあり、助詞にまで敬語が存在する。  こうやって書いてきて、私は本当にいつか韓国語が話せるようになるのだろうか?と暗い気持ちになってくる。そして、世界の言語の50%が日本語と同じSOV構文であるということを知ってしまった・・。

 どうでしょう?これでも日本語が世界でもっとも難しい言語だと言えるでしょうか?(大浜 紙)

 
  

《雑草・コラム》

又訪れたい気分を誘い…

 かみかわ音楽フェスタが錦江町神川中学校で3月5日、開催されると新聞の告知欄で見た。この季節はまだ寒いので体調が良い時に聴きに行こうと思っていた処、日曜日は暖かい晴れの日だったので急遽行こうと、知人に確認したが聞いていないと言う。

生憎関係機関は休みで、見間違いかなとゆったりバスで行こうと思ったでも、二回乗替えが面倒で車でゆっくり気を付けて行くことにした。

 吾平の中央線の途中宿利原に右折して神川大滝公園を通り、道の駅「にしきの里」の裏の中学校で開催されると聞いて安堵した。暫く通らぬ道路は整備され予定より早く着いた、開演には時間があったので海岸を散策した。
 コロナ禍のせいで3年程の間に寂しいビーチになっていて、漁船が数隻引き上げられて漁師が作業をしていた。テントが張られ漁具や手入れ道具等類もあった。
 以前はシーズンになればビーチバレーや家族ずれで賑わっていたが、現在の海岸は長閑な漁村風景を醸し出している。今日は開聞岳に霞が掛かり薄っすらと姿を見せ、この風景も時期的に良いと思った。砂浜と道路の間に駐車場も細長く在り、ビーチスポーツや海上バイク、モーターパラ、小型ヨットと愛好者には、垂涎の場所の砂浜である。

 場所的にはフアミリマートと道の駅も利便性が良い。コロナ渦が収束し賑わいのあるビーチに戻ってくれればと、気を揉むのである。海岸の右側の隅にキャンピングカーとワンボックスカーが、テントを張りバーヴェキューを楽しんでいた。小綺麗な白のトイレハウスが寂しそうに見た。
さて、音楽フェスタ会場に行くと開演13時30分には100名を超える観客が椅子を埋め、演奏が済む度に拍手で盛上げ観客も熱気を帯びた。ギター弾き語りあり、ピアノ・キーボード、ギター2名にパーカション&ボイス、ドラムと豪華なバンド編成で、オリジナル曲やカバー曲にコーラスは男性5名で蝶ネクタイ着用、女性は清楚な白のオープンシャツ7名で揃い、音樂祭への地域民の意気込を感じ公民館主催では広報が足りず勿体なかった。

 話は変わるが、神川大滝公園を久し振り訪ね小滝を見て、「しょうべんの滝」は光線によっては錦の水柱に見えた。水量は一定して時折リズミカルに落水するこの滝を、弁財天の滝とも言い由来書には音楽・知恵・弁舌に長ける神と記されている。
 地域民が音楽に馴染むのは古来、弁財天の伝承があったのかと知識を新たにした。大滝は水量が少なかったが弁財天の小滝は小振りだが水量が一定しており躍動感を感じさせる。滝の上流は半ヶ石の山間を縫う水源に神が宿る伝承があると聞き、道理で周辺の地名に神川・神野・宮原・宿利原と意味深な地名が多いのだ。

 公園の食堂入口の車道は坂で身障者や高齢者に、配慮が欲しいのは車乗入れ禁止になっている。高齢夫妻が駐車場で弁当を開いていたので、茶屋があると勧めると夫妻曰く、茶屋の軒下に2台駐車しているのに車乗入れ禁止は何故なのだろうかと。
 私達は此処で良いとニッコリ答えてくれた。ストレスを排し癒しを求める人達もいるし、気分爽快になり又訪れたい気分を誘い、神川滝公園と神川地域の人達の繁栄を祈念したい。(岩重)

 
  

《雑草・コラム》

新たな世界に向かって
力強く、生きる姿

 第二次世界大戦の欧州戦線でノルマンデー上陸作戦を総称して、オーバーロード作戦と言い1944年6月6日ドイツ軍の壊滅と占領地の開放が決行され、1200名の空挺隊員が降下し海岸線後方で犠牲者も多く出た。

その後5,000隻の艦艇から上陸用舟艇で海岸線を確保す。風波が高くまさかこの時期に上陸は意表を付いた作戦だった。初日に16万名の兵士が上陸8月末にはイギリス海峡を渡りフランス国内の連合軍は200万名を超えた。

 連合国軍総司令はアイゼンハワーが指揮とり上陸部隊のイギリス軍・カナダ軍はモンゴメリー将軍が指揮をとった。連合軍はイギリス海峡のカレー地域に侵攻上陸をすると偽情報を流し成功した。
 ノルマンデー上陸から細長く海岸線を確保その後戦線を拡げ、6月26日はシェルブールを開放し7月21日はカレーを占領した。 シェルブールも戦火にまみえドイツ軍の抵抗も激しかったが、ドイツ軍は降伏し市街地の全域破壊は免れた。
 小さな港町の約4万人の古い石造り3~4階建ての街並みが多く、静かな風情は残りそれが幸いしてかシェルブールはロケ地や観光になった。両軍共に情緒ある街並の破壊を免れた(シェルブールが目に付に付いて駆け足で記述す)。

 1964年カンヌ映画祭でグランプリを受賞した作品で、シェルブールの雨傘の素敵なテーマソングと相まって、カトリーヌ・ドヌーブ演じるジユヌイーブが愛する彼氏は、自動修理工のギイを戦場に送る夜に結ばれる。
アルジェの戦いの最中に召集され、一時音信不明になるストーリーである。彼女は身籠るが困窮思案の最中に生活苦に追われ、母の宝石を宝石商に持ち込み店主は渋るが、居合わせた実直な中年の男と出会い宝石を買取ってくれる。
 戦争とは何処にでもある愛憎劇があり、哀愁は予備役で召集され戦死したと聞き絶望し売春婦に身を落としていたが、誤報で大佐に昇進し復員したと知り軍の車に身を投じる悲恋の映画であった。
 話を戻し負傷した足が不自由であり運命に翻弄され悲嘆にくれ荒むが知人のマドレーヌに伯母の面倒を頼んでいた彼女と結婚する。貯金と母の遺産を処分して念願のガソリンスタンドを開店する。

 ある日ガソリンスタンドを訪れたベンツにジェヌイーブが、3~4歳位の女の子を助手席に乗せている。事務所で短い会話を二人は交わす今なら戻れると言うと、首を横に振り無言でお互いの幸を確認し合って車は静かに去っていく。入れ替わりに妻と娘が帰って来る様を大はしゃぎして、出迎える幸せそうな3人の家族がラストシーンとして映し出される。

 戦争に翻弄された者同士が挫けずに新たな世界に向かって力強く、生きる姿をシェルブールの雨傘は美しい音楽の旋律と共に問いかけている。
 あの過酷なノルマンデー上陸で連合軍はナチス軍を降伏させパリを開放し、シェリブールの街並みは徹底的な破壊を免れて、風情ある街並をそぞろ歩く。由緒ある名の冠にも似たプロチームネームの新たな自転車競技の発展を祈念したい。(岩重)

 
  

《雑草・コラム》

世界に一人だけのお姉ちゃん

 一年半ぶりに姉が福岡から帰省した。職場の関係で、お正月休みがほとんどなかったので、今回の連休を利用して一人で高速を使って帰ってきてくれた。私が最近両親との同居に限界を感じていて、かなりメンタルをやられてしまった様子を見て、心配して会いにきてくれたのだ。そして、以前noteに書いた姉についての文章を思い出した。
 『昨日の夜、私は泣きながら寝た。お盆休みに帰省出来なかった姉が今日からの連休、うちに泊まりに来るはずだったのだ。詳しくは書けないが、姉の体調不良で今回も鹿児島に帰ってこられなくなった。姉の体調はもちろん心配だが、口をついて出たのは

 「なんなの?一体なんなの?」

 である。私と姉は、姉が結婚した27〜28年くらい前から2人っきりでゆっくり過ごした事がほとんどない。私には子どもがいないけど、姉には子どもがいたのでなかなか一人で帰省など出来ないし、姉夫婦は何処へでも一緒に出かける仲良しで、姉がいるとセットで必ず義兄もついてきた。
 私は姉が結婚した時、義兄に嫉妬した。この人のせいでお姉ちゃんは自由がなくなった。この人のせいでお姉ちゃんと私はなかなか会えないと。

 私と姉は小さい頃から仲良しだったわけじゃない。姉は私の事がうっとおしかったらしく、小学生の頃は随分邪険に扱われた。どんな事をされたか書くと姉の立場が悪くなるので書かないが…。

 しかし姉が高校生になってからだろうか?当時姉が好きだったアルフィー(笑)のコンサートに連れて行ってもらったり、姉の洋服を貸してもらったりするようになった。借りてきたマンガも読ませてくれる様になった。(なんと読ませてもらえなかったのだ!)

 さてさて、姉と実際会うと、些細な事で言い合いが起こる。ホントに些細な、他人が聞いたら笑っちゃう様なくっだらないことが原因だ。姉は私の良い面も悪い面も一番知ってる。私は姉の悪い面は、あまり知らない。姉はちょっと天然の善良な女性だ。「バレーボールの選手はよくジャンプをするから着地のショックで身長が縮むはずだ!」とかよく分からないことを真剣に言ってきたりする。

 正直、職場に姉の様な人が居たら、苦手というか、ちょっと嫌いだと思う。でもなぜか、姉の事は好きなのだ。多分、私のお姉ちゃんだからだと思う。』

 ここの文章を書いてから2年半経つが、いくつになっても「お姉ちゃんは大好きなお姉ちゃん」のままだった。わざわざ遠いところから時間をかけてきてくれてありがとう。今度はお土産をたくさん買って、私がお姉ちゃんの辛いときには駆けつけてあげたいと思う。(大浜 紙)

 
  

《雑草・コラム》

天敵と共生と

  

 蝶々の世界にも天敵は小鳥などがいるがリウキュウ・アサギマダラは、天敵の鳥から襲われないことを花鳥雨月の記述より知った。
 幼虫時代から食草から摂取した有毒成分を成虫になっても体内に蓄えており、天敵の鳥から襲われる事が心配ないため他の蝶の仲間に比べて優雅に飛び、越冬期の時期なのに気持ち良さそうに羽ばたいている。

 奄美地方では蝶をハブラと呼びリュウキュウ・アサギマダラの様な美しい蝶は「アヤハブラ」で多くの舞う姿は風に吹かれ戯れるように飛んでいるが、冷たい北風が吹くと嘘の様に飛ぶのをやめ葉の上で羽を広げ気持よさそうに休み始める。
蝶の世界にも極楽至福の一時のある事もあるのだ。

 蟹やエビの甲殻類はには蛸が天敵であることは知っているが、あの触手を上手に使い頭と足の付け根でがっちりかえ込み、伊勢海老の甲殻を嚙み砕く様はあの軟体の身体で甲殻類を捕食するとは,其々に生きる為の武器は持っているのは逃げる為だけでなく、凄い武器で生存競争はどの世界でも必至である。
 ウツボの天敵をあまり聞かないはが、蛸はウツボが最大の天敵である。蛸を捉え捕食しようとした処、必死の抵抗は素早く逃れる為に凄い歯と下顎を避け上顎を吸盤で動きを止め頭の後ろに一撃の口傷を与え怯んだ一瞬の隙に墨で煙幕を吐き素速く離脱する。

 蛸の手足はまた再生すると言われるので、2本や3本失っても反撃して離脱する、窮鼠猫を嚙む例えの如く生存競争は何の世界でも必至なのだ。カニやエビはウツボが居る隙間に共生して天敵から逃れている。
 北朝鮮は中国とロシアと共生し、その上に核ミサイルを必殺の武器を持つ。

 日本は中国やロシアの侵略に対しては米国と共生しなければならないが、必殺の武器は日本で無ければない物を持つべきである。
 富裕層が多い化石燃料天然ガスの産油国も時代と共に、地球温暖化で脱炭素化が進んでいる。再資源化の特許を持つ事も生存競争を勝ち抜く為の、武器になるので平和的な力の大国を醸成すべきである。
 ソ連崩壊後にロシアがウクライナを併合して、かってのソ連の構成国を今一度元に戻し共生国として強固な連携を夢見たプーチン大統領であった。

 今回のウクライナ侵略で政治経験のないコメデアンお笑い芸人上がりに何ができるかと甘く見た。大統領選挙戦で所信表明し信頼を得て大統領になり、プーチン大統領からプレッシャーを掛けられ簡単に妥協するか、軍門に下るだろうと安易に考えていたのだろう。

 欧米諸国を駆け巡りロシアの大国の侵略には屈しない、侵略した領土は取り戻す…と米国や西欧諸国と共に新たな自由民主主義国家を目指す。

 掛けた梯子を外さずに欺瞞に満ちたプーチン大統領の2時間に及ぶ演説に、スタンデングオーベションは起こらなかった。儀礼的な拍手は散見されたが権威に対する儀礼的な挨拶だったと思う。

 国際社会の経済制裁は確実に効果が出始めている。米国の世論では共和党内に不協和もあるという。今更ウクライナに掛けた梯子を外すのは酷で理不尽な説法でなく名誉ある和議は出来ないのか、小国の生きる術は大国と共生の道を探りギブ&テイクの生き方が醸成するも兵法である。(岩重)

 
  

《雑草・コラム》

すでに一歩踏み出している

  

 誘われてリナシシアターで「ラーゲリから愛を込めて」を観た。
 映画自体も久しぶりで、リナシアターとなると何年ぶりだろう。

 何も前知識なく誘われるままに映画鑑賞、しばらくしてシベリア抑留の映画だというのが分かった。
 当時シベリアでどんなことが行われていたか、詳しく知ってるわけでもなく、ただ、だからこそ新鮮に食い入るように観ることができ、恥ずかしい話だが、涙が止まらないまま最後まで観た。途中、周りを見てみると、ハンカチで涙を拭いている姿を見て、私だけじゃなかった…と安心した。

 戦後50年では、いろんな戦績を見て回り、新聞でも呼び掛けて戦争体験を募集をしたりしたが、今は戦後77年、ずいぶん前のことになった。
 永遠のゼロも映画館で観て、最近では永田良吉さんのことを調べ、戦争というものを改めて考えることもあったが、ここ最近は、他人事みたいになっていた自分がいた。

 それでも、安保関連法の成立があり、戦争を知らない世代が主流になって日本も戦争にだんだん近づいているという危うさを感じている中で、ロシアがウクライナを攻撃し、1年になろうとしている中でのこの映画。

 私としては、戦争というものを改めて考えさせられたいい機会だった。
 加えて、先日は集会に呼ばれ話を聞いた。すでに世界大戦は始まっている…、台湾有事もだが、1年後は中国が日本にも攻めてくる…武器を持て…、来たら迎え撃て…ということを真剣に話す人たちがいて、そうした可能性もあるのかもしれないが、そんな内容を話す人たちがいる一方で、青臭いことを…と言われようが、平和ということをさらに伝えていく人たちもいなければならない…そんな思いも強くなった。

 私がこの欄で伝え続けているのは、人類にとってその歴史が物語っているように、哲学者カントが「平和とは何か」を問い、「人間は邪悪な存在である」ということを前提に「なぜ戦争が起こるのか」でなく「平和は自然状態ではなく、平和状態は新たに自分たちの手でお互い努力して創出しないといけない」としていること。

 また昨今、脱炭素社会やSDGsが声高に言われている。
私たちは、人類として生き残るために、というよりも人類の欲望によって壊れてきたこの地球そのもの、地球上の他の生き物のためにも守っていかないとならないということだが、人間の欲望が戦争を起こし続け、自然を壊し続けてきている、その根っこにあるものはいっしょなのだろう。

 ただ、先日の集会のように、武器を持て、来たら迎え撃て…、また別な集まりでは日本も核を持てばいい…現実を見ろ、理想では生きていけない…という。
 武力という手段をとり解決をしようということだが、その底辺、側面にはエネルギー問題や食糧問題も横たわっている。カントは「人間は邪悪な存在である」というが、現実に世界各地で紛争が起こり、難民が生まれ、さらに殺戮が繰り返され、世界が無秩序になっていくことを何度繰り返せばいいのだろう。そして戦争が起こるその原因を考えたりすると「人間は愚かな存在である」ということも付け加えなければならないのか。

 一般人としての自分たちも武器を持て、来たら迎え撃て…という人たちは、自分は死なないんだ…ということが前提のような気がするし、何を守ろうとしているのだろうか…その場では分かりにくかった。

 その集会のスピーカーは、新聞もテレビも120%信用しない…と言い放ち、ネットで自分の主張に合う情報だけを追い続け、ますます考えが偏る傾向にあるのでは…。

 ただ、現実には戦車や砲弾だけでなく戦闘機を…という声も聞こえ、エネルギーや食糧の影響が他国、特に途上国では生死に係わるようになり、大国、先進国の関与も…ということになってくると、また悲しい歴史が繰り返されていくのだろう。

 そこではメディアによるプロパガンダ、大衆心理がだんだんと駆り立てていくことになる。今後は、ネットという強い武器が加わって…。

 これからどういった形で進んでいくか、日本も巻き込まれざるをえないのかもも分からない。
 しかし、ネガティブに考えるだけでなく、その集会で武器を持てというスピーカーが帰ったたあと、残った人たちの中では食の安全保障の話になった。
私たちの身に何が起こるかは分からないが、この鹿児島では、私たちだけでも食をしっかり守っていくようなことを…と、種子法や種苗法の話になり、実際そのグループでは、F1でない数種の豆や雑穀の種をとるための種まきを始めている。

 平和状態創出のため、自分たちの手でお互い努力してしていくような…、また脱酸素社会やSDGsもだが、さらに現実的に生き残っていくためのポジティブなアクションを考えてみる。

 そして「基地のある鹿屋は真っ先に狙われる…」と言われたので、「まずは1000m級の山々が7座ある高隈山のどこかに隠れて…」と答えた。

 過酷な「ラーゲリ」での生活、実話をもとにした映画、主人公の生死にかかわりそこで物語が終わり…と思ったが、またそこからの展開にも涙が出た。
実戦での殺し合いという戦争もだが、収容所での生活も、そして食糧やエネルギー問題も含め苦しんでいる姿も一つの戦争、そういった意味では、ドンパチ以外のところでもすでに一歩踏み出しているのか。

 私たちは、その状態で何をすべきなのか、勇ましい言葉よりも、できること、考えなければならないことはまだまだあるのだろう…。(米永)

 
  

高齢者を相手の犯罪
は許せない筈

  

 フイリピン強盗殺人の幹部が4人日本に強制送還されて来たが、フイリピンでは比較的自由な拘置生活だったらしい。今後は日本の取り調べで事実が解明するだろう。
 4人の容疑者が事実を話すかは取調官の才能にかかっているが、ルフィ―は渡辺容疑者か、小島容疑者は筆頭クラスの幹部だろうと目されており、今後取調の事情聴取で全容解明が進んで行くと思う。

 それとも事件関連の肝要な部分は完全黙秘を貫き、雑談には応じるか取調才能にゆだねる他は無いと思う。約60億円を主に高齢者から騙し取っている陰湿な犯罪であり、組織化された犯罪で複数人が仲間割れしない限り解明は時間を要する。
 十数年前にフイリピン・マフィアが暗躍し捜査当局は、嘱託殺人等を請け負おう犯罪組織が話題になったことが記憶にある。

 政府と各国が厳しく取り締まりを実施して壊滅したと思っていたが、影を潜め今も組織として存在しているらしい。情報を要約するとハンドラーと言う仲介業者が居り、ヒットマン(実行者)は2万円から6万円で有名人は200万以上で請け負うと言う。「ガンフオーハイヤ」邪魔なものを殺す組織があるようだ。
 動機が無いのとハンドラーは依頼者との秘密は絶対に守る鉄則がある。徹底的に被害者の身辺調査で洗い出し依頼者が誰かを割りだして解決する日本の捜査当局は、優秀でその後フイリピン・マフィアの話は聞かなくなった。

 4人の容疑者の今後の捜査過程で事件の概要が明らかになるが、その上に介在す組織があり黙秘を貫き通せば事件解明は困難である。4人の首謀者とおぼしき者の犯行であれば捜査当局の優秀さからすれば、今回の事件解明は容易に解決できると思う。

 マフィアはイタリアのシシリー島を起源とする犯罪組織で、元々はシチリア島で大地主層の圧政に反抗した農民集団で密輸や賭博等の業から、政治産業に迄介入する様になった。19世紀から20世紀にかけアメリカに移民してニュヨーク・シカゴ・ロサンゼルス・サンフランシスコの、大都会を中心に勢力を拡大して金融や建設業等にも関り、非合法から合法的な事業を伸ばした。

 イタリアでは19世紀初頭はムッソリーによって弾圧され壊滅し姿を潜めた。第2次世界大戦でドイツやイタリアの東海岸一帯において組織を利用して,アメリカ海軍に協力を請われスパイ活動を行った。

 シチリ南岸に上陸したパットン率いる米軍は7日間で、バレルモに進撃したのは有名な話である。戦後人気の高かったジョバンネ・ファルコーネ判事が高速道路で爆殺されたのは、マフィアを徹底的に検挙して組織を潰したその報復と言われる。

 米国はFBIや当局がマフィに合法的な業を進めさせ、建設業に係る全般的な仕事に就かせた。芸能界ではフランク・シナトラは国に貢献した事実もあり、イベントには分け隔てなく出演し、ジョンFケネディ―も付き合いがあった。余談になるが独裁者ムソリーニは敗戦間際にパルチザンによって愛人と共にリンチに合い逆さ吊にされた。

 仕業はパルチザンとの事だが事実はケネディ―の様に謎である。多少なり誇あるマフィアは卑劣な高齢者を相手の犯罪は許せない筈で、捜査当局の努力を願いたい。(岩重)

 
  

《雑草・コラム》

老害の独り言

 子どもの頃、親から言われて一番嫌な言葉は「早くしなさい」であったが、その次は「あなた達は恵まれている。私たちが子どもの頃は・・」という昔話であった。
 幸か不幸か、私には子どもがいないのでこの言葉を発することはないのだが、特定の子どもではなく、「今時の子ども」に対しては心の底から「今時の子どもは恵まれている」と感じている。

 例えば、これは電車がない田舎町鹿屋市の特有の現象なのかわからないが、子どもが遊びに行くときや習い事に行くとき、親が送り迎えをするのが当たり前になっている。
 私が小学生の時も雨が降った日などに車で送ってもらっている友達はいたが、本当に少数であった。そして、書道を習っていたときも自転車や歩いて来る子ばかりだった。そのおかげというか、そのせいで、すっぽかして遊んでいたこともあったが、それはそれで良い思い出となっている。

 コロナのせいで、少なかったバスの便が更に少なくなっているし、親は色んな習い事をさせたいし、自分の子どもだけが遊びに行けないことを不憫に思うであろう。送迎も致し方ない。
 私が子どもを持っていたなら、今頃は大学生や高校生だっただろうが、多分よほどのことがない限り「自転車で行きなさい」と言い放っていただろう。友達にそう話したら、「いや、絶対自分の子どもだったらやると思うよ」と言われた。そんなもんだろうか?

 私の家は基本的に子どもの事は優先順位が親よりも下だったし、それが身に沁みついているので、やらないような気がするのだが、自分が送迎しないことで、子どもの友人の親に迷惑をかけることになる場面が増えれば、やはりやるのかもしれない。

 親になるというのは、そういうものなのかもしれない。一人だと、自分のことだけ考えて、いつまでも尖っていられるのだが、子どもを持つと自分の行動が自分だけではなく、子どもや子どもの友人、友人の親など周囲にまで影響を与えてしまう。

 先日姉と電話で話したのだが、「あなたも子どもがいたら、今より性格が丸くなっただろうね」と言われた。昔の私だったら「失礼な!」と腹が立っただろうが、さすがにこの歳になると素直に「そうだね、もっといろんな物事を受け入れられるようになっただろうね」と答えることができた。しかしまぁ、タラレバを言ってもどうにもならない。

 親に送迎してもらえる子どもがいる一方で、貧困家庭の子どもやヤングケアラーなど、表だって見えない問題も潜んでいる。人間は平安の昔から「今時の若者は・・」などと嘆いているのだ。

 これは老害による伝統芸能みたいなものだ。後を継ぎたくないのに襲名してしまったが、幸いにして私の跡継ぎはいない。いかんせん、そんなことが言える平和な世の中が続けばいいのだが。(大浜 紙)

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調略の大切さ歴史に学ぶ

 徳川家康が調略戦(外交)で本領発揮したのは、関ケ原の戦い開戦の以前に戦略を整えていたと思う。約40年前の大河ドラマから徳川家康のドラマを何回見ても、調略の才能は見事に演じられており、今回の脚本家・古沢良太氏が家康を演じる松本潤に如何演じさせる楽しみである。

 慶長5年(1600)7月に、会津の上杉氏攻めの戦い開始寸前に、石田三成が挙兵したと家康が下野の国(栃木県)小山で知らせを受ける。
 会津攻めを中止して引き返し8月5日には江戸城に戻り、約1か月の間に諸国の大名に味方に付く様に書状を出す、この上杉攻めを口実に石田三成が如何出るかを誘った行動と言われる説もある。石田三成の行動が早いのと上杉景勝が、常盤の佐竹善宜が通じ反撃して来ることを怖れていたからである。

 東軍に就いた出羽の最上義光や陸奥の伊達政宗に牽制されていた。上杉景勝は家康を追わず決着が付く迄余力を残していたと言われる。
伏見城を8月1日に落した三成は大垣城に入り、美濃の国も伊勢の国も抑えにかかる。福島正則は秀吉の姻戚であり西軍に就くと思われたが、会津攻めには参加していず、三成は清州城を守っていた正則に開城を求めるが正則は開城を許さなかった。

 正則は武断派で、三成とは(文治派)でそりは合わず家康につき、家康は東軍の陣容を整え江戸城を出たのが9月1日。先鋒は清州城に着陣して、関ヶ原の布陣構想を練るが、西軍小早川秀秋は早々に松尾山に1万5千の軍勢で布陣する。

 関ヶ原に西軍勢8万2千対東軍勢約7万4千の布陣で、三成軍優勢が約6時間の戦闘で西軍が総崩れになり決着が付いたが、余り早く決着が付いたのを、関ヶ原戦場跡を探索して松尾山布陣の小早川1万5千が、東軍に寝返りして西軍総崩れで形成が逆転した状況が、私もこの目で確認したくて、同地を訪れ理解できた部分もある。(詳細は割愛…ドラマの楽しみの為)。

 島津義弘の陣跡を探索したが、家康陣桃配山正面に位置し、開戦から最後まで動かず最後に正面突破で戦場離脱を敢行する。捨て殺し戦法で首を獲れの下知に島津豊久が身代りとなり、少人数で待ち構える戦法を繰り返して戦場離脱を成功させた。

 島津豊久の他に義弘の家老の長寿院盛淳か蒲生・帖佐の兵を率いて決戦2日前に着陣し義弘の陣羽織を身に着け身代わりとなり討死にした。家康の家老・井伊直政は銃撃を受けそれがもとで負傷して1年半後に没した。戦後は島津家に好意的で義弘を激賞し和平交渉に関与した。

 島津義弘が当初家康との約束があり東軍の伏見城に行ったが、城代・鳥居元忠に加勢は無用と断はられ止む無く西軍に就いた経緯がある。島津藩がたった1,500の軍勢では、当てに成らぬか何か策があると訝ったのだろう。戦場では相手にしなかったが決死の退口には勇猛果敢さには感心する。結局はお咎めなしになる。

   如何に調略が大切さを中国との外交に駆使して欲しい。尖閣諸島の領海内に海警局大型艦船が侵入し領海外に出る様に警告をするも、中国海警局艦船は此処は中国古来領域と主張する。 数ケ所同時に領海侵入し中国が新たな展開に出る強腰の姿勢を覗う、バックボーンを確り備え外交戦で厳しく対応すべき時に来ている時である。(岩重)20230211

何としてもウクライナ
紛争終結の術を

 現在ウクライナが戦場で侵攻された領土を奪還するためには、戦車で高性能の保守管理がし易いのはドイツ製のレオパルド2クラスの戦車が欲しいと言う。

 だがドイツが供与を渋っているのは第2次大戦で、ソ連と戦い相当な多くのソ連人を殺戮した過去がある為に即答できない良心が許さないのだろう。しかしながらウクライナに対するプーチン大統領の、インフラ攻撃を徹底的に破壊攻撃し国際世論がドイツは、良い子に成り過ぎると批判が出始めた。

 ドイツ議会や国民にも、ロシアのウクライナに対する蛮行を、黙認するのは過去の罪悪感を理由に逃避できない。ドイツ政府は此処に来て待っていたかの様に、米国も最新型のエイブラムスを供与するなら応じても良いと応じた。イギリスはチャレンジャ2でレオパード2に劣らぬ性能があるが、過去の実績はドイツ製が実績を持つと言われる。米国製のエイブラムスはガスタービンエンジンで、燃料はケロシンを用い保守管理が難しい。

 レオパルド2は1500PS 12気筒で2600rpm低回転域でトルクを出し、デイゼルターボチャージャー備え第3世代の戦車で120㎜滑腔砲5㎞射程を持つ。戦車砲はライフル式螺旋を砲身内に刻む従来型で、発射時のロスが大きくこの方式だと戦車の全面装甲板は射程1500m以内で無ければ貫通しないが砲弾の開発が進み砲弾にフインが時弓矢の様に羽根が付き射程が発射時のロスが無く射程が伸び貫通力もアップした。

 第2次大戦末期のドイツ軍はタイガー式重戦車の砂漠戦でも活躍し、米軍のパットン式Ⅿ4やシャーマン式縦横無尽に動き回るM24軽戦車は キャデラックエンジンを2機搭載、トルクコンバータミション今のATMでドイツのロンメル将軍率いる砂漠のキツネと言われた戦車軍団を翻弄した。

 ドイツ軍はタイガ式戦車の活躍も平坦線が厳しい状態で、ノルマンデイ上陸戦で守勢に立つドイツ軍ロンメル将軍は負傷して本国に帰還する。ヒットラー暗殺未遂に巻き込まれ処刑されるより服毒自殺を選ぶ。優秀な武装兵器も優劣を決める指揮官の能力と経験が勝敗を決する。

 ウクライナは侵攻された領土奪還をゼレンスキー大統領の要望に、武器の供与支援に答えロシア軍との戦闘が冬季.明けに開始されるだろ。ウクライナ侵攻の勝敗は西欧諸国の自由主義国家とロシア・中国と戦いであり、戦闘は難局に立たされている。
 優秀な兵器をウクライナに供与してプーチン大統領の無謀な戦いを、何としても収めねば成らない。対戦車にはシャベリンを用い対航空機にはスティンガーも駆使して、相手がプーチンだから正々堂々でなく神出鬼没な戦法を駆使して対応して欲しい。

 西欧主要国の戦闘指揮官の経験測の戦術指導を受けて駆逐勝利を焦らず、ロシアに厭世気分を深める戦術を駆使して欲しい。ロシアも国家財政が厳しくなるし戦争継続は厳しくなるので、何処かで落し処を模索するのも兵法である。プーチン体制崩壊を狙っている情報も氾濫しており長期戦になる可能性もあり、長期戦の覚悟して忍耐の我慢比べになるがロシアのインフラ攻撃は阻止出来ないものか。

 何としてもウクライナ紛争終結の術を祈るしかない。レオパルド2が救世主になって欲しい。(岩重)

瀬戸大橋凌ぐ錦江湾大橋実現させたい

 鹿児島県垂水市長に尾脇雅弥氏が四選を果たした。尾崎氏は過去に「自衛隊後援会・垂水とぼん会」設立に際し篠原氏・池田氏と一緒になって立ちあげた、実行力のある有言実行のリーダー的資質を有する人であった。

 過去に桜島架橋をそれぞれの立場で提唱されているが、今回一段とテンションを上げて錦江湾横断道路として、より強烈に公約に掲げたのは尾脇氏が始めであったのではないか。夢と希望は大きく持ち何事にも立ち向かって、そこで遭遇した諸々の問題を取捨選択して可能な方法を採るべきであると思う。

 問題は活火山で最たる活動期の桜島を媒体に巨費を投じて、橋を掛ける事態に賛否両論があった。薩摩半島側の人達は巨費を投じて創り架橋を渡る必要はないと冷ややかな姿勢であった。元伊藤県知事は桜島架橋や景観の点からトンネル案も出たが、積極的に推進する事は無かった。その後知事が2人替わったが架橋問題は沈静化していたが、最近になって桜島火山情報でレベル5の警報がテレビ・新聞等で発令され、報道陣が色めき立った。

 火山研究権威の大学教授はマグマが上昇し山体膨張は見られ、場合によっては大正3年の大爆発がある事も示唆した。南西側の比較的低い位置の山腹噴火も考えられ、マグマ流出で薩摩半島と陸続きになる可能性もあると話をされた。活火山の活動期の桜島を媒体に考えるのは、今後は慎重にと談話された。

 桜島架橋の夢は数十年来の願望であるのに比し、薩摩半島の方々の意見は温度差が有った。費用対効果を考慮した場合に桜島を直接媒体から違った角度で再検討して、冷静に桜島をバックボーンとして借景的発想を働かしてみての必要もある。発想を錦江湾横断橋と軸線を替え、横断橋を錦江湾に架かる橋として大隅と薩摩の虹の掛け橋的存在感に変える。

 藩政時代から現代にかけ錦江湾は良しにつけ悪しきにつけ、東目送り的偏見が存在していた事は確かであった。桜島架橋と錦江湾横断架橋と呼称の言い方を替えただけで、ミクロとマクロの差異は大きく錦江湾の一体感に変貌する、今回、尾脇市長の選挙公約で錦江湾横断架橋と掲げたのは、今までの概念から大きく脱皮したマクロ的発想に飛躍したと思った。県全体の交流展開と新たな観光資源が浮かび上がり新たに派生する、大きなリスクを抱える事柄から脱却して新たな展望が開けて来る。

 雄大な桜島は紛れもなく成長期の活火山で、火山地質学専門家はどの様に変貌するか予測が難しい。悲劇のデスビオス火山を想起すると自然の驚異を人間は未来の為に生かし、錦江湾横断架橋は自然と現実を共に学ぶ事の意義は大きい。様々な難問が介在するが海底トンネルか架橋かと検証は地殻変動と山体膨脹を繰り返している。その自然創造の過程をつぶさに観察し、錦江湾は元々阿多カルデラで湾口には痕跡を残しておる。海底トンネルは万が一のリスクが大きいし機能的に良いとしても、観光立県の魅力を考えれば瀬戸大橋は主塔より高さ200mスパンは1km以上ある。 有名なのはサンフランシ湾に架かるゴルデンゲートブリッジで、美しさは世界的に有名で本県にも、瀬戸大橋を凌ぐ錦江湾大橋を実現させたいと思う。(岩重)20230127


もしも生まれ変われるなら

 今現在の知性と知識を持ちながら、0歳からやり直すことができたら、あなたはどんな人生を送りますか?というか、人生をやり直したいですか?と聞かれたら、何と返すだろうか?正直言って、私は今まで失敗だらけの人生だったけど、やり直したくない。50歳まで生きて得た知見を持って、自分より年齢も経験も幼い両親に育てられるなんて、考えただけでゾっとする。

 なぜこんな話をするのかというと、現在テレビで放映中の「ブラッシュアップライフ」というドラマがそういう話なのだ。平凡な公務員として暮らす主人公の女性が、交通事故に遭い、死んでしまう。すると、あの世に役所の受付の様な場所があり、「あなたは来世、オオアリクイとして生まれ変わります」と宣言される。人間に生まれ変わるとしたら、徳が足りないのだとも。そして、「オオアリクイが嫌なら0歳から自分の人生をやり直すことが出来ますよ」と言われて、女性はそちらを選ぶ。

 ドラマなので、0歳から就職するまでの人生を、前回とどう変わったかを交えコミカルに描いているのだが、どうだろう?私が50歳の脳みそで小学校に入学したら、同級生と何を話していいのか分からないし、多分なにも面白くないと思う。学校で習うことは全て知っているし、子どもの頃は分からなかった先生や親の微妙な態度の意味や人間関係の面倒臭いことまで全部わかってしまう。いや、ドラマにマジレス(本気で反応)するのはどうかと思うのだが、私の友人で「私もこのドラマの様にやり直したい」と言った人がいたのだ。絶対面白そう!と。

 その態で、「もしも」を考えると、私は就職までを一番効率良く行いたい。まず、中学生くらいまでは「天才級」に勉強ができるので、高校は進学校に行くことを勧められるだろうが、私の両親は「女に教育は不必要」と考えている人たちなので、あえて進学校には行かず、生活科とか被服科の様な実業系の科に入り、推薦入学で鹿児島県内の短大に奨学金で進学し、高校の家庭科の教師になりたい。今、私は縫物などほとんどしないのだが、小学生の頃は手芸が大好きで、いつも何かを作っていた。しかし、小学5年のある日、家でエプロンを縫っていたところ、母の友人で口の悪い方から、「まぁ、この子は不器用なもんじゃ!」と言われた。これがきっかけで以来20年以上、針を持たなくなった。

 小学5年生のあの日を避けても前世での記憶が残っていたら意味ないのでは?と思うのだが、あの時手芸を続けていたら・・と思うことがよくあるので、あえて子どもの時に大人の経験による器用さを周りに見せつけて、「この子は器用な子」という印象を与えることによって、私の人生は大きく変わるだろう。

 と、ここまで考えてから思った。「面白くないな」と。この考えはただ、安定を得るための戦略でしかない。やはり、もう一度人生をやり直すことが出来るなら、私はダンサーになりたい。ダンサーなど、どうやってなるのか分からないが、とにかく小さいころから日本舞踊でもなんでも良いので習わせてもらおう。その後、どうなるか全く想像がつかないが、これなら面白そうだし、大人になってから芽生えた「ダンサーになりたい」という夢をかなえることができるかもしれない。

 今からでも遅くはないから、努力してみれば?という方もいらっしゃるかもしれないが、今の私にはダンスよりもっと優先順位の高い楽しみが出来てしまった。「韓国語の習得」だ。ダンスは、来世の私に任せよう。(大浜 紙)20230123

脱炭素への戦いは自然との戦い

今年は例年に比し寒さが厳しく感じるのは、地球温暖化の影響であろうか。私達の生活環境を浄化する意識を高めねば、待ったなしの処に来ている。個々の啓蒙も大切であるが、主要国家が指導的立場で発展途上国の社会と共に、温暖化対策のイニシアティブを取り、脱炭素啓蒙を図って行かなければならない。

石油産油国や天然ガス等や化石燃料が豊富にあるから、エネルギーの不安は無いと豪語して国際経済を牛耳っている大国は、現在地球温暖化が進行している事を真剣に考えるべきで時である。化石燃料等の大量使用によって二酸化炭素が排出され、地球上の熱を宇宙に逃がす妨げをして、温暖化を益々加速している現状である。

再生エネルギーの開発に各国は力を入れ、風力エネルギー採取を山間地の分水嶺を中心に設置されている。辺鄙な場所に風量の立地条件を考慮して設置していが、巨大風車を設置する為に土砂や造成工事を行い、2次災害の恐れも出ており維持管理の問題が出ている。

風車エネルギー利用はオランダが用途は違っていても、国土の干潟の排水の宿命と戦って克服している。日本は台風常習地域を考慮して設置して風車エネルギーの利用が行われている。鹿児島県の南薩から北薩に二つのプロジェクトが設置を競っているが、特に設置される残土等の処理と設置後の災害対策が許可条件になっている。風力エネルギーの先進地は歴史的にオランダが、干潟の水の排水に約300年間の豊かなノウハウを蓄積している。

当時は風車を利用して国土の4分の1が海抜0メートル以下で、試行錯誤の末に成功している。海水を抜く大工事が1932年に30㎞に及ぶ大堤防が建設され、当初19基の風車が設置され季節風を上手く活用して、風車の後方は牧草地に繋げている。ホルダーと呼ばれる牧畜でチーズや農業と花のチューリップは世界的に有名である。オランダは4万平方㎞で九州の7つの県を足した位の面積しかない、標高は200m以下で内陸部に入った海水を、海に戻すことは当時は風車しかなかった。以前は1万数千機以上の風車が稼働していた。

現在1500機が動いるが性能も良くなり完全になくなる事は無く干潟を埋め立て現在は大分広くなっている。又観光地としても役立っている。風車の中に居住域や倉庫も在り干潟の大堤防は高速道路も整備され、夕日が美しい優雅な処で訪れる人々も多い。オランダは、自然エネルギーの先進国で現在国家事業として大きな事業が計画され、日本も参加すると聞く立地条件は違っていても参考になる処は吸収して欲しい。オランダ人曰く世界の国々は神が創ったが、オランダの国は我々が作ったと自負して愛国心は強い。

日本でも洋上風力発電に力を入れ再生エネルギーも利用し地球温暖化は加速を阻止せねばならない。ガーボンニュートラル脱炭素社会を目指さねば、環境破壊が身近に迫って来ている。地球環境を守る戦いは全世界の人が真剣になって実現して欲しい戦いである。戦争は当事者間の問題解決で済むが、地球環境を守る戦いは主要国か一丸となり取組むべき重大事案である。脱炭素への戦いは自然との戦いであり、ウクライナ問題は必ず時期が解決してくれる。(岩重)202301219

2022年のインパクト

2022年の始まり、私は心身ともに弱りきっていた。理由は書けないが、とにかく「人間からやる気を抜くとこうなります」みたいな無気力、数年前からずっと続く足の痺れ、そして、久しぶりにはっきりと表れた不安感で、生きる屍のようだった。

昨年は筆者にとって成果の乏しい一年だった。「統一教会問題」と「コロナ横行」による。まさか元総理銃撃事件がおこり、それを機に統一教会問題がここまで社会を揺るがす事になるとは。一体、予言者の中に、銃撃事件を予言した人がいただろうか、筆者は寡聞にして知らない。

これはやばいなと思った。2016年に発症したうつ症状に似ているではないか。あの、死んだ方がずっと楽だと思ったような辛さが再発したら、私はもう乗り切れる自信がなかった。

しかし、私は出会ってしまったのだ。善意の第三者に。(法律用語における「善意」とは、「ある特定の事実を知らないこと」を意味する。つまり、特定の事実を知らない利害関係のない第三者)彼は私にこう言った。「あなたが大事に思っているものは、実はすごくつまらないものですよ。早く捨てたほうがいい」と。似たようなことは他の人からも言われていたというのに、なぜ彼の言葉が心に響いたかというと、彼は全くの部外者だったからだ。

よく、映画とか小説で、初めて会った人に重大な秘密を話してしまったり、悩みを相談してしまう場面があるが、まさしくそういったシチュエーションだった。そんなこと現実には無いでしょう?と思っていたが、自分がまさか初対面の人に悩みを相談してしまうは・・。

当たり前のことだが、初めて会った人というのは、相手にも、その周りの人にも忖度することが出来ない。それが故に極めてシンプルな言葉を返してくれるのだ。あまりに直球に事実を突きつけられ、胸の中で何かがスコンと落ちた。

誰でも煩悩があるものだが、私のそれは、つまらないものだった。つまらないものだと気づいて、「ああ、私はこんなものに自分の全てをつぎ込んで、削られていたのだ。なんてつまらない、自分を大切にしない生き方をしてしまったのだろう」と、次の日に、そのつまらないものを全部捨てた。スッキリした。そして、その「善意の第三者」には、それ以来一度も会っていないし、多分これからも一生会うことはないだろう。

全くの偶然で出会った人に、人生を変えてもらった。連絡先も何もしらないので、この場をかりてお礼を言いたい。「本当にありがとうございました」と。  その後、スッキリはしたけれど、心の傷が自分が思っていたよりもとても深くて、しばらくは働くことができなかったし、誰かの目をしっかり見て話すこともできなかった。

そして2022年も半分を過ぎたころに、少しずつ働き始めた。体力が落ちていたので、しばらくは半日働いただけで、疲労困憊だったが、2か月くらいすると、一日通して働ける日も増えてきた。知識欲も復活し、毎日情報収集と読書にいそしんでいた。これはこれで楽しかった。だが、びっくりした。50年間生きてきて、初めてのことが起こったのだ。なんと、韓国のアイドル、BTSのファンになってしまった。

その日から私は政治や経済、歴史、映画や音楽まで全て韓国に興味が移った。BTSのファンになるということは、韓国の政治や歴史を学ばざるを得ない、と私は思っている。学ばなくてもファンにはなれるので、他の人に無理強いはしないが、BTSの強いメッセージ性は、政治や歴史を抜きにして感じ取れるものではない。

そして、韓国語の勉強。これが今一番面白い。毎日新しい単語と出会い、少しずつ少しずつ理解が深まっていく感覚は、学生の時以来だ。こんなに色んな楽しみや知識を与え、「アイドルなんて」という偏見を捨てさせてくれた。彼らは他の一般人と同様兵役に就いた。頭を坊主にし、銃を構える姿を見ると、改めて韓国という国について複雑な思いが湧きあがった。

サムスンや現代自動車、そしてエンターテイメント界では、世界のトップを走る韓国だが、「パラサイト」の様な映画や多くのドラマでは必ずといっていいほど超お金持ちと貧乏人の格差が描かれる。日本は経済面で韓国に追い越されてしまった。だがあまりの学歴・外見至上主義と、出生率が1.0を切る国の行く末がどうなるのか、日本と同様に終わりの始まりがやってきたのではないか?と推察すると失礼だろうか。2025年にBTSの全員が兵役から帰ってくる。そのとき韓国は、日本はどんな風に変わっているのだろう。(大浜 紙)20230111

時事論 霊能者と催眠療法士

年末の報道特集「旧統一教会」番組で飯干恵子さんを観た。およそ30年前、洗脳された娘を取り返すと言い放った父で作家の飯干紘一氏の気迫は、流石に「仁義なき戦い」の作者を思わせる迫力だったが、彼女を奪還する頃には、脱力感でイタイタシイ感じだった。娘の為に統一教会の全作品に目を通した、という彼の努力は並大抵でできるものではない、と改めて思わされた。

昨年は筆者にとって成果の乏しい一年だった。「統一教会問題」と「コロナ横行」による。まさか元総理銃撃事件がおこり、それを機に統一教会問題がここまで社会を揺るがす事になるとは。一体、予言者の中に、銃撃事件を予言した人がいただろうか、筆者は寡聞にして知らない。

過去世を観るだけでなく、現実の過去において「あの時、こうしていたら」「こうしていれば」の選択を違えていたら、の「たら・れば」ヒプノ以外に、「近い未来生を観てみましょう」という本邦初の「実存ヒプノ」のまで考案したと自負するセラピストとしては、「未来予言」というものに無関心でおられる訳も無く、旧くは「ノストラダムス」「ファチマ」「マヤ」予言などにも関心を持ってきた。そしてどれも当たらなかった! 日本にも、予言をウリにする霊能者がTVで次々と現れ、もてはやされたみたいだがブームは去った。当たらなかったからだ、といえる。

「未来は決まっていない。自分が創るのだ」。これが私の「実存ヒプノ」のテーゼである。もし、「過去の因果が霊障となってアナタの未来に不幸をもたらす」という「霊能者」がいたなら、「いつどこでどんな不幸がおこるか予言してみてください」と返せばいいし、言えないだろう、その時はこう返すのだ「私も予言します、いつかきっとアナタは死ぬ時がくるでしょう」。こんな応答で充分。だから、高額な金品を代償に除霊などできる訳がない、と思う事です。

高額自体が怪しいですね。統一教会の除霊〈解怨〉は先祖の「怨」が今の貴方に霊障をもたらしている、と託宣します。そして「先祖解怨」は7世代8家系だったら計1256万かかるのです。最近では、なんと「430代前の先祖」までと言われるようですが、それって縄文期頃のご先祖になります。そこまでご先祖様は「面倒を見なければならないもの」なのでしょうかね。

輪廻転生のスタンスに立つヒプノセラピストの自分は「過去のご先祖」の因果応報論は採らないし、元々「因果論」も採用しません。自分に困難な「壁」が生じたとしても、それは自分が今生で乗り越えるべき試練として、生前に設定したものと考えます。「神は乗り越えられる試練しか与えない」の「神」とは永遠に転生する「自分」なのである。

よって「なぜ、その壁なのか。乗り越えられるヒントは」を、生前〈中間世〉の自分に問う事が出来ます。どうやってかというと、ヒプノ〈催眠法〉によって過去に退行して貰い、そこで過去の自分と自身が対話して貰うからです。ヒプノ体験のご予約は08039461891てつとまで。(てつと)

矢板市長を非難せず違う前進志向での支援を

西之表市の市長リコールは、この様な形で竜頭蛇尾に終わると思いもしなかった。選挙人名登録者数12月1日現在12,326名で、3分の1以上の4,109人以上の署名が集まらなくとも、それに近い数字が表に出ると思ったが期限までに集まった署名が678名分だった。

矢板市長が選挙中及びその後に住民の意向が馬毛島に自衛隊基地と、併設の空母離発陸着艦訓練場を設置する事は、敵から攻撃を受ける一番危険な処となると認識していた。何も専門知識や国際情勢を知らない人達は、戦争のない平和な世であって欲しいと願っていた。

特に1年足らずのロシアとウクライナ紛争は大国が武力で侵略する様を、報道などで知るに至っては他人事でないと危機感を持つ様になった。欧米諸国の報道操作でなく開かれた姿が現実になってきて、自分達も平和を守ることはやぶさかでない、のほほんとしては居られないと自習したのだろう。

でなければ計画反対派の人達が当初の勢いが、ここまで失せることは無いし国の方針も国防体制は此の侭では駄目だと固い方針のある様である。馬毛島の隣接航路は国際海峡といわれ中国もロシア艦船も自由に航行できる。各国の艦船が馬毛島での最新艦載機が訓練をする様を視るに至っては、無言の侵略抑止力に繋がると思う格好の国際航路である。

もう大分前の出来後だが米海軍の艦載機の空母離着陸訓練に失敗して、空母から横にずれ落ちて救助隊員が必死に救おうとしたが、空母は全速航行で落ちた機体から離れ、1時海中に没せず救助員が必死の救助所活動をおこなったが死亡した。パイロットは数少ない女性であり将来を嘱望されていた。

艦載機の操縦は相当の熟練が必要とし絶えず慣熟訓練はしなければならない、東京から硫黄島迄は19213㎞離れておりそこで訓練するには、どれだけの経費と労力が必要か。馬毛島が重要視されるのは分かると思う、日本の国防の観点からは絶対必要な拠店なのである事は、平和の国を思うならば矢板市長の苦渋の心変わりであったろう。

あらゆる情勢に鑑み心の痛みを堪えていたが、今後は種子島全地域と近隣諸島や環境問題と様々な問題が山積してくると思う。日本の国防に理解をして地域住民と共に今から先が大仕事である。反対派の住民もわかってくれたと思うし矢板市長を裏切者と罵らず大局を見て共に種子島を繫栄させ、出来れば富士総合演習場の訓練や、日出生台の様に安全が確保されたら公開して欲しい。

負の力を逆説の力に変え如何に国防の為に、精根傾けて一生懸命頑張っている姿を私達に見せて欲しい。国が豊かに成る為に精出して支えている人達に、日本が平和の為に国際的に理解して欲しいことに繋がると思う。

「話が変り大河ドラマの徳川家康が出番であるが、戦国乱戦に明け暮れた時代を様々な苦難を乗り越えていく。裏切りもあり騙し討ちも経験して力を付けて天下人に成長する過程に、「どんでんがえし」もあり徳川300年の争いのない時代を築く大河ドラマが愉のしみだ。

リコール問題も終わり西之表市の住民の多くは、厳しい環境の中で可能な限り平和を願いたい。矢板市長を非難せず違う前進志向での支援をして欲しいと願う。(岩重)20230107

新年あけましておめでとうございます

2023年、どんな形で新年を迎えられたでしょうか? 私は、メディアとしての大きな変換、新たな展開ということで、いろんな方に迷惑を掛けながら進めてきて、いつになく他の人たちと交わることが少なく年末年始を迎えました。 新聞の紙面を作るためパソコンの画面とにらめっこをしていたのが、今度はWEBによる情報発信という勝手の違う形で、いつもとは大きく違った形で新年を迎えました。

ちょうど1年前は、高隈山系御岳頂上から御来光を拝み、今年は海岸端に…とも考えていましたが、お声掛けいただいたので、鹿屋市郷之原町権現山の世井神社境内から初日の出を拝んだ。

久しぶりに権現山に登り、いつもバイパスを走るときに横目で見ながら通っているところなので、会社から10分ほど走れば着くだろうとたかをくくっていたら、思っていたより坂道が長く途中東の空がだんだん明るくなってきて、これは初日の出の時間に間に合わない…と、焦りながら坂道を登り、少し慌てながらでいい写真が撮れずに、これが年のスタートと思うと、どんな1年になるのだろうと不安もよぎった。 ただ、世井神社には地域の方々がたくさん集まっておられ、地域の一体感を感じながら、そこからはパワーをいただいた。

世井神社は、私の親父と、今は鹿屋市議をしておられる原田靖さんのお父さんとが仲が良く、30数年前鹿屋に帰ってきたときに、何度かいっしょに行った覚えがあり、その後も何度か訪れていいる。地域の方々で整備されていて、なかなかいいところだと感じた。

その原田さんから、「93歳になる高須の親父(義父・立元良三さん)、は、南九州新聞第一号から読者だった。昨日そういう話が出た」。奥様の雅子さんからは「ネットに繋がっていないので、どうしたらいい…」など言われ、「申し訳ないです…、何か考えます…」という言い訳しかできなかった。 中学の時の恩師でもあるので、お元気なうちに、第一号からの読者として感謝の念を伝えながら、お話を聞きにいきたい…とも思った。

もし、そういう方、第一号とはいわず、長く読者でおられた方にも、また、お話を聞きにいってみたいとも考えている。どなたか近くにおられたら、お知らせいただきたい。 WEBメディアとして、近いうちネット上での双方向の情報のやりとりもしていきたいとも考えていて、皆さんからの情報、お待ちしてます。 何かありましたら、今のところはFAX0994〈42〉3543か、メールara3544@gmail.com へ、ぜひ連絡をお願いしたい。

例年とは違った形での1年のスタート、不安は大きいが希望も胸に秘めながら今後とも皆様のご支援、ご鞭撻、よろしくお願い申し上げます。(米永新人)20230101

今年を振り返り

2022年も残り少しとなりましたね。今回で年内の掲載は最後となります。今年もたくさんの方々にお世話になりました。 まだまだ余裕はないのですが、少し今年のことを振り返ってみたいと思います。 今年は年始からお仕事をいただいてから、そのまま走っていたので特に正月を感じる間も無くスタートした年でした。 去年一昨年はなかなか行けなかったライブにも足を運び、ずっと観たかったアーティストのライブを肌で感じることができました。とても熱く、伸びやかで美しかった。 久しぶりの再会をした人もいて、しばらく一緒に時間を過ごしたりもした。ここ最近はまた会っていないけど、元気そうな姿が目に浮かびます。 再会でいえば、高校時代の友人が結婚し、招待をいただいた。仕事で結婚式を見ることもよくありますが、ゲストとしてゆっくり時間を過ごすのは久しぶりでした。高校時代のホットな部分を一緒に過ごしてくれた友人、おめでとう、お幸せに。

振り返っていて思ったが、毎年いろんな方々にお会いするが、今年は特に初めましての方が多く、そして若い時にお会いした方との再会が多い年でした。 その分貴重な経験をいただく機会も多く、ネットラジオを始めたり、ご覧いただいているこちらのコラムを執筆させていただいたりなど。 現場関係でも、若かりし頃大変お世話になったアーティスト宮井紀行さんの大舞台の撮影や、鹿児島ジャズフェスティバルの撮影など大好きな音楽に触れる機会をたくさんいただきました。今こうしてご一緒できることを大変嬉しく思います。 そして出会いだけでなく、お別れも多い年でした。 現場を支え、一緒に仕事をさせていただいていた先輩や、撮影させていただいた方々。身近な人。 たくさんの想いをいただきました。私ができることなんて限られていますが、受け取った気持ちをいろんな方に繋げていきたいです。 これからもたくさんご迷惑をおかけして生きていくと思いますが、何卒よろしくお願いします。 そしてここまで読んでくださった皆様、拙い文章の中お付き合いくださりありがとうございます。皆様良い年をお過ごしください。(髙田昌宏)20221226

鹿屋城の歴史と地域の祭、イベント

鹿屋城山の昭和30年頃の城山の展望台に続く桜並木は、豪華絢爛に咲き誇り見事であったことを思い出す。当時は城山公園近郷の人々は桜並木を大切にしていた。北田池が水を満面蓄えており南側に水泉閣があり、前の坂を少し下る左側に料亭検見崎があり、道路を少し上がると翠光園があった。当時は有数の割烹・結婚式・宴会場等であった。

鹿屋近郷の在住の人達が利用する料亭であり、花見時には招かれて太鼓・三味線・歌い手と賑やかな雰囲気を醸し出し、程々に酔いが回ると至る処で踊りだす風景が思い出される。 鹿屋城の創始者は諸説あって割愛するとして、城として機能を備えたのは肝付氏だったろう。鹿屋氏は肝付氏5代兼石の3男であり紆余曲折末に鹿屋氏を起こした人物である。鹿屋城主は本家肝付氏と共に行動して鹿屋領を守り、始祖・宗兼から約300年間鹿屋統治に善政をひいた。鹿屋氏の没落は末吉国合之原の一戦で(1556年)兼豊・兼任共に戦死し末弟の兼清は幼弱で家運を盛り立てる事は出来ず、日州都於郡に伊藤義祐を頼って落ち延びて行かねばならかった。肝付家が衰えると共に衰退の鹿屋氏であった。

肝付兼続と阿南の婚姻で島津家と肝付家の関係は良好になり、伊集院忠棟が鹿屋城に入り約16年間領民の善政を敷いたが、兼続と島津家は和解不能な戦いになり兼続を志布志に追い詰め、肝付本城を落城させたのは忠棟だった。阿南は家名を残すのに奔走し阿多に1万石で家系を残すがが、阿南は悪女と言われながら肝付家を残すことに尽力した。宮家と宿命は武家の台頭の世で兼続は自らを処するしかなかった。辛うじて家系を保つが関ヶ原で若くして戦死し直系は潰えたが、喜入にも吉利にも肝付家は生き続けた。

鹿屋領民に300年間善政を敷いた鹿屋氏も伊集院氏も滅びたが、鹿屋氏は名誉の戦死で伊集院忠棟は8万石の大名であったが島津忠恒に斬殺される。問題に成ったが忠恒は身を隠し藩内事件で収まり、その後、忠棟の嫡男・忠真の庄内の乱を起こすが徳川家康が仲介に入り、結末は騙し討ちで一続郎党は暗殺と誅殺で島津より粛清され哀れであった。 島津久信は鹿屋城主で来るが領民への蛮行が酷く理由は割愛し、本家の命で毒殺されている。以後本家直轄領となり鹿屋領民の心情をほぐし鹿屋領城周囲にある神社等には、祭りを奨励して鹿屋城に縁りある武将や地域領民と共に祭りを「祀り・鎮魂祭」奨励し五穀豊穣祭と草相撲や水神祭を盛んに行った。

現在は志布志の「四月じょか」は場所的によく、幾つかのイベント会場がジャンル別で特に千軒太鼓がドラマ化に成っており素晴らしい。又枕崎の火の神・乙女太鼓が出場しておりスト―リー性があり優雅の中に躍動美の演奏に感激した。錦江町田代のイベント会場でのバンド演奏では、現職の警察官がボーカル担当でギターを奏でながら、観衆に意外性の軽妙なトークが人気を博した。東京渋谷のDJポリスも顔負けのスター性にまた出場して欲しいとの声を聞いた。串良の橋の袂のイベントでポップスのカントリロードに感動し、大崎・三文字朝市の蕎麦の味は格別だった。祭りとは馳せ参じた人々の心に残る思い出を創出して欲しい。(岩重)20221224

時事論14・国際比較。

かつて、西欧はイスラム圏に自らの人権価値観を請求に押し付けるなと書いた。アフガンがタリバン政権に復帰した途端に、経済制裁を加えた事への批判であった。前回は、カタール国がLGBTや女性に対して不当に権利を抑圧している事へ、欧米のサッカー参加選手は抗議の意思を表明しているとも紹介した。しかしこれらは選手であって、欧米諸国という国がとの意味ではない。アフガンには制裁をしながら金満国カブールには目を瞑っているのは、ダブルスタンダードといえまいか。

「格上」「格下」の語は好きでないとも前回書いた。当てにならない語の証拠に日本は一次リーグで、「格上」のドイツ・スペインに勝ち、「格下」のコスタリカに負けている。まぁしかし、折角の機会なので「国際比較」論をしてみる事にした。

先ずは国民の裕福度を示す「一人当たりGDP」から。GDPとは「国内総生産」の事で、数値が高ければ「富裕国」と言える。ご存じのように、総額で言えば日本は米・中に続く三位である。だが間もなく四位のドイツに抜かれるのは間違いない。ここ日本は、「時期産業の育成」や「将来見据えた教育投資」にも力を注がず、日本学術会議委員問題にみられるように「御用学者」以外は排除してきたからだ。「GDPの国民一人当たり」にすれば、20年ほど前の世界三位から落ち続けて、第二次安倍政権からは酷く、昨年度は世界27位で先進国では最下位近くになる。一位はルクセンブルクあと北欧諸国が続き、W杯開催国カタールは八位である。このまま日本の低所得化が続くと海外からの「出稼ぎ労働者」は減少していくだろうし、人口減少もとどまらなければ先行きは?

次は「幸福度」です。幸福度比較の指標は以下です。・1人当たり国内総生産(GDP)・社会的支援の充実(社会保障制度など)・健康寿命・人生の選択における自由度・他者への寛容さ(寄付活動など)・国への信頼度、を各国1000人のアンケートの三年累計結果でだされるそうです。上位は北欧諸国である。ランキング1位のフィンランドは5年連続での首位独走である。我が国は何位と予想されるか。答えはここ数年、五十位代である。どう思われるか。数値指標で見ると、日本の低い理由は「他者への寛容さ」と「国への信頼度」が低い点にある。同調圧力が強い一方、ヘイト〈差別〉言論がやまぬ風潮は「他者への寛容さ」は低いと考えられるし、情報公開制度は出来たのに、開示されない行政文書が増加の一方では「国への信頼度」が増加するのは考えにくい。なにより選挙を棄権する有権者が多い事には憂慮しかない。

最後に「女性の社会進出度」である。「ガラスの天井」という言葉がある。女性の社会進出を阻むものを天井に例えた語だが、指数化したものが「ガラスの天井指数」である。評価対象項目は以下〈高等教育度、賃金格差、国会議員、企業内役員、管理職、GMAT(経営大学院)受験者数、労働参画率、育児費用、女性の育児休暇、男性の育児休暇〉である。日本はOECD加盟先進国29国中、昨年度はワースト二位で、最下位は隣国・韓国だった。これで韓国を哂っていては、目糞・鼻糞の類になるだろう。(てつと)20221222

きもつき熱中小学校

先日、肝付町で行われた「きもつき熱中小学校」にスタッフとして参加してきた。今回は帯広畜産大学の学長、長澤秀行先生と、日本司法支援センター本部国際室長かつ常勤弁護士の冨田さとこ先生の授業を受けることができた。

1時限目は、鹿児島から遠く離れた北海道の、東京ドーム40個分の広さを持つ、日本で有数の畜産大学の学長の長澤先生から、じきじきに免疫や寄生虫から細菌、ウィルスの話まで1時間以上聞くことができた。 今もまだ終わる気配のない新型コロナウィルスに関する先生の知見は、改めて、「専門家の話には”絶対”は無い」と感じさせられた。なんせ、長澤先生のパワーポイントの1枚目は「人の話をよく聞く」と「人の話を鵜呑みにしない」の二つの言葉が並んでいたからだ。 新型コロナウィルスワクチンに対しても、絶対ではないが、天然痘に対して牛痘を接種させて、免疫を獲得させたジェンナーや破傷風に対する血清療法を発見した北里柴三郎の例を挙げて、絶対ではないが有効であるという言い方をされていた。

常々、トンデモ医学を持ち出す医者は「絶対」という言葉を使う傾向があると思っていた。やはり専門の研究者の方というのは、いつでも「反証」や、疑う目線を持つからこそ、未来に向けた発見や発達があるのだなと感じられた。先に書いた「人の話をよく聞く」と「人の話を鵜呑みにしない」は実に哲学的でもある。 そして、長澤先生はとてもユーモアのある方で、寄生虫の話の時の時に、人糞を使った自然農法をしていた男性がお腹が痛くてたまらないというので、開胸してみると、どんぶり一杯分の回虫が入っていたという。その時のパワポのイラストが、どんぶりに入ったカレーうどんであった。しばらくうどんが食べられそうにない(笑)。

そして2時限目は冨田さとこ先生。日本司法支援センター本部国際室長かつ常勤弁護士と聞くと、どんなクールな女性が表れるのだろうと思いきや、冨田先生もぶっ飛んで面白い方だった。今回は外国人労働者の様々な相談について事案を交えてお話をしてくださったのだが、堅苦しい、難しい専門用語を使わずして、私たちに、これからの日本のあり方をどう思うのか?という問題提起をしてくれた。 日本は少子高齢化が進み、労働者がすでに足りなくなっている。だが、日本はほぼ難民を受け入れないし、技能実習生という名の期限付きの労働者を使い捨てている。 すでに円安はすすみ、中間所得層の収入が30年間上がっていない。こんな国には、もう来てくれる外国人労働者はいなくなるのではないか? そこで、日本は小国として、自分の国の人間だけで粛々とやっていくしかないのか?それとももっと開かれた国になり、外国人と共に多様性を持った国として更なる発展を目指すのか?いささか極端な例ではあるが、こんな2択になるのではないか?最悪、お金を持った日本人の多くが海外に移住してしまい、ただの農業を捨てすぎた上に資源のない貧国になるのかもしれない。

冨田先生への相談事案に、外国人技能実習生に対しろくでもない要求をする日本人経営者が出てくる。最近の愛知県のウィシュマさん事件や、熊本県のベトナム人女性が一人で出産し、死産だった双子を箱に入れただけで死体遺棄として逮捕され有罪とされた話を彷彿とさせる。 宮台真司氏の言う「日本人の劣等性」とはこれなのか?と絶望的な気分になっていたがしかし、冨田先生が様々な高いハードルを超えながら解決していく話を聞くと、少し救われた。こんな冨田先生の様な明るくて、強い、人の気持ちの分かる方達が、私が知らないところに沢山いらっしゃって、表から見えないところで尽力されているのだ。やはり、「絶対」というものは「死」以外ないのだなと逆にポジティブになれた気がした。 しかし、こんな滅多にお目にかかれない方の滅多に聞けない話がフリーで聞くことができるのに、なぜお客様があまり多くなかったのかが不思議でならない。次回は1月21日土曜日です。ぜひいらしてください。(大浜 紙)20221219